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頼家が修善寺に送られた頃の登場人物たちの年齢(満年齢)
北条義時 40歳
北条時政 65歳
北条政子 42歳
北条時房 28歳
実衣 40歳
源実朝 11歳
三浦義村 35歳
和田義盛 56歳
八田知家 61歳
畠山重忠 39歳
平賀朝雅 21歳
後鳥羽上皇 19歳
北条泰時 20歳
源頼家 21歳
#鎌倉殿の13人
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比奈は、義時と離縁した後に、京都の貴族で歌人としても有名な源具親に再婚します。
具親との間に、輔通、輔時という2人の子をもうけ、輔時はのちに、比奈と義時の間に生まれた北条朝時の養子となります。
輔通も、幕府の後押しで官位の任官を受けるなど、北条氏との縁は続きました。
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1945年8月15日、捕虜収容所にいた日本兵と、勝利を喜ぶアメリカ兵の様子
#終戦記念日
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1945年8月15日、終戦を迎えた人々の様子
#終戦記念日
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善児の弟子 トウは、義時の郎等として『愚管抄』に登場する「藤馬」がモデルになったといわれています。
慈円が書いた『愚管抄』によると、屋敷から逃された一幡は、比企能員の変から2ヶ月後に、義時の郎等、藤馬によって殺害されたとのことです。
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阿野全成の娘が公家に嫁ぎ、阿野の名字と領地を相続したことで阿野家は公家として残り、全成の血は天皇家にと繋がります。
養子を挟みながら昭和まで続くも、戦争で当主と後継ぎが戦死し断絶。
阿野家の墓は今も谷中霊園にひっそりと建っています。
#鎌倉殿の13人