山岸美喜(@yamagishimadam)さんの人気ツイート(リツイート順)

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〜徳川慶喜と明治天皇との交流〜 徳川慶喜は度々、明治天皇と共に食事をしておりました。 しかもフランス料理! 赤い文字は慶喜の筆。 招待状に切手がないという事は宮内庁から直々に届けられたという事ですね。 一つの資料から、その向こうにある風景が見えてくるようです。
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徳川家の遺訓「人の一生は重荷を負いて遠き道を行くがごとし」ドラマでは最後の方が省略されていましたが、〆の言葉は「及ばざるは過ぎたるより勝れり」なのです。#大河ドラマ #青天を衝け #徳川慶喜
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幻の徳川勲章 諸外国では国が勲章を授ける事をしていたので、薩摩が勲章を作る事により、薩摩藩が海外では国として認められようとしつつありました。 それに対抗し、幕府も徳川勲章というのを作ったのですが、大政奉還を迎えたので、受賞者のないまま、幻となってしまいました。 写真はレプリカ
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江戸城明け渡しをしたのち 徳川慶喜は 幕府に全てを捧げた会津とは、時間をかけて話し合いをすべき と朝廷側に伝えています。 朝廷側がそれを無視し、会津戦争が始まった。 慶喜の無念と悲しみ。 会津は最後まで誠の武士であった。と語っています。
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祖母・徳川和子との共著『みみずのたわごと』(東京キララ社)を2020年12月に刊行しました。徳川慶喜家のファミリーヒストリー →amazon.co.jp/dp/4903883531 慶喜家の親族として「青天を衝け」の感想もつぶやいていきます。よろしくお願いします。 #徳川慶喜 #大河ドラマ #草彅剛 #渋沢栄一
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東照宮(徳川家康)送別 徳川家康の言葉、人の一生は。。。 は、徳川慶喜も大変感銘を受け、自筆で清書し、後世に遺しました。 私も小さい頃から聞かされていました。 コメント欄に全文掲載
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子孫の立場として大河ドラマを見る。 という状況はあまりないかと。 せっかくの機会なので楽しみながら拝見しています。 先週の慶喜公のシーンはこういった写真からのイメージが影響してる? 明日はどんな場面があるか楽しみです。 #大河ドラマ #青天を衝け #徳川慶喜 #草なぎ剛さん
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徳川家のハンコ 印は色々と種類があり、残っているのですが、これは象牙で天使の彫刻が施され、葵紋に装飾が施されているので、フランスで作られたものではないかと思っています。
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徳川慶喜はカメラが趣味で、あちこちに出かけてはカメラを構えたのですが、渋沢さんの家も撮影していました。 今頃、飛鳥山(東京都北区)の桜の見頃ではないでしょうか? 徳川慶喜撮影 渋沢栄一邸
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晩年の徳川慶喜(左)と 徳川昭武 この写真は反対を向いていますが 晩年も仲が良かったとのこと。 時代を生き抜いた人たちでありました。 やはり兄弟。鼻とか目の周りとか なんとなく似ているところがありますね。
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晩年の徳川慶喜の写真 瞳の奥には時代を超えて生きた憂いというのを感じます。何という人生だったのでしょうか。。。 その中で、孫娘の喜久子(後の高松宮妃喜久子殿下)を可愛がる姿に平穏が伝わります。
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渋沢栄一さんから徳川慶喜への手紙 渋沢さんは大変勉強をされたというのが伝わる、美しい文字です。
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徳川家の家紋が三つ葉葵というのは、よく知られていると思いますが それぞれの家で微妙に違います。 テレビの影響で、みんな一緒と思われがち。 徳川慶喜家のお墓の門には 慶喜家の家紋 祖母からいただいた着物には 祖母の実家である会津松平家の紋(松平家も三つ葉葵)
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徳川慶喜が撮影した 渋沢栄一邸と 小日向(現在の文京区)にあった自宅 徳川慶喜は様々な物を撮影し、 現在も慶喜家の資料として残っています。 写真の技術もさることながら 一枚一枚に愛情と時代を感じます。 きっとご自身もわかっていたと思います。 自分の生きた時代が歴史となることを
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宮内大臣から徳川慶喜への手紙 明治34年に天皇家に親王が生まれ、東宮御所にて命名式に参列するよう、宮内大臣からのお達しがありました。生まれたのは皇太子(のちの大正天皇)の息子、 のちの昭和天皇です。 江戸時代から昭和につながるお手紙ですね。
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徳川家ってお金持ちと思われるのですが 独身時代、贅沢に暮らした事はなく 食卓にはお肉も殆どなく。 それでも父は、意に介さず オーダーのスーツを 作っていました。 徳川家出身の母は本当に質素で倹約家でした。 品格というのは、 お金や贅沢品から生まれる物では無いと思っています。
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徳川慶喜家の車ダイムラー 常に新し物好きの元将軍「徳川慶喜」 これに乗ってお出かけしていました。 お抱えの安藤運転手と共に。 運転手は当時は大変に少なかった特殊職業。 しかし、慶喜さまは自転車乗るわ、カメラだ、自動車だ。。。 完全にザ・男の子!ですね。
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ナポレオン3世から贈られた軍服を着た徳川慶喜と、その100年以上のちに徳川慶喜を演じた本木さんと徳川慶朝 叔父は大してカッコ良くはないけれど(アンクル、ゴメン!)慶喜公も、もっくんもカッコイイです!!
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男爵 澁澤栄一著 徳川慶喜公伝 龍門社発行 渋沢栄一さんは徳川慶喜を心の底から尊敬してくださり、徳川慶喜のような立派な人は後世に語られるべきと考え、こうして伝記として編纂してくださいました。 #青天を衝け #徳川慶喜 #渋沢栄一
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〜徳川慶喜家のお雛様〜 徳川慶喜家では、 子女をとても大切にしていて 内孫の喜久子姫のために 立派なお雛様を揃えました。 のちに高松宮家へお上がりになるのですが 高松宮家へ持参し のちに静岡県に寄贈されました。 お雛様って愛情こもった 日本文化だと思います。
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明治天皇の直筆
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徳川慶喜の母、吉子さまは有栖川宮家出身。 徳川家と有栖川宮家は殊の外、強い繋がりでした。 徳川慶喜七男、慶久と有栖川宮家の最後のお姫様 実枝子さまとの結婚は運命でした。 3人直筆署名の入った写真。実枝子さまの有栖川御流の美しい文字に注目 #青天を衝け #徳川慶喜 #有栖川宮 #大河ドラマ
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徳川慶喜は様々な趣味があり、囲碁も嗜んでおりました。 華族の中で番付表まであるほどの囲碁愛好家の面々。 そうそうたるメンバーが名を連ねています。 慶喜は大政奉還後、遊び呆けていたと勘違いされますが、囲碁を通じて何かが動いたかも知れません。
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徳川慶朝と徳川慶喜 1998年に徳川慶喜が大河ドラマになった時、スタジオにお邪魔して時の一枚 衣装はナポレオン3世から贈られた軍服姿の徳川慶喜(2枚目)を忠実に再現。 叔父はひいお爺様に会えて、とても嬉しかったそうです。 #大河ドラマ #徳川慶喜
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私の持っている史料に 大政奉還後、ならず者の薩長との一戦は免れない。早いとこ制圧して。。。と思っていたら薩長に錦旗が上がったのを見て、朝敵になる事は出来ないとして、撤退した。 と書いてあります。 命が惜しくて逃げ出したのではないようです。 #鳥羽伏見の戦い #徳川慶喜