デヴィッド・ボウイ 名言集(@DavidBowieBot)さんの人気ツイート(リツイート順)

(櫻井敦司氏とのデュエット曲『駆け落ち者』について) 櫻井さんの低音からは、デヴィッド・ボウイをはじめとするブリティッシュなグラム・ロックの耽美が香り立ちます。「駆け落ち者』は、あのお声の魅力を凝縮することを目指し書きました。 ーー椎名林檎
ボウイというアーティスト・ネームは僕が若かった時にボウイ・ナイフから着想したのです。16歳の頃、僕は重い哲学的な物に熱中していて、嘘やらそういったもの全てを切り裂く真実性を求めていたんです。 ✳︎ボウイ・ナイフ:19世紀前半に米国で開発された大型ナイフ
自分が若かった頃は、世の中もすごく大きく見えたし、時間も無限にあるように思えた。しかしそういった幻想から解き放たれた時にもっともっと人生は楽しくなる。若さにしがみついてはいけない。そうでなければ、いつまでも叶わぬ夢を追いかけているのと同じだからね。(97年)
知らない街を知りたい時は、手持ちの小銭を数えて地下鉄に乗る。そして、その小銭で、行ける所までいくんだ。これが一番の方法だね。そして、到着地の辺りを散策するんだ。この前、2004年に最後に東京へ行った時に、僕はこれを何度かやったよ。 ✳︎画像は90年撮影
去年(85年ライブエイド)、チャールズとダイアナに会った時は物凄く緊張した…俺はデヴィッド・ボウイの隣だったんだけど2人とも凄くナーヴァスになってて、彼なんか俺のマルボロをほぼ一箱吸っちまったんだ。 --ロジャー・テイラー(クイーン)
「今」、そして「今日」を大切に生きるべきだと思うね。あまり先ばかり見つめていると、間違いなく己の死に行き当たる(笑)。
ボウイというアーティスト・ネームは僕が若かった時にボウイ・ナイフから着想したのです。16歳の頃、僕は重い哲学的な物に熱中していて、嘘やらそういったもの全てを切り裂く真実性を求めていたんです。 ✳︎ボウイ・ナイフ:19世紀前半に米国で開発された大型ナイフ
(自身とエルヴィス・プレスリーが同じ1月8日生まれであることについて) エルヴィスはまさに僕のヒーローだった。僕は、彼と同じ誕生日であることに何か意味が有ると信じ込むくらいおバカさんだったね(笑)。
18歳の時に聞いておくべきだった最良の忠告は何かって? 薬物に手を出すなってことだよ。 ✳︎写真:76年3月25日ニューヨークにて、薬物の不法所持容疑で検挙された際の逮捕写真
(16年旅立ったボウイを偲んで) デヴィッド・ボウイに御加護を。会ったのは1回だけだったけど、彼は僕にとても良くしてくれた。彼は誰に対してもそうだったんだ。 ーープリンス ✳︎プリンスによるボウイ『ヒーローズ』のカバー
DB17歳:せっかく過激な事が出来る環境なのに「レッツ・ダンス」なんてポップスを作るとは…時間の無駄だ(笑) DB36歳:36歳になってからもう1回言ってみな。そんな暗い所でやってるのがエキサイティングには思えなくなってくるから
いつでもブルースに戻らなきゃだめなんだよ。ロックンロールにとって、ブルースは師であり親でもあるんだから。僕達の音楽が多様化しても、その要素は絶対失われないだろうね。根源的なものは切り離せないんだ。 ✳︎写真:ボノ、ボウイ、B.B.キング
(2001年9月11日米国同時多発テロに際して) みんな、怒りには気をつけて欲しい。僕らが贖罪を求めるのは、テロリストであって無実のイスラムの人々では無い。ビン・ラディンは政治犯であって、イスラム教徒の代表では無い事は皆覚えているだろう。
私の過去は私のものだ。 ーージャック・セリアズ ✳︎映画『戦場のメリークリスマス』より、ボウイ演じるジャック・セリアズ陸軍少佐の台詞
反逆者と呼ばれるような人物に人気が集まるのは、彼らが反逆者だからじゃない。それ以上の人間になったからだよ。
僕は「新しい」という概念に懐疑的だな。むしろ「置き換える」という考え方のほうが、僕には馴染みが有るね。なぜなら全てはあらかじめ存在しているのであって、新しい物など無いのだから。また、古いものも無い。結局僕たち人間がすでに知得してきた物を繰り返し置き換えているだけなんだ。
それに日本の人は皆とても親切で、道をたずねた時に英語で説明できない人は手を引っ張って、そこまで連れていってくれたりする。蕎麦屋やうどん屋に行きたいと思って道をたずねると、そこまで連れていってくれた事があるんだ。こんな経験ができるのは日本だけだね、ホントに素晴らしい国だよ。
【デヴィッド・ボウイ公式映画プロジェクト『Moonage Daydream』】 公開日がオフィシャルからアナウンスされました!日本は2023年3月24日に公開されるようですね! 期待に胸を膨らませながら、来年3月を待ちます✨ twitter.com/DavidBowieReal…
(02年ジョー・ストラマーへの追悼文) ザ・クラッシュはパンクを適切な政治運動へと転換させた。そして近年ジョー・ストラマーは、今も伝えるべき価値を持ち続けていることを見せつけていた。早い歳で彼を失うことは辛い悲劇だ。
(87年のベルリンの壁の西側でのコンサートを振り返り) 忘れもしないよ。僕の音楽家人生で最も感情が高まったパフォーマンスの1つだと思う。ー東ベルリンの人達がこちら側の演奏を聴こうとしているのが分かった。…ああ、今も思い出しても声が詰まってしまう。 ✳︎動画:当日の壁の両側の様子
あの看板が無くなったのはホント残念だ。皆あれにすごく色々な事を読み取ってたのに。K.WESTは"quest(探求)"を意味する暗号的なものに違い無い、なんて思ってたのさ。そういう神秘的な意味合い全てが、あの中には有ったんだ。(93年)
ジギーの半分はSFロック・スターで、もう半分は日本の演劇(歌舞伎)だったよ。
派手なパフォーマーはたくさんいるけど、その中でもフレディ・マーキュリーは群を抜いていた。彼はまさしくオーディエンスを自分の掌中に握ることが出来る男だったんだ。
ジギー時代の衣装は全て山本寛斎によるもので-そのころの衣装は今でもちゃんと持ってるんだけど-とにかく、あの当時2人でコラボレーションをしたら、絶対に誰も観たことが無いようなものを作れるって確信してたんだ。
ベルリンの壁の崩壊に力を貸して下さり、感謝を申し上げます。 --ドイツ外務省 ✳︎2016年ドイツ外務省は、ボウイの旅立ちに寄せて追悼と感謝の意を表明した