山岸美喜(@yamagishimadam)さんの人気ツイート(新しい順)

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昭和13年9月25日 報知新聞 祖父母の結納が公表され、新聞記事になりました。 しかし一面にはヒットラーが。。。
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知られているようで、知られていない徳川慶喜の書 日本橋 ひらがなの方も慶喜の書なのです。 原本は 国立公文書館に保存されています。
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徳川家の銀の箸 一橋家時代、将軍時代には毒殺の可能性もありました。 食べ物に毒が入っていると銀の箸は変色します。 暗殺という恐怖を抱えながら生きなければならない人生は、たとえ将軍になったとしても幸せでしょうか。。。
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徳川慶喜は別名興山(こうざん)公と呼ばれていました。 引退してい約30年の間に、写真、投網、狩り、弓、絵画などを嗜んでいました。どれもが玄人レベル。 徳川慶喜の描いた風景画が現存しています。 この時代に日本で油絵を描いていた人は本当に少なかったと思います。
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祖父母の結婚 徳川慶喜家と松平容保家 徳川慶喜はむしろ政治家でした。その慶喜が語ったのは 「松平容保はまことの武士であった」 時代を超えての結婚は平和を望む声でした。 祖母の嫁入りには懐刀がありました。 自分を守るためではなく、家の恥になるような事があれば、自害できるよう。
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大河ドラマ、次回は桜田門外ノ変。先日、皇居一周お散歩してきました。桜田門をくぐって、警視庁をのぞむ。 この立派な門の外で161年前の暗殺事件。しかし井伊直弼は滋賀では大変な明君であったと。 歴史というのは二面性があり、双方の立場で理解するのが正しい歴史認識だと思います。 #大河ドラマ
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徳川慶朝と徳川慶喜 1998年に徳川慶喜が大河ドラマになった時、スタジオにお邪魔して時の一枚 衣装はナポレオン3世から贈られた軍服姿の徳川慶喜(2枚目)を忠実に再現。 叔父はひいお爺様に会えて、とても嬉しかったそうです。 #大河ドラマ #徳川慶喜
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〜徳川慶喜と明治天皇との交流〜 徳川慶喜は度々、明治天皇と共に食事をしておりました。 しかもフランス料理! 赤い文字は慶喜の筆。 招待状に切手がないという事は宮内庁から直々に届けられたという事ですね。 一つの資料から、その向こうにある風景が見えてくるようです。
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徳川慶喜は大政奉還後、引退という形を取っていましたが、慶喜の事を大変尊敬していた明治天皇より「麝香間祗候(じゃこうのましこう)」という役目をいただくことになります。 皇居に「麝香間」という部屋があり、定期的に拝謁しご意見を述べるという、いわば天皇のご意見番でした。
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大河ドラマで、徳川斉昭役に竹中直人さんと発表された時、いやはや!さすが!! と、思いました。 生まれ変わりのようなクリソツ感! 竹中さんのお写真@exiteニュースより #晴天を衝け #竹中直人 #徳川斉昭 #徳川慶喜父
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渋沢栄一さんは徳川慶喜公伝という伝記を出版してくださいました。大いなる尊敬がないと出来る事ではありません。 徳川慶喜は本当に我慢の人生でした。鳥羽伏見の戦いの臆病者 と言われ続け、ずっと黙って受け止めていました。人民の命は己の立場より貴重である。 #徳川慶喜 #渋沢栄一 #晴天を衝け
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渋沢栄一さまには、徳川家は生涯お世話になりました。 前列左から 渋沢栄一、井手久美子、榊原喜佐子、徳川慶光、徳川実枝子、高松宮喜久子、渋沢千代 twitter.com/idejun1201/sta…
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父 徳川慶喜様へ 息子 慶久の絵葉書 慶久様はとても絵が上手く、様々な方に自筆の絵葉書を書いています。 この絵葉書からは父上である慶喜に尊敬と親愛を持って描かれているのが伝わってきます。 慶喜は歴史上の人物かも知れないのですが、心が通う素晴らしい人でした。
