1901年9月7日、義和団事件が終結しました。 清が列強に分割される中、西太后が「扶清滅洋」を叫ぶ義和団の支持を受けて、欧米諸国に宣戦布告した一連の動乱を義和団事件と呼びます。 この事件を通じて、イギリスは秩序ある日本の行動を評価し、1902年の日英同盟締結の契機となりました。
1951年9月8日、サンフランシスコ平和条約が締結されました。 これにより日本と連合国の戦争状態が終結しますが、ソ連は米軍の駐留に反対し条約に署名せず、現在もロシアとの講和条約は締結されていません。 同日、日米安全保障条約が締結され、引き続き米軍が日本に駐留することとなります。
エリザベス女王は1926年の生まれです。 10代の頃に第二次世界大戦を経験し、軍の女性部隊であるATSに入隊し、トラックの運転やエンジンの修理の訓練を受けていました。 その経験もあって、車の運転はお手のもので、私有地内を自ら運転して、外国の要人を案内したというエピソードも残っています。
「正露丸」は「征露丸」とも呼ばれていました。 つまり、「征露」=ロシアを征伐するという意味で、日露戦争の期間に広く軍の間で使用されました。 戦後、戦勝ムードの中で民間にも知れ渡り、「ロシアを倒した万能薬」として多くのメーカーから販売され、日本独自の国民薬として普及していきました。
2001年9月11日、アメリカ同時多発テロ事件が起こりました。 イスラム過激派のアルカイダの攻撃によって2977人が亡くなり、25000人以上の負傷者が出たほか、インフラなどに多くの被害をもたらしました。 9・11テロ事件と呼ばれるこの事件を契機にアフガニスタン紛争が勃発し対テロ戦争が本格化します。
源実朝が結婚した頃の登場人物たちの年齢(満年齢) 北条義時 41歳 北条時政 66歳 北条政子 47歳 源実朝  12歳 千世(実朝の妻)11歳 三善康信 64歳 大江広元 56歳 畠山重忠 40歳 平賀朝雅 22歳 北条時房 29歳 北条泰時 21歳 実衣   45歳 三浦義村 36歳 和田義盛 57歳 八田知家 62歳 #鎌倉殿の13人
1912年9月13日、乃木希典が明治天皇の後を追って殉死しました。 乃木は日露戦争の旅順攻囲戦を指揮し、情報や物資が不足する中でロシアを圧倒し、「日露戦争の英雄」とも呼ばれています。 この和やかな写真が撮られた日、つまり、明治天皇の「大喪の礼」が行われた日に妻・静子と共に自刃しました。
1832年9月13日、鼠小僧が処刑されました。 大名屋敷のみを狙って盗みを行い、それを貧しい人に施したことから義賊と讃えられています。 捕まった時は財産はほとんどなく、処刑前の市中引き回しでは有名人の鼠小僧がみすぼらしい格好だと反発を買うことから、奉行所が豪華な着物を用意したといいます。
1923年9月16日、甘粕事件が起きました。 無政府主義者の大杉栄と内縁の妻・伊藤野枝が甘粕正彦らによって扼殺され、遺体が井戸に遺棄されました。 甘粕はこの事件で10年の実刑判決を受けますが、実際には約3年で出獄しています。 その後は一旦フランスへ移住し、1929年には満州へ渡りました。
1894年9月17日、日清戦争で「黄海海戦」が起きました。 この海戦で、清国主力の北洋艦隊を撃破しました。 北洋艦隊の水師提督・丁汝昌は、伊東祐亨中将率いる連合艦隊に敗れ、部下の助命を条件に降伏した後、毒を仰いで自決しました。 伊東は敵将である丁に敬意を表し、丁の遺体を帰国させました。
1971年9月18日、日清食品が「カップヌードル」を発売しました。 チキンラーメンの開発者である安藤百福がアメリカにも売り込みますが、箸と丼が身近になく売れませんでした。 アメリカ人が袋麺を紙コップに入れ、フォークで食べていたのを見て現在のカップ麺が開発されました。
畠山重忠の乱時の登場人物の年齢(満年齢) 畠山重忠 41歳 北条義時 42歳 北条時政 67歳 北条政子 48歳 三浦義村 37歳 三浦胤義 20歳 源実朝  12歳 三善康信 65歳 大江広元 57歳 平賀朝雅 23歳 足立遠元 73歳 北条時房 30歳 北条泰時 22歳 和田義盛 58歳 八田知家 63歳 長沼宗政 43歳 #鎌倉殿の13人
