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8月1日(土)放送の「新美の巨人たち」(テレビ東京/10時〜10時30分)で『アートが映すコロナ後の世界2 横尾忠則「兵庫県立横尾救急病院展」東京/神戸』が放送されます。tv-tokyo.co.jp/kyojin/
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オノ・ヨーコさんが嵐のようにやってきて、トルネードのように突然京都からロスに発った。何の前ぶれもない彼女自身も彼女に振り廻されているように。そんな彼女はいたって物静かで、何も起こらない、起こそうとしないそんな雰囲気だ。でも振り廻す自分も振り廻される自分も、あってないような感じだ。
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「WITH CORONA」のマスクアートを発信しています。面白いのは美術関係者は美術的文脈で見るので、コロナのレトリックに気づかない人が結構多いのは面白かった。その点一般の人の方が、美術に邪魔されないので、僕の伝えたいことがストレートに通じる。美術は時には見識を狭くすることがある。
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「完全な形」なんてどこにあるんですかね。そんなもんこの宇宙のどこにあるんですかね。いつも「不完全な形」の絵ばかり描いています。
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さあ、コロナのネガティブパワーを、ポジティブパワーに変えて、絵を描こう。
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友人、知人、仕事関係の方から沢山のお見舞メール、電話いただきました。あとで命にかかわる病気と知って驚いています。もう、そんな年齢だということ忘れていました。今は絵が描けないのが残念です。こーいう時に限ってアイデアが浮かぶんですよね。
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80才を越えてしまうと、欲がなくなるので、どーでもいい気分です。このどーでもいい気分こそが自由な気分です。
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4週間? 5週間? 外出はしない。人に会うこともない。実に快適だ。外部に気持が全く働かない。いいことだ。邪魔されなきゃ、最高。邪魔したり、されたりしないように! この歳になると放っといてもらうのが一番幸せ。
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年を取るとともに、こちらの世界が希薄になっていく。それでいい。その方が向こうへ行きやすい。
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ツイッターも一種の儀式かストレッチみたいなものだ。他者へのメッセージのつもりで書いているのではなく、自分への奉納みたいなものだ。お供え物だ。
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難聴が激しいために最近は自宅でも仕事場、出先きでも全て口実筆記(筆談)で会話をしています。飛沫はゼロです。こーいう生活を何ヶ月も続けていますが、コロナ防止対策にこの方法を取れば、問題ないです。
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その時、皆さんが見ている絵は何光年も前の失くなった星を見ているそんな感じだと思いますね。作家は描いている時のみ、絵の前にいるけれど、描き終った時は、すでにない星の存在と同じです。
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ここ数年、生活から音楽が失われてしまった。難聴のため音楽が聴こえない。補聴器を装着しても音が変質してしまう。音楽はズーッと自分の一部だったが、その一部が失くなった。
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絵を描いても、誰も修正しろとはいわないけれど、デザイン的な仕事は必ず文句の一言、二言、注文をする。その注文も常識以下の常識の概念だ。一体何を怖がっているの、会社の上司の目だ。こういう上司のいる会社は社会悪だよな。
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緊急事態宣言解除宣言でコロナ禍が解決したわけではない。終りの始まりだってある。むしろ、これからが正念場の歌舞伎や浄瑠璃が、そーじゃないですか。
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寝台で運ばれる時、妻が顔を寄せて、思いっ切り笑顔でバイバイと手を振った。永遠の別れのバイバイか、see you againのバイバイかわからないが、涙が流れた。