1863年6月27日、伊藤博文、井上馨ら長州藩士5名がイギリス留学のため密出国しました。 伊藤博文の持ち物は間違いだらけの英和辞典と寝間着だけで、渡航途中の船では水兵同然のひどい扱いを受けたといいます。 彼ら5名はロンドン大学にて「長州ファイブ」として顕彰碑が建てられています。
1940年8月8日、「戦艦大和」が呉海軍工廠にて進水しました。 しかし、機密保持の点から、進水式は公表されてませんでした。 式には久邇宮朝融王が臨席しましたが、一般客はおらず、工廠関係者たち約1000人に見守られながら静粛に執り行われました。 写真は、翌年呉工廠にて最終艤装中の大和です。
1481年12月12日、一休宗純が亡くなりました。 一休さんの愛称で知られる幼少期の虎退治などの逸話は創作といわれていますが、破天荒な人物で、後にとんち話を生むことに繋がりました。 飲酒、肉食、女は当たり前で、男色も好み、大きな木刀を腰に差して街を歩くなどだいぶ人間臭い人物だったようです。
1945年5月25日、B29爆撃機470機によって東京で空襲が行われ、3,651人の死者が出ました。 この空襲で天下三名槍の一つ「御手杵」が松平家所蔵の宝物とともに焼失してしました。 当主は槍を埋めるように言っていましたが、家人が宝物にそんな扱いはできないと無視していたことが仇になったようです。
1933年9月21日、宮沢賢治が亡くなりました。 『銀河鉄道の夜』『風の又三郎』童話集『注文の多い料理店』などが有名ですが、生前にほとんど作品は一般に知られておらず、没後に作品が世に知られ広まりました。 作家の他に教師、科学者、宗教家など多岐に活躍しましたが、37歳の若さで亡くなりました。
今日は『#ねこの日』です。 ネコはネズミの害から穀物を守るために奈良時代頃に中国から輸入され、以降長きにわたって鼠害防止の益獣、および貴重な愛玩動物として扱われました。 江戸時代にはネコが貴重で少なかったため、ネズミ駆除のために猫絵を描いて養蚕農家に売り歩く者もいました。 #猫の日
1914年12月24日、第一次世界大戦において、一部の地域でドイツとイギリスがクリスマス休戦を実施しました。 英独の将兵らは品物の交換や記念撮影などをして、互いにクリスマスを祝いました。 当時従軍していたヒトラーは「戦時中にこのような事をするべきではない」と仲間たちを叱りつけたようです。
1867年3月30日、アメリカがロシアからアラスカ一帯を購入しました。 売却額は現在の貨幣価値で約134億円でした。 当初は「巨大な保冷庫を購入した」と非難を浴びましたが、金鉱が発見されるなど資源の宝庫であることが判明、冷戦期には国境を接する重要拠点になるなど、評価が上がりました。
1945年4月7日、鈴木貫太郎内閣が発足しました。 太平洋戦争を終戦に導いた首相としても有名です。 本土決戦などを唱える強硬派の軍人たちを巧みに扱いながら、和平への道筋をつけるべく尽力し、最後は昭和天皇の「聖断」に委ねるという形で終戦に持ち込みました。
1185年4月25日、壇ノ浦の戦いで平氏一門が滅亡しました。 6歳の安徳天皇をはじめ、母の建礼門院、平宗盛、平知盛ら一門が次々と入水しました。 この内、平宗盛、平時忠、建礼門院らが生き残り京に護送され、総帥であった平宗盛は斬首、平時忠は流罪、建礼門院は出家し余生を送りました。
今日は #ビキニの日 です。 1946年7月5日にルイ・レアールがその小ささと周囲に与える破壊的威力を原爆にたとえ、ビキニと命名して水着を発表したことに由来します。 この発表の数日前の7月1日に、ビキニ環礁でアメリカによって第二次世界大戦後初の原爆実験が行われていました。
1573年5月13日、武田信玄が亡くなりました。 織田信長、徳川家康と対立し、三方ヶ原の戦いで勝利した4ヶ月後の突然の死でした。 信玄は自身の死を3年は秘匿することを遺言に残し、武田勝頼は遺言を守り葬儀を行わなかったといいます。 そのため、武田家では信玄は御隠居様と呼ばれ続けました。