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徳川慶喜はカメラが趣味で、あちこちに出かけてはカメラを構えたのですが、渋沢さんの家も撮影していました。 今頃、飛鳥山(東京都北区)の桜の見頃ではないでしょうか? 徳川慶喜撮影 渋沢栄一邸
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徳川慶喜の母、吉子さまは有栖川宮家出身。 徳川家と有栖川宮家は殊の外、強い繋がりでした。 徳川慶喜七男、慶久と有栖川宮家の最後のお姫様 実枝子さまとの結婚は運命でした。 3人直筆署名の入った写真。実枝子さまの有栖川御流の美しい文字に注目 #青天を衝け #徳川慶喜 #有栖川宮 #大河ドラマ
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鳳凰の帯留め 目はルビー、中央にエメラルド ダイヤと真珠であしらわれた品 妃殿下から頂戴いたものと思われます。 主婦の友社の取材で身につけ、母が亡くなった時、私が受け継ぎました。魂が宿っている逸品。 もうすぐ母の命日。
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徳川慶喜家の人たちは本を書く文化があります。 私も書きましたが、私の代で最後かと。 後は子孫ではなく、歴史家の方にお話いただく。 それも一つの家を閉じるということかと思います。 物事は各方面から見ることにより歴史が立体感を持つと思います。 #徳川慶喜家
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結婚する時、母から受け継いだ真珠のブレスレット 高松宮喜久子妃殿下から姪である母に結婚のお祝いに贈られた品で、今度は私に。 当時はあまり深く考えずにいました。今は反省と感謝です。 品物そのものではなく、品物に込める気持ちが何よりも大切。 #遺品 #徳川家
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私と違ってご先祖さまは、大変勉強熱心。 手元に広げているのは愛読書「資治通鑑」いわゆる帝王学書。 こういった写真は慶喜自らが撮ってくれ。と、指示したと思われます。 現在のように、写真いいですか?とは聞けなかったかと。 #徳川慶喜
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徳川慶喜は上野の谷中墓所の一角に眠っています。 徳川家の人がずっとお彼岸に墓参してきました。昔はよく慶朝叔父と行きましたが、今は墓参するのは私と井手の叔父様だけ。慶喜公は皇族に敬意を表し、晩年、神道に改宗しました。 命日は大正2年11月22日 土葬です。 #徳川家墓地 #徳川慶喜
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亡くなった叔父、徳川慶朝はとてもグルメで、よく料理をしていました。 塩ジャケのコロッケのレシピがあり、久しぶりに制作。美味しかったです。 慶喜公もグルメ。皆が毛嫌いしていた豚肉食べて、豚を食べる殿様、豚一殿ってあだ名つき。 #徳川家レシピ
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3月4日付日本経済新聞夕刊 社会面に載りました。 徳川慶喜家は現代も大変なのです。 心ひそかに。。。 草なぎさんや関係者が墓前に手を合わせていただけると有り難く思うのです。 #徳川慶喜 #大河ドラマ #草なぎ剛さん #日本経済新聞
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昨日のうちに見られなかったので、NHKプラス(iPad)で観ています。 祖父の慶光(慶喜の孫)も叔父の慶朝も本当に心優しい人でした。 慶喜の優しい姿にさもありなん。 慶喜の母は有栖川宮皇女吉子様。水戸家に嫁がれました。 #大河ドラマ #青天を衝け #徳川慶喜 #草なぎ剛さん
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子孫の立場として大河ドラマを見る。 という状況はあまりないかと。 せっかくの機会なので楽しみながら拝見しています。 先週の慶喜公のシーンはこういった写真からのイメージが影響してる? 明日はどんな場面があるか楽しみです。 #大河ドラマ #青天を衝け #徳川慶喜 #草なぎ剛さん
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大河ドラマの音楽、演奏はNHK交響楽団で指揮は尾高忠明さん。 尾高さんは渋沢栄一さんの祖孫さん。 N響(新交響楽団)の始まりは大正15年。渋沢栄一が活躍した時代。 過去から現在に繋がり、そして未来に!! 物語は続いています。 #大河ドラマ #青天を衝け #音楽 #N響