山岸美喜(@yamagishimadam)さんの人気ツイート(新しい順)

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徳川慶喜が20年暮らした屋敷跡 浮月楼に来ています。 こういった時、子孫はどうゆう感想か聞かれるのですが まぁ懐かしい!! とはならず、申し訳ないです^^; 10年くらい前に初めてここの存在を知りました。 #浮月楼 #徳川慶喜屋敷跡
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徳川慶喜が大政奉還をし、坂本龍馬に書状が遣わされた。 龍馬は 「将軍さまのご心中深くお察し申し上げる。よくも断行せられたものだ。自分は誓ってこの方のために一命すてよう」 とため息をついた。 その1ヶ月のち1867年12月10日、坂本龍馬は暗殺された。
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戊辰戦争で 会津鶴ヶ城落城の折 これだけは敵に渡すには惜しいと 刀で切り取った襖絵 泰西王侯騎馬図 会津松平家より寄贈 現在はサントリー美術館所蔵 (重要文化財) 去年の所蔵展で見に行ってきました。
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徳川慶喜は没後、生前の功績を讃えられ、旭日桐花大綬章を天皇陛下より賜りました。 いくつもの時代を生き抜いてきました。 家の為、ましてや自分の為に殺し合いや差別をする事、人を傷つける事は愚かであることを伝えたかったと思います。
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徳川のニセモノ、ネットでも時々見かけます。 この人誰だろう??きっと本名違う人。 葵交会、徳川家の家系図が語れない人は怪しいデス。
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徳川家のアルバムには徳川慶喜の写真が収められています。 金銀財宝ではないかも知れませんが、一枚一枚に込められた想い、時代という宝を表しているようです。 こんな時代を超えての今ですね。
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晩年の徳川慶喜(左)と 徳川昭武 この写真は反対を向いていますが 晩年も仲が良かったとのこと。 時代を生き抜いた人たちでありました。 やはり兄弟。鼻とか目の周りとか なんとなく似ているところがありますね。
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曽祖母 有栖川宮実枝子女王と 曽祖父 徳川慶久(徳川慶喜7男)との結婚は 明治天皇陛下の勅許をもって 相成りました。 皇族は華族とのみ結婚が許されていた時代でした。 華族制度は終戦により失われ、新たな時代を迎えました。
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1964年、母が徳川家から出る時、祖母が娘にしてあげられる最後の事として、徳川紋の振袖をあつらえました。 戦後、徳川家の最後のプライドです。 その着物で1993年に今度は私が結納を交わしました。 着物には愛が宿ります。
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徳川慶喜の息子と 勝海舟の孫娘が 結婚しておられるコトは、意外と知られていない事実。 勝家に婿養子に入った精(くわし)様 結婚は今とは違った深い意味がありました。 時代の流れ。 このツイッターで 一族の方と出会えたコトは嬉しい出来事でした。 いつかお会いしてみたいです。
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ナポレオン3世より贈られた 軍服を身に纏った 徳川慶喜 激動の時代でした。 #青天を衝け #徳川慶喜
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@nhk_seiten 草なぎさん、撫で肩なのですね。 慶喜公も撫で肩です。 毎週、楽しみにしています。
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終戦記念日によせて 祖父の徳川慶光は第二次世界大戦で二等兵として出征しました。 そして終戦を迎え、爵位もりなくなり、第六天町の屋敷も膨大なる相続税として物納。 徳川慶喜の将軍、江戸時代から華族を経て、平民への移り変わりを体験してきました。 徳川家は時代と共に生きていました。
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徳川慶喜が食べていたフランス料理 フランス語なので読めませんが。。。(⌒-⌒; ) 慶喜公の字で裏書きしてあります。 史料として残しておく という意思がお有りだったのだと思います。 同じメニュー、食べてみたい! (о´∀`о)くいしんぼ♪
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徳川慶喜は 愚人は 自分の器量が分からず 天下取りになろうと自惚れる。 水戸家の七男坊でありながら、一橋家の当主になったことですら過分だ。 と言いました。 誠意に満ちた謙虚。 将軍になりたくない という我儘ではないのですよね。。。
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曽祖母の婚礼衣装と 祖母の婚礼衣装 この衣装には 家の威信が込められています。 時代は変わりましたね。
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光輪閣 高松宮御殿としての屋敷ですが、両殿下は国民が大変な時に自分たちだけこんな立派な建物に住めないとし、結婚式場などの会場として公開。両殿下はこの裏にある職員住宅に20年以上住んでおられました。2枚目はお正月に挨拶に行った写真(私、0歳〜昭和44年)
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高松宮喜久子妃殿下の卒寿を親族でお祝いしました。 左はおてんば姫の井手久美子叔母様、右はみみずの徳川和子おばば様 妃殿下と徳川家の波瀾万丈の90年を超えた絆。
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徳川慶喜の息子、 徳川慶久(右)と学友であり、親しき友である 日本初オリンピック選手 三島弥彦さん 友情の印であるプリクラならず 写真館で撮影されたツーショット写真。 いよいよ開幕ですね。
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大政奉還図 邨田丹陵(むらたたんりょう) 2枚目は左より 邨田画伯、徳川慶光、榊原喜佐子、井手久美子 徳川家と邨田画伯はかねてより交流がありました。 祖父の所有だったこの絵は明治神宮に奉納。 大政奉還により現代社会につながっていきました。 井手純おじ様のTwitterよりお写真拝借
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母の父〜徳川慶光 母の母〜徳川和子 祖父の父〜徳川慶久 祖母の父〜松平保男 祖父の祖父〜徳川慶喜と有栖川威仁親王、 祖母の祖父〜松平容保と水野忠敬 母は何という家に生まれたのだろう
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ナポレオン3世から贈られた軍服を着た徳川慶喜と、その100年以上のちに徳川慶喜を演じた本木さんと徳川慶朝 叔父は大してカッコ良くはないけれど(アンクル、ゴメン!)慶喜公も、もっくんもカッコイイです!!
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明治天皇の直筆
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人の一生は重荷を負うて遠き道を行くが如し 急ぐべからず 不自由を常とおもえば不足なし 心に望みおこらば困窮したる時を思い出すべし 堪忍は無事長久の礎 いかりは敵と思え 勝つ事ばかり知りて負くること知らざれば害その身にいたる おのれを責めて人を責むるな 及ばざるは過ぎたるよりまされり
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東照宮(徳川家康)送別 徳川家康の言葉、人の一生は。。。 は、徳川慶喜も大変感銘を受け、自筆で清書し、後世に遺しました。 私も小さい頃から聞かされていました。 コメント欄に全文掲載