1858年10月27日、セオドア・ルーズベルトが生まれました。 有名な人形「テディ・ベア」の名前は、彼が由来となっています。 また、新渡戸稲造の『武士道』を読んで、あまりに感動したため、30冊も購入して知人に配布し、さらに5人の子供にも熟読するように指示するなど、日本贔屓が進んだそうです。
1945年3月10日、東京大空襲が行われました。 都市部を標的とした無差別爆撃によって被災者310万人、死者11万5千人以上の被害を出しました。 アメリカ軍は東京侵入の際に、富士山を第一目標に、その後進路を東にとって東京を目指しました。
8年後の1897年(明治30年)に撮影された品川駅の様子です。 構内の様子がだいぶ変わっているのが見て取れます。
1923年9月6日、福田村事件が起きました。 関東大震災の混乱の中で、千葉県で香川県からの行商人が地元の自警団から暴行を受け9人が亡くなりました。 200人ほどの自警団が「言葉がおかしい」など次々と言葉を浴びせ、村長が「日本人ではないか」と言っても聞かず、事件は起きました。
1976年9月21日、週刊少年ジャンプで「こちら葛飾区亀有公園前派出所」の連載が始まりました。 1度の休載もなく連載され、単行本は全200巻におよび、ゴルゴ13に抜かれるまでギネス記録に認定されていました。 2016年の連載終了後も、たびたび新作が掲載され、10月4日には201巻の発売が決定しています。
赤穂浪士の討入り、桜田門外の変、二・二六事件は、どれも「雪」を連想させる事件です。 しかし、二・二六事件は「降雪中」の事件ではありませんでした。 反乱軍による首相官邸などの襲撃が一通り済んだ午前6時頃、まだ雪は降っていなかったようです。 積もっている雪は数日前の大雪によるものでした。
1986年7月31日、杉原千畝が亡くなりました。 ナチスドイツの迫害から逃れてきたユダヤ人に大量のビザを発給し、避難民を救出したことで知られています。 このビザ発給は外務省の訓令に反したものですが、杉原はのちに「大したことをしたわけではない。当然のことをしただけです」と語っています。
1964年東京オリンピックの開会式の様子です。 1945年8月6日、原爆投下の1時間後に生まれた最終ランナー坂井義則による聖火点灯は日本復興の象徴となりました。 10万人以上の観客が見守る中、参加94ヵ国、7060人の選手団による入場行進が行われ、東京オリンピックが始まりました。 #tokyo2020
今日は山の日です。 2014年に制定され、お盆休みと連続させやすいことから、当初はお盆の前日の8月12日にする案が採用されていました。 しかし、8月12日は、御巣鷹山で日本航空123便墜落事故が起きた日で、山の日と制定するには不適切との指摘が相次ぎ、8月11日が祝日とされました。
渋沢栄一とともにフランスに渡った高松凌雲は箱館戦争で日本初の赤十字活動を行いました。 敵味方を問わずに治療を行う姿を新政府軍に評価され、榎本武揚との降伏交渉の使者となりますが、傷病者の治療が終わると賊徒の医師としてお預けとなり、寒さと栄養失調でリューマチを患いました。 #青天を衝け
金ヶ崎の戦いが起きた時の登場人物の年齢(満年齢) 徳川家康 27歳 浅井長政 25歳 お市 20歳前後 酒井忠次 43歳 本多忠勝 22歳 榊原康政 22歳 平岩親吉 28歳 渡辺守綱 28歳 石川数正 37歳 織田信長 35歳 木下藤吉郎 33歳 柴田勝家 48歳前後 明智光秀 54歳 #どうする家康
1943年7月29日、キスカ島撤退作戦で日本軍守備隊が撤退を完了しました。 キスカ島の包囲軍に全く気づかれずに、無傷で守備隊の撤収に成功したことから奇跡の作戦と呼ばれています。 撤収の際、いたずらで日本軍は『ペスト患者収容所』という看板を残したことから、アメリカ軍は大混乱したといいます。
今日は『苗字の日』です。 江戸時代までは公的に苗字を使用したのは公家、武士ら支配層に限られ、一種の特権でした。 明治政府によって、1870年に平民にも苗字の使用が許可されましたが、あえて苗字を使用しないものも多く、1875年2月13日に苗字の使用を義務付ける『苗字必称義務令』が出されました。