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新TVシリーズガンダムは、ターゲットを下げようと主人公の年齢も下げた。やはり、SDガンダムの影響が強かった。
富野監督も納得していた。作画現場的に非常に厳しい環境の中、F91や0083の作画クオリティをTVでは無理であった。テレビ朝日で始まったそのシリーズは、局さんには歓迎されていなかった
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ガンダムの名の下、原作者であるサンライズがノーコントロール状態のコンテンツが子供達の支持を得ていた。コンテンツの中心にいる出版社の編集長に、もうリアルGの時代では無いね、とまで言われ.この状況に対し色々議論したが、サンライズは関わらないと決めた。制作者としては敗北であった。そこでー
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会社の未来をどう分かち合うのか、当時のバンダイ山科社長と、サンライズの役員達との信頼関係があったからこそ、実現出来た案件だった。そしてそれは山科元社長のバンダイにおける最大の功績だと思っている。数百倍の価値を生み出しているはず。当時のガンダムはと言うと、かなり微妙な状況だったー
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水面下でいつから話しが始まったのかは不明だが、Vガンダムの放送前だろうと思う。
当時のオーナー役員達も虫プロ時代から、様々な苦労をして来てたから、相当疲れていて、ガンダムと言うヒット作品も出せ、経営的にも資産的にももう充分と思っていたように見える。
正直もう少し夢を見て欲しかった
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#サンライズを語る
既に30年近く経った。Vガンダムの放送中、Gガンダムの企画中に株譲渡は発表された。
今これまでの歴史を振り返ると、バンダイグループに入った事は成功だったのだろう。
しかしグループ入りしていなければ、Gガンダムはあそこまで振り切れなかっただろう。
まさに開き直りだった。
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社内の発表を、いつどうやったか全然記憶に無い。
当然最初は箝口令が引かれ、知っているのはごく一部のメンバーだけだった。
タカラ担当の吉井Pは血相変えて、絶対認めない!撤回させよう!と社長達に詰め寄っていた。
自分のサンライズ退社のカウントダウンはこの風月堂会談から始まったのだろう。
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今まで通り作り続けるのと、中心メンバーは変わらず残すのを条件とした⁉︎と。
自分は売られたな、と思った。
しかし、当時自分はバンダイ担当であり、たくさんの知り合いもいたので、まあ今まで通りかと思って、色々な思いは封印した。
しかし社内の他のメンバーは、この状況に右往左往だった。
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その上で会社を一番理解してくれるだろうバンダイに譲渡すると。
ガンダムの最大のクライアントであるバンダイと組むのは至極当然の判断だ。
自分のあっさりしたリアクションに少々意外な顔付きの三人。
自分はどうなるんですか?
引き続き、会社の中心となって働いてもらうと。
スタジオはアニメをー
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意外に冷静にその話しに対応した自分がいた。
色々な理由を述べていたが、とにかく自分達が経営を続け、年取ってから冷静な判断が出来ず、会社にとって老害となるのだけは阻止したいと。
スタジオ経営の厳しさは身に染みていたが、いずれはそう言った事もあるでしょう、それを前倒しすると言うこと?
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1993年某日、サンライズがバンダイへの株譲渡をする話しを聞いたのは銀座の風月堂であった。
社長以下専務、常務の三人に呼び出され、傘下に入ると。
まさに、晴天の霹靂、玉音放送であった。
昨日までプロダクションは自立してこそ良い作品が生まれる。独立独歩の精神こそ根幹。
#サンライズを語る
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名前の持つ影響力、ブランド名を大事にしない人達に、
感動を呼ぶ作品が送り出せるのだろうか?
作り手とファンの気持ちが育んできたブランド力が感動を積み上げてきた。死ぬまで新社名に馴染まないだろう。それも止む無し。
#サンライズを語る
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1979年4月上井草の日本サンライズに入社、ガンダム班に配属、1982年3月13日 #ガンダムめぐりあい宇宙 で初プロデューサー職を拝命、以降2000年9月30日博多で #劇場版エスカフローネ のイベント上映を見守り退社。
既に22年前の話しだが、卒業した母校が統廃合でなくなり、地元に校舎も無い淋しさ。
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ただ淋しいだけ🥲 twitter.com/SUNRISE_web/st…
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新人監督渡辺信一郎、自分の第三スタジオシティーハンター班に制作進行として来てから何年経っていた?
彼への花向けでもあった。
このやり方を通してくれた代理店の方、アニメに並々ならぬ愛情を持っているが故の頑張りに心から感謝。
ヒットを確信した、自分は次のミッション映画化と走り出した。
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1998年4月、ビバップ地上波放送が始まった。
第一話mission2第二話mission3.第三話mission7
どうなっているんだ⁉︎
視聴者からの反応は凄かった。ビデオを売るためのあざとい戦略か⁉︎
放送が始まり、カウボーイビバップのヒットを確信した。
たられば言っても仕様が無いが、全てが偶然と必然だった
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ビバップが駄目だったが、富野監督の #ブレンパワード をwowowさんとやって信頼関係が出来ていた。wowowのアニメの井戸を掘ってくれた人、と田中角栄並みの扱いだった(笑)
事情を話すと、無くした子供が帰ってきた!と即局内根回しに。
6月にTXで放送終了、10月からwowow前代未聞の出来事だった
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放送枠についてワガママを言ったので放送料は無料だったと記憶している。
人間追い込まれ開き直ると怖いものは無い、TV東京さんには出入り禁止となっても、全話放送に向け動き出した。
ビバップは以前wowowさんにプレゼンしていた。内容は気に入って貰ったがネームバリューが無く厳しいとの判断だった
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放送権は1回のみ、終了後に他局での放送を了承するという要請だ。
旧作アニメの購入の場合を除き、通常新作アニメの放送権は三年2回と言うのが慣例だった。
それを一回、あり得ない要請だか、代理店の方はそれを押し通してくれた。その方も相当大変だったはず、心の底ではふざけた要求だ!と。感謝した
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これ以降の話しを知りたい方は、#アニメプロデューサー塾 へ!(笑)
と言いたいが、そんなセコい事は言わない。
スタッフには、必ず全話放送すると約束し、水面下で交渉に入った。確信は無かったが、それしか方法が無かった。それはテレビ界の慣例を飛び越える方法だった。
代理店にお願いをした
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今度はスタッフをどう説得するかと言う問題が立ちはだかった。
仮に1クール放送がOKされても残りはどうする?
当初の構成を変える事を了解させられるのか?
制作がスタートして二年以上、制作費も相当嵩んでいた。
これ以上放送が遅れれば、制作費も更に上昇、スタッフのやる気も落ちる。さあどうする