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藤原兼子は、自身には子はいなかったものの、姪など親族が後鳥羽上皇との間に皇子を産んだことで権力を持つようになりました。
兼子が頭角を現し始めたのは、初めて結婚した45歳の頃で、一人目の夫を失った際には、兼子の政治力を求めて再婚の申込が跡を絶たなかったといいます。
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源仲章の血筋が、鎌倉幕府を滅ぼす後醍醐天皇につながるまで
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鎌倉時代の北条氏と戦国時代の小田原北条氏の血の繋がり
幕府滅亡後も足利氏と戦いを繰り広げた北条時行の末裔が、北条早雲の子、北条氏綱の妻となったことで北条を名乗ったとする説があります。
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藤原秀康は和田義盛の縁戚にあたる人物です。
和田義盛の弟、和田宗実の子、秀宗が、藤原秀郷の流れを汲む藤原秀忠の養子になり、藤原秀康に続いたとされます。
藤原秀康は、和田義盛が上総介任官を願い出た際に、義盛に代わって上総介になり、義盛は諦めたという因縁もありました。
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