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徳川慶喜は
愚人は
自分の器量が分からず
天下取りになろうと自惚れる。
水戸家の七男坊でありながら、一橋家の当主になったことですら過分だ。
と言いました。
誠意に満ちた謙虚。
将軍になりたくない
という我儘ではないのですよね。。。
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徳川慶喜家を閉じる為に
当主になる。
正確には
第四代の遺言により
ならざるを得ない。
現代の大政奉還です。
関係者による反発があるかも知れない。
しかしながら
信念を持って務めます。
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家を継ぐという事は
負の遺産の連鎖でもあるのです。
どんなに家にお金がなくてもアレやれコレやれ、こうすべき
と言われ続けた叔父の徳川慶朝は本当に辛かったと思う。
叔父が
これ以上の苦しみは、後に残すべきでない
と考えて、絶家を遺言とし、私は遺言執行人として務めています。
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大河ドラマ、次回は桜田門外ノ変。先日、皇居一周お散歩してきました。桜田門をくぐって、警視庁をのぞむ。
この立派な門の外で161年前の暗殺事件。しかし井伊直弼は滋賀では大変な明君であったと。
歴史というのは二面性があり、双方の立場で理解するのが正しい歴史認識だと思います。
#大河ドラマ
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徳川慶喜家ファミリーヒストリーをショートムービーにしてみました。
懐かしい気持ちと寂しい気持ちが入り混じります。
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徳川家康遺訓
勝つことばかり知りて、負くる事を知らざれば、害その身に至る。
桜田門外の変はまさにその象徴かと。
勝つ事は危険を背負う。
常に負を敢えて選ぶ徳川慶喜。それを喜んでいる人たちはいかに愚かであるか。
そんな教えを身に感じる時があります。目的は勝つ事ではない。
#青天を衝け
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癌との闘い
徳川実枝子さまは癌をわずらわれ、気づいた時には末期でした。
高松宮妃喜久子妃殿下は
娘といえど、雲の上に上られた方。娘が自分の看病することをよしとせず、昭和8年に亡くなりました。妃殿下はそのお悲しみを胸に高松宮妃癌研究基金を立ち上げられました。
#高松宮妃癌研究基金
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@nhk_seiten 草なぎさん、撫で肩なのですね。
慶喜公も撫で肩です。
毎週、楽しみにしています。
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鳥羽伏見の戦いで、「敵前逃亡した臆病者」が
「汚名を背負う勇気を持っての戦争回避」であった
と語られるようになるのは、いつになるのでしょう。。。
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徳川慶喜は元々自分が一番になろうと思っていない。
皇室に全てを渡し、命をも差し出す覚悟だったし、自分が江戸に残ると、良からぬ策略が企てられるから、静岡に引退。
遠慮深く、謙虚で決して自分が天下を握ろうなんて思ってないのに、テレビ的にはそれでは面白くないのでしょうか?