デヴィッド・ボウイ 名言集(@DavidBowieBot)さんの人気ツイート(リツイート順)

ベルリンの壁の崩壊に力を貸して下さり、ありがとうございました。 --ドイツ外務省
僕はデヴィッド・ボウイになりたかった。 もっと言えばデヴィッド・ボウイになるために、僕は「THE YELLOW MONKEY」を結成したと言っても過言ではない。 ──吉井和哉
デヴィット・ボウイは僕にとってはロックスターというより父親。彼の猿真似をしようと思ってイエローモンキーって付けたくらいだからね。 --吉井和哉(ザ・イエローモンキー)
僕、ミソ・スープ大好きだよ。 ✳︎Photo by Denis O’Regan
好きな本や音楽を見つけると、誰かに知らせたくなる。でも、もっと好きなやつになると、今度は逆になる。誰にも知らせたくない、と感じるんだ。「こんな凄い、素晴らしいものを、自分以外の誰かが分かるはずない」ってね(笑)。
ボウイ「ご存知の通り、僕はセックスとドラッグをやり過ぎて、まだ生きてるのが不思議なくらいさ」  モリッシー「ああ、ご存知の通り、僕はセックスとドラッグをやらなさ過ぎて、まだ生きてるのが不思議なくらいさ」
(『スペース・オディティ』歌詞より) こちらトム少佐より管制塔へ ドアを開けて外に出たところだ 僕はとても奇妙な方法で浮かんでいる 沢山の星がまるで別物に見えるよ ✳︎13年宇宙飛行士クリス・ハドフィールド氏は、宇宙でボウイの『スペース・オディティ』を歌った #世界宇宙飛行の日
(現在57歳ですが、今後何に挑戦したいですか?) シェフになります。歌うシェフです。それをテレビ番組にして…「歌う料理人デヴィッド」なんてね(笑)-たぶん今まで通りですよ。 #料理番組の日
人間はあまり利口じゃないよね。自由が欲しいなんて言っておきながら、いざそのチャンスが回ってくると、ニーチェではなくヒトラーを選んでしまったり。
いつ来ても日本は楽しいですよ。 #みどりの日
僕には世界全体の事なんて考えられない。考えられるのは、こうやって手が伸ばせる範囲の事ぐらいさ。今の世界は考えなければならない事が多過ぎるね。でも、小さな範囲を正しく捉える事が出来れば、結局大きな範囲も正しく捉えられるんじゃないかな。
僕はいつも引き際を心得ている。楽しくなくなったら、そこでやめるべきなんだ。それで僕は何度も変身するわけだ。いくら成功してるからって、同じことを繰り返すだけならやめた方がいい。
『Rock'N'Roll Suicide』の冒頭の歌詞は、ボードレール(フランスの詩人)からアイデアを頂戴したんだ。人生を煙草に喩えているんだね。急いで吸うか、味わって吸うか、という。 ✳︎『Rock'N'Roll ~』の歌詞は、「時が煙草を手に取り、君の口に運ぶ」という一節から始まる
(石ノ森章太郎「デビッド・ボウイ異次元宇宙からやってきた両性具有生物」より) ミック・ジャガー:すげぇぜ、デビッド…俺のショーより悪魔的だった…! デビッド・ボウイ:あたりまえさ、あんたは悪魔を装っているだけだが…僕は悪魔そのものだからね…! ✳︎噂話を元にしたフィクションの模様
僕はデヴィッド・ボウイになりたかった。 もっと言えばデヴィッド・ボウイになるために、僕は「THE YELLOW MONKEY」を結成したと言っても過言ではない。 --吉井和哉
皆それぞれ自分達の世界で生きているけど、その世界の頂点に立たせるのは決して「才能」ではない。例えば君がポール・マッカートニーやジョン・レノンと5分間でも話せば、その理由をすぐに理解することになるだろう。彼らを世界の頂点に立たせたのは「才能」ではない。その「賢さ」なんだよ。
知らない街を知りたい時は、手持ちの小銭を数えて地下鉄に乗る。そして、その小銭で、行ける所までいくんだ。これが一番の方法だね。そして、到着地の辺りを散策するんだ。この前、2004年に最後に東京へ行った時に、僕はこれを何度かやったよ。 ✳︎画像は90年撮影
音楽のお陰で人生の苦難が弱まり、悲劇が薄まったとまでは言えない。それでも音楽は、孤独な時に誰かと関わりを持つ機会をくれたし、さまざまな人と触れ合う為の崇高な手段にもなってくれた。音楽は知覚の扉であり、僕の住む家でもあるんだ。 ✳︎Photo by Masayoshi Sukita
人は他人が失敗するのを見るのが好きだけれど、失敗にめげない人間を見るほうがもっといいに決まってる。人生において失敗し、それを乗り切ることこそ、最高のスリルなんだ。
現実を見つめることは簡単だけど、それに囚われ過ぎてはいけないことも有る。ひどいことであっても、そこから生まれる良い面が有るって思うようにしなきゃいけない。ひどい目にたくさん遭ってきた僕としては、人生は希望の光を見つけるための闘いだったと言える(笑)。
自分のやっていることを絶えず再検証し、本当に、本当に心から自分のやりたいものなのか -惰性でやってるんじゃないか?誰かが期待しているからやってるんじゃないか?- って事を確認する。それが僕の人生に対する処し方なんだ。
(87年のベルリンの壁の西側でのコンサートを振り返り) 忘れもしないよ。僕の音楽家人生で最も感情が高まったパフォーマンスの1つだと思う。ー東ベルリンの人達がこちら側の演奏を聴こうとしているのが分かった。…ああ、今思い出しても声が詰まってしまう。 ✳︎動画:当日の壁の両側の様子
18とか19くらいの時、仏教、それもチベット仏教に物凄く入れ込んだ時期が有って、特に惹かれたというか、素晴らしい考え方だと思ったのは「人生はすごく儚いものであるから、物事にあまり固執してもしょうがない」というものだったんだ。
(79年ラジオDJを務めた際に) 日本製の変わったサンダルを履いていて足の指が痛いんだよね…。
僕には3歳になる娘がいる。だから、今の社会状況を見て「未来に不運な出来事が起こるかも」なんて考えは僕には許されない。でも、単純に未来は明るいと言い切るわけにもいかないわけで。僕らは希望という解決策を見つけなくてはいけない。(03年)