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癌との闘い
徳川実枝子さまは癌をわずらわれ、気づいた時には末期でした。
高松宮妃喜久子妃殿下は
娘といえど、雲の上に上られた方。娘が自分の看病することをよしとせず、昭和8年に亡くなりました。妃殿下はそのお悲しみを胸に高松宮妃癌研究基金を立ち上げられました。
#高松宮妃癌研究基金
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昔夢会筆記
渋沢栄一さんによる徳川慶喜本人へのインタビュー本。
渋沢栄一が徳川慶喜公伝を編纂するにあたっての準備本(?)
司馬遼太郎の徳川慶喜は小説ですし、大河ドラマはテレビドラマで脚色ありきです。
きちんと知ること大事!
と、とある出版社の方からいただきました。
#徳川慶喜
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鳥羽伏見の戦いで、「敵前逃亡した臆病者」が
「汚名を背負う勇気を持っての戦争回避」であった
と語られるようになるのは、いつになるのでしょう。。。
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徳川慶喜は元々自分が一番になろうと思っていない。
皇室に全てを渡し、命をも差し出す覚悟だったし、自分が江戸に残ると、良からぬ策略が企てられるから、静岡に引退。
遠慮深く、謙虚で決して自分が天下を握ろうなんて思ってないのに、テレビ的にはそれでは面白くないのでしょうか?
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徳川家康遺訓
勝つことばかり知りて、負くる事を知らざれば、害その身に至る。
桜田門外の変はまさにその象徴かと。
勝つ事は危険を背負う。
常に負を敢えて選ぶ徳川慶喜。それを喜んでいる人たちはいかに愚かであるか。
そんな教えを身に感じる時があります。目的は勝つ事ではない。
#青天を衝け
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