今日は敬老の日です。 1947年に兵庫県で「敬老会」が開催されたのが始まりで、1966年に祝日として制定されました。 会を主催した村長の門脇政夫は、「老人を大切にし、年寄の知恵を借りて村作りをしよう」と戦後の混乱期かつ子供を戦場に送り精神的に疲労の極にあった親世代に報いようとしました。
1854年9月19日、高橋是清が生まれました。 13歳で海外留学した際、ホームステイ先で年季奉公の契約書に騙されてサインしてしまい、終いには売られてしまいます。 そこで奴隷として扱われますが、本人は奴隷になっているとは気付かず、キツイ勉強だと思っていたそう。 この間に語学を習得したそうです。
明治時代に外国人によって撮影された日本の風景
1933年9月21日、宮沢賢治が亡くなりました。 『銀河鉄道の夜』『風の又三郎』童話集『注文の多い料理店』などが有名ですが、生前にほとんど作品は一般に知られておらず、没後に作品が世に知られ広まりました。 作家の他に教師、科学者、宗教家など多岐に活躍しましたが、37歳の若さで亡くなりました。
今日は秋分の日です。 戦前は秋季皇霊祭とされており、歴代天皇、皇族を春と秋にまとめて祀る日として祝日に指定されていました。 現在も宮中では従来どおり、秋季皇霊祭が行われています。 1948年から秋分の日として祝日とされており、「祖先をうやまい、なくなった人々をしのぶ」日とされています。
1877年9月24日、西南戦争が終結しました。 西郷隆盛を中心に鹿児島士族達が起こした反乱で、明治初期の一連の士族反乱の中でも最大規模のものです。 政府軍の城山への総攻撃により敗戦を悟った西郷は最期、共に戦った別府晋介に 「晋どん、もうここらでよか」 と介錯を頼み、自決しました。
畠山重忠の乱直後の登場人物の年齢(満年齢) 北条義時 42歳 北条時政 67歳 りく 44歳前後 北条政子 48歳 実衣 46歳前後 源実朝  12歳 千世 12歳 北条時房 30歳 北条泰時 22歳 平賀朝雅 23歳 後鳥羽上皇 20歳 三浦義村 37歳 和田義盛 58歳 八田知家 63歳 #鎌倉殿の13人
1915年9月28日、斎藤一が亡くなりました。 新撰組三番隊隊長を務め、戊辰戦争では会津藩に従い戦いました。 明治以降は警視庁の警察官となり、西南戦争にも従軍、退職後は現筑波大学の守衛、現お茶の水女子大学の庶務掛などを務めたほか、学生に剣術の指南も行っていたといいます。
明治時代に撮影された日本の風景
明治時代に撮影された電柱のある日本の風景 最初は電信用の柱として作られ、のちに電話用、電気用としても使われるようになります。 当時の電柱は木製で、明治維新から10数年が経った頃には電柱のある風景は日本のいたるところで見られるようになりました。
今日は「日本酒の日」です。 大の酒好きとして知られる名画家の横山大観は、人生後半の50年は飯をほとんど口にせず、酒と肴と少量の野菜だけで済ませていたようです。 それにも関わらず、大観は大病もせずに90年近い寿命を全うしました。 特に、日本酒「醉心」をこよなく愛していました。
1964年10月1日、東海道新幹線が開業しました。 東京オリンピック開幕の9日前の開業で、世界初の高速鉄道として注目を集めました。 新幹線という呼称は、戦時中に計画された東京-下関間をつなぐ弾丸列車計画の内部呼称に由来するとされ、広軌による幹線、広軌幹線とも呼ばれていました。
牧氏事件が起きた時の登場人物の年齢(満年齢) 北条義時 42歳 北条時政 67歳 りく 44歳前後 北条政子 48歳 源実朝  12歳 北条時房 30歳 北条泰時 22歳 三浦義村 37歳 和田義盛 58歳 八田知家 63歳 平賀朝雅 23歳 後鳥羽上皇 25歳 慈円   50歳 藤原兼子 50歳 #鎌倉殿の13人