山岸美喜(@yamagishimadam)さんの人気ツイート(新しい順)

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徳川慶喜家のお墓 大和時代からある 上円下方墳 神道に改宗した慶喜公は、お墓の形も皇族に倣いました。 歴代将軍で、神道は家康公と慶喜公のみ 小さい頃から、お墓参りしていたので 不自然に思わず。 (ウチだけやけに大きいとは思っていましたが) お墓の形にも家の歴史があります。
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ご先祖さまとツーショット
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スペース用 徳川慶喜が描いた油絵 興山公は号
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祖父は 東大を出た とは聞いていたけれど 半信半疑でした(⌒-⌒; ) おじいちゃま、ごめんなさい🙏
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私の祖父母 徳川慶喜の孫の祖父 松平容保の孫の祖母 祖父は1993年に 祖母は2003年に亡くなりました。 怒った所を見たこともなく、優しく、穏やかな祖父母でしたが、時代の流れでどれだけ翻弄された人生だったのだろうと 思うことがあります。 大好きな祖父母でした。
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徳川慶喜の息子 慶久さま(左下)〜曽祖父 白樺派の作家、志賀直哉 (右下) 細川元首相の祖父、細川護立様 (後方真中) 幕末以降の交友関係は興味深いです。 他3名がどなたか分からないのが残念。 今で言う、プリクラ感覚で、こうして記念写真が残っているもの、時代が伝わります。
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徳川家ってお金持ちと思われるのですが 独身時代、贅沢に暮らした事はなく 食卓にはお肉も殆どなく。 それでも父は、意に介さず オーダーのスーツを 作っていました。 徳川家出身の母は本当に質素で倹約家でした。 品格というのは、 お金や贅沢品から生まれる物では無いと思っています。
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〜徳川慶喜家のお雛様〜 徳川慶喜家では、 子女をとても大切にしていて 内孫の喜久子姫のために 立派なお雛様を揃えました。 のちに高松宮家へお上がりになるのですが 高松宮家へ持参し のちに静岡県に寄贈されました。 お雛様って愛情こもった 日本文化だと思います。
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代々の徳川将軍の中で 神道だったのは 家康と慶喜のみ 2代〜14代までは仏教 東京の増上寺と寛永寺にそれぞれのお墓があります。
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結婚する時(30年前) 会津松平紋が入った着物を 祖母が持たせてくれました。 昔、知り合いの個展に着て伺ったら 数日後、モデルの依頼を受け 日本画に。 結局、買うことになり 飾る場所に迷い 玄関に等身大の肖像画。。。というコトに😂
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母から受け継いだ ダイヤと真珠とエメラルドをあしらった帯留め 高松宮妃喜久子殿下からダイヤとルビーのカルティエのブローチ お互いを思う心と共に、永く沢山の方に共感していただければと願っています。 宝石には心が宿ります。
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徳川慶喜の妻 美賀子の葬儀の列の席次表 こういった式の序列は 故人との関係性が伝わる史料であり 生涯を通じて、美賀子を 守り続けた徳川慶喜の姿が 見えます。
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徳川慶喜が乗っていた車 ダイムラー 当時は車が大変珍しく、 ダイムラー=徳川慶喜 徳川紋の駕籠からの進化系。
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沢山のお申込みをいただきまして、ビックリでございます。 何と!世界的ピアニストの横山幸雄さんのトコロにお嫁入りが決まりました!! 以前、我が家にお越し下さり弾いていただいたコトもあり 状態をよくご存知というコトが、大きな決め手でございました。 ご協力ありがとうございました
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壮大なる断捨離プロジェクト実行中の我が家です。 チェンバロ 売ります。 ノイペルト(独)社製の スピネット 40万円 名古屋に取りに来られる方。 メルカリとかPayPayとか、ビデオの録画も出来ないアナログ人間 なんせ頭は江戸時代(違)
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家を継ぐという事は 負の遺産の連鎖でもあるのです。 どんなに家にお金がなくてもアレやれコレやれ、こうすべき と言われ続けた叔父の徳川慶朝は本当に辛かったと思う。 叔父が これ以上の苦しみは、後に残すべきでない と考えて、絶家を遺言とし、私は遺言執行人として務めています。
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徳川慶喜家を閉じる為に 当主になる。 正確には 第四代の遺言により ならざるを得ない。 現代の大政奉還です。 関係者による反発があるかも知れない。 しかしながら 信念を持って務めます。
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アメブロを投稿しました。 『徳川慶喜家 第五代目当主』 #アメブロ #徳川慶喜家 ameblo.jp/yamagishimiki/…
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徳川慶喜(曽々祖父) 徳川慶久(曽祖父) 徳川慶光(祖父) 色んな人とお話ししていると 徳川慶喜好き 徳川好き と話してくださり、とても有り難く思います。 私はどうか? と聞かれると 好き嫌いとして測る以上の物が 心の中にあります。 とお答えしています。
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徳川慶喜家を閉じるにあたり、家の歴史を日本の誇るべきお米に乗せて。 叔父も闘病中 食欲なくても一生懸命食べていました。 食べる事は生きる事 お米は命そのもの。 完全無農薬のコシヒカリ 徳川米クラウドファウンディング立ち上げました。 宜しくお願いいたします。 camp-fire.jp/projects/view/…
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徳川慶喜が撮影した 渋沢栄一邸と 小日向(現在の文京区)にあった自宅 徳川慶喜は様々な物を撮影し、 現在も慶喜家の資料として残っています。 写真の技術もさることながら 一枚一枚に愛情と時代を感じます。 きっとご自身もわかっていたと思います。 自分の生きた時代が歴史となることを
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祖父は徳川慶喜の孫 祖母は松平容保の孫 その長女が、私の母 歴史は重く、子供にはそれを感じさせないようにと。 親の愛情。 家の歴史と、学ぶ歴史 2つの歴史の存在。 時代と名前に翻弄された家族でした。
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約30年前になりますが 母から受け継いだ着物を着て、結納を交わしました。 嫁入り道具の中に 興山公遺墨(こうざんこう いぼく)がありました。 徳川慶喜が書いた、家に伝わる書 〜人の一生は重荷を負いて遠き道を行くが如し〜 東照宮(家康)送別
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母から受け継いだ、この振袖とも、いつかお別れする日が来ると思う。 私の家のタンスにあるべき物でなく 沢山の方に愛でていただき、現代まで、私の代まで伝わってきた徳川家の心を理解していただけたら嬉しいです。 素晴らしい物を残してくれて、母や祖母には感謝しかないです。
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私は 徳川という時代は終わっていると思っています。 (当たり前ですが) ご先祖さまが残してくださった物を また家族で抱えた歴史を 親族で守るのではなく、 しかるべき機関にお渡しし 現在に至るまでの 歴史認識に役立ちますよう。 それが私に課せられた徳川慶喜家終焉作業と、思っています。