明治末期の皇居の様子
今日は「日本茶の日」です。 建久2年10月31日、臨済宗の開祖・栄西が宋から帰国し、茶の種子と製法を持ち帰ったことから制定されました。 鎌倉時代の歴史書『吾妻鏡』では、二日酔いで苦しんでいた鎌倉幕府の3代将軍・源実朝に、栄西が茶を献じて、実朝の二日酔いが回復したという記録があります。
今日は卵かけご飯の日です。 戦国時代に南蛮人が渡来し肉食とともに卵を食べる文化が根付き、江戸時代後期には鍋島藩の日記に「御丼 生玉子」との記載が残っています。 卵かけご飯の明確な記録が残っているのは日本初の従軍記者である岸田吟香が初めてで、周囲に卵かけご飯を勧めたといわれています。
明治時代末頃の日光
1837年10月28日、徳川慶喜が生まれました。 最後の将軍として大政奉還を行い、明治維新後は徳川宗家とは別に公爵に任じられました。 静岡を拠点に悠々自適の暮らしを送りましたが、新政府に従わずに戊辰戦争を戦った旧幕臣らとは関わることを避け、面会も拒絶していたといいます。
1909年10月26日、伊藤博文が、日本による韓国支配を嫌った民族活動家・安重根に射殺されました。 しかし、博文は韓国併合には否定的で、暗殺により皮肉にも韓国併合が加速しまったという見解があります。 博文は自分を狙撃したのが韓国人だと分かると「馬鹿な奴だ」と呟いたそうです。
約100年前に撮影された東京の風景
ロサンゼルス五輪の馬術障害飛越競技での金メダリスト、西竹一。 西は10歳で父を亡くしたことで莫大な遺産を相続し、不本意ながら大金持ちになります。 そのせいか、お金の使い方が豪快で、イタリアで一目惚れした愛馬ウラヌスを購入する際も、相場の約5倍の価格でしたが、キャッシュで即決しました。
1867年10月18日、アラスカがロシアからアメリカに売却されました。 アラスカの経営に行き詰まったロシアが現在の価値で約140億円ほどでアメリカに売却しました。 アメリカでも当時は「巨大な保冷庫を購入した」と非難されますが、その後金鉱や油田が発見され、アメリカに莫大な利益をもたらしました。
明治時代に撮影された京都の風景
1967年10月17日、愛新覚羅溥儀が亡くなりました。 わずか2歳で清朝第12代皇帝、つまり「ラストエンペラー」として即位しました。辛亥革命により清王朝が滅亡した後、1932年に日本が建国した満州国の国家元首に就任します。 日和見主義との評価がありますが、「清朝の復活」という軸は貫き続けました。
明治時代に撮影された、下の子の世話をする姉たち
渋沢栄一の女遊びの激しさは妻も認めており、後妻の兼子夫人は「論語とは上手いものを見つけたよ。あれが聖書だったらてんで守れてないものね」と語ったそうです。 キリスト教では姦淫は禁止ですが、論語には性に関する戒めの記載がなく、論語を重んじた栄一をからかったものでした。 #青天を衝け
渋沢栄一は女遊びも激しく、子供は50人から100人いるともいわれています。 のちに財産管理のための「渋沢同族会」が発足しますが、この会には栄一の子と認められた人物しか入ることはできませんでした。 遺産争いを避けるためですが、それだけ子供が多かったことにもなります。 #青天を衝け
渋沢栄一が大阪で出会ったのがのちに妾となる大内くにです。 くにとの間にできた子の文子が、尾高惇忠の子の次郎に嫁ぎ、次郎の孫が大河ドラマテーマ曲の指揮を務める尾高忠明氏になります。 妹の照子は、栄一の妻千代の姉の子で、後に富士製紙社長などを務める大川平三郎に嫁ぎました。 #青天を衝け
写真は明治末期の「蹴上インクライン」です。 京都市・南禅寺の近くにあり、琵琶湖疏水を運行していた船を運航させるために敷かれた傾斜鉄道の跡地で、全長582mという長さは、世界最長となっています。 1891年から1948年まで運航し、現在その廃線跡は京都市の文化財に指定されています。
1967年10月9日、チェ・ゲバラが亡くなりました。 キューバ革命を成功に導き、その後も世界各地で革命家として活動しました。 39歳という若さで、ゲリラ活動中に射殺されました。 生前、ゲバラは広島を訪れており、原爆の恐ろしさを知った彼は、キューバで原爆教育に力を入れるようになったそうです。
1594年10月8日、石川五右衛門が処刑されました。 都市部を荒らし廻り、豊臣秀吉によって一族もとろも処刑されました。 生きたまま油で煮殺され、子供を守るため自身が息絶えるまで子供を持ち上げていたという伝説が残っています。 江戸時代以降、伝説の大泥棒として多くの作品の題材となりました。
アメリカ人写真家によって撮影された明治時代の日本の風景
1938年10月5日、詩人の高村光太郎の妻、智恵子が亡くなりました。 のちに高村光太郎が妻のことをうたった詩をまとめた『智恵子抄』に収められている詩のひとつにある、智恵子が亡くなる数時間前にレモンをかじる姿をうたった「レモン哀歌」にちなんで、今日は「レモンの日」とされています。
富岡製糸場は主要な輸出品の生糸の品質を高め、国際的信用を取り戻すために設立されました。 初代工場長は尾高惇忠が務め、旧士族の娘らから工女を集めました。 工女になると西洋人に生き血を飲まれるとの噂で工女集めは難航しますが、惇忠は噂を払拭するために娘を工女第一号としました。 #青天を衝け
渋沢栄一の長女の長女の歌子と二女の琴子の写真です。 歌子は枢密院議長となる穂積陳重に嫁ぎ、琴子は大蔵大臣、東京市長を務めた阪谷芳郎に嫁ぎました。 #青天を衝け
今日は「日本酒の日」です。 大変な酒好きとして知られる、画家の横山大観は、人生後半の50年は飯をほとんど口にせず、酒と肴と少量の野菜だけで済ませていたようです。 それにも関わらず、大観は大病もせずに90年近い寿命を全うしました。 特に、日本酒「醉心」をこよなく愛していました。
次期総理大臣となる岸田文雄氏は現在64歳ですが、日本初の総理大臣である伊藤博文は就任当時20歳も年下でした。 40代が中心で最年少は38歳だった日本初の内閣の閣僚たちをまとめています! youtu.be/l_KlubVrgNY
アメリカ人写真家によって撮影された明治時代の日本の風景