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写真や当時の資料が散逸してしまうと、こうした荒唐無稽な証言ですら、虚偽であることを証明するのは大変な作業になります。そのため、被害証言というのは言いたい放題になりがちです。歴史を検証するにあたって一次史料の保存記録がいかに大切か、あらためて強く感じます。
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朝鮮人はまるで強制収容所に入れられ、拷問を受けながら強制労働させられたというイメージが広がっていますが、寮には裁判で事実認定された憲兵などおらず、寮母さんが世話をしてくれました。寮からも自由に出入りができ、給料も払われ、食事も出され、風呂も用意されました。日本人と全く同条件です。
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まだご覧になられていない方、ぜひ、こちらの動画で、三菱重工元社員の奥田さん、寺内さんのお話をお聴きください。
youtu.be/NECP7AJRJNM
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朝鮮人労務者は「食べ物や生活様式が違うため、よく文句を言っていた」とあります。そのため寮母や舎監は徴用工らに気を使い、なるべく不満を抱かないよう食事も要望に応えようと配慮したことがわかります。裁判では、そうした事実は全く考慮されず「腐った臭い」などという証言を事実認定しています。
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当時は、いわゆる「朝鮮人徴用工」のことを「半島出身応徴士」と呼んでいました。”徴用に応じる「士=立派な男子」”という意味です。この名称からしても、奴隷のように強制的に連行された人々という扱いではありませんでした。共に戦う仲間としての期待と敬意が込められた呼称だったように感じます。
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詳細は、画像の手記を読んでいただければ、その実態がいかにひどいものであったか想像がつくと思います。憲兵が監視して、奴隷のように強制労働させられたという証言とあまりに食い違いすぎて、こちらも茫然としてしまいます。もっと、何が実態であったのか当時の一次史料を明らかにしていくべきです。
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仮に寮母さんの手記が大げさだったとしても、毎日数十人の半島出身応徴士が西寮だけでズル休みをしており、三菱重工側は対応に苦慮したことが想像できます。おそらく彼らを迎え入れた時は、全く想定していなかった事態だったと思います。「過酷な労働」という証言と実態は、大きくかけ離れています。
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毎日、ズル休みをしている数十人の労務者には寮で昼食を食べさせて、真面目に職場へ行った労務者には「過酷な労働」を強制し、「えげつない差別」のもと「死に至る折檻」などをしていると思う方が理解に苦しみます。 twitter.com/noharra/status…
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手記には、女子挺身隊として全国から勤労動員された日本人未婚女性らの若い女工に囲まれて仕事をしたこと、賭け事で「一カ月、二カ月にあたる給料を、みんなすったとこぼす者も少なくなかった」といった同胞の日常、自身の日本人女性との恋愛についても当時の心境を交えながら詳しく記録されています。
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当時「半島応徴士」たちを受け入れた企業は、三菱重工のみならず、様々な企業が「慰問」のイベントを開催しています。例えば日曹炭鉱天塩鉱業所では、朝鮮将棋、朝鮮楽器、ラジオ、新聞は常備、時には映画会や素人演芸会を開催していたことが「移入半島労務者取扱要綱」からわかります。
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半島応徴士は「ズル休み」する者も多く、生活面でも問題が多々あったことは寮母さんの手記からもよくわかります。当然、憲兵が監視して「強制労働」させているわけでもないので、どこかへ行って帰ってこない者が大勢いました。三菱重工は、それらをすべて「逃走」として処理せざるをえなかったのです。