山岸美喜(@yamagishimadam)さんの人気ツイート(いいね順)

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祖父は 東大を出た とは聞いていたけれど 半信半疑でした(⌒-⌒; ) おじいちゃま、ごめんなさい🙏
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叔父の徳川慶朝は大変な凝り性で、家にあった文献から、徳川慶喜は珈琲を飲んでいたことを知り、その時代に手に入ったと思われる豆でコーヒーを自ら焙煎し、茨城のサザコーヒーさんが商品にして下さいました。 祖父母の家に行った時と同じ香りが懐かしく思います。 #徳川将軍珈琲
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晩年の徳川慶喜(左)と 徳川昭武 この写真は反対を向いていますが 晩年も仲が良かったとのこと。 時代を生き抜いた人たちでありました。 やはり兄弟。鼻とか目の周りとか なんとなく似ているところがありますね。
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素晴らしい演技だったと思います。 心に伝わる気持ちがありました。 草なぎ剛、ギャラクシー賞個人賞 「青天を衝け」演技を評価「後世に残る徳川慶喜像作り上げた」 - 芸能 : 日刊スポーツ nikkansports.com/entertainment/…
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江戸城明け渡しをしたのち 徳川慶喜は 幕府に全てを捧げた会津とは、時間をかけて話し合いをすべき と朝廷側に伝えています。 朝廷側がそれを無視し、会津戦争が始まった。 慶喜の無念と悲しみ。 会津は最後まで誠の武士であった。と語っています。
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渋沢栄一さんから徳川慶喜への手紙 渋沢さんは大変勉強をされたというのが伝わる、美しい文字です。
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曾々祖父の徳川慶喜の墓地は東京上野の寛永寺敷地内にありますが、現在、私の管理下にあります。 毎年、春と秋にお墓参りをしています。 遺族が現在も生きていますので、大河ドラマに関わる方にお参りしていただきたかったです。 (映像を流すだけでなく) 連絡一切無し。。。
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徳川慶喜が撮影した 渋沢栄一邸と 小日向(現在の文京区)にあった自宅 徳川慶喜は様々な物を撮影し、 現在も慶喜家の資料として残っています。 写真の技術もさることながら 一枚一枚に愛情と時代を感じます。 きっとご自身もわかっていたと思います。 自分の生きた時代が歴史となることを
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〜徳川慶喜と明治天皇との交流〜 徳川慶喜は度々、明治天皇と共に食事をしておりました。 しかもフランス料理! 赤い文字は慶喜の筆。 招待状に切手がないという事は宮内庁から直々に届けられたという事ですね。 一つの資料から、その向こうにある風景が見えてくるようです。
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祖母から受け継いだ松平の色留袖 母から受け継いだ徳川の振袖 この他、菊の紋が入った高松宮妃殿下の着物があり、大切にしています。 着る物も昔と今とで概念が変わって来たかも知れません。 日曜日の橿原での講演会には色留袖を着つけていただく事になりました。
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4世代 慶喜〜慶久〜慶光〜慶朝〜美喜 歳の差131歳 生きていたら184歳
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結婚する時、母から受け継いだ真珠のブレスレット 高松宮喜久子妃殿下から姪である母に結婚のお祝いに贈られた品で、今度は私に。 当時はあまり深く考えずにいました。今は反省と感謝です。 品物そのものではなく、品物に込める気持ちが何よりも大切。 #遺品 #徳川家
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「青天を衝け」では草なぎさんの演じる慶喜公、とても似ていると思います。 慶喜公はとにかく争い事を避けるべく、悔しいと心の底では思いながらも遠慮深く、自分の立場より平和を望んでいた人。 周りの方はあまりに忍びなく、それを良しとしなかった所があったかも知れません。
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晩年の高祖父、徳川慶喜公の写真 草なぎさん、雰囲気といい素晴らしい演技力だと思います。 瞳の奥の思慮深さ。 でも草なぎさんの方がシュッとしててカッコ良いかも。20%増し。 個人的ツボはオデコ^^; #青天を衝け #徳川慶喜公 #大河ドラマ #草なぎ剛さん #ソックリ
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曽祖母の婚礼衣装と 祖母の婚礼衣装 この衣装には 家の威信が込められています。 時代は変わりましたね。
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子孫の立場として大河ドラマを見る。 という状況はあまりないかと。 せっかくの機会なので楽しみながら拝見しています。 先週の慶喜公のシーンはこういった写真からのイメージが影響してる? 明日はどんな場面があるか楽しみです。 #大河ドラマ #青天を衝け #徳川慶喜 #草なぎ剛さん
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明治天皇の直筆
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高松宮妃殿下が、仲が良かった義妹の徳川和子に譲ったお着物。 28年前、私の結婚の折に祖母から譲り受けました。 皇室の菊の柄と、妃殿下のお印の撫子をあしらった柄。 もう消えかかっていますが、高松宮家の御紋つき。 日本の誇るべき歴史と文化と芸術だと思います。
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〜徳川慶喜家のお雛様〜 徳川慶喜家では、 子女をとても大切にしていて 内孫の喜久子姫のために 立派なお雛様を揃えました。 のちに高松宮家へお上がりになるのですが 高松宮家へ持参し のちに静岡県に寄贈されました。 お雛様って愛情こもった 日本文化だと思います。
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1964年、母が徳川家から出る時、祖母が娘にしてあげられる最後の事として、徳川紋の振袖をあつらえました。 戦後、徳川家の最後のプライドです。 その着物で1993年に今度は私が結納を交わしました。 着物には愛が宿ります。
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ナポレオン3世から贈られた軍服を着た徳川慶喜と、その100年以上のちに徳川慶喜を演じた本木さんと徳川慶朝 叔父は大してカッコ良くはないけれど(アンクル、ゴメン!)慶喜公も、もっくんもカッコイイです!!
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幻の徳川勲章 諸外国では国が勲章を授ける事をしていたので、薩摩が勲章を作る事により、薩摩藩が海外では国として認められようとしつつありました。 それに対抗し、幕府も徳川勲章というのを作ったのですが、大政奉還を迎えたので、受賞者のないまま、幻となってしまいました。 写真はレプリカ
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徳川慶喜はカメラが趣味で、あちこちに出かけてはカメラを構えたのですが、渋沢さんの家も撮影していました。 今頃、飛鳥山(東京都北区)の桜の見頃ではないでしょうか? 徳川慶喜撮影 渋沢栄一邸
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徳川家の家紋が三つ葉葵というのは、よく知られていると思いますが それぞれの家で微妙に違います。 テレビの影響で、みんな一緒と思われがち。 徳川慶喜家のお墓の門には 慶喜家の家紋 祖母からいただいた着物には 祖母の実家である会津松平家の紋(松平家も三つ葉葵)