写真家 丸田祥三(@malta_shozo)さんの人気ツイート(リツイート順)

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45年前、1977年4月の撮影/EF57形4号機+EF58形65号機/場所は宇都宮運転所/戦時中製造のEF57(ゴナナ)は旧形電機の中で最も人気がありましたが、77年初春、何の予告もなく全車休車となり、そのまま廃車に…/後年「使える部品は殆ど外し、ED16の延命に役立てた」と、大宮工場の方に教えて頂きました
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1925年製、九十九里鉄道ケハ107客車(旧増東軌道ハ3)/1987年撮影/千葉県東金市の幼稚園に保存されていました/よく見ると、保存車の傍らに、1950年~63年に供用された旧型道路標識【学校あり】が立っています。87年当時でも、かなり希少な存在でした #標識
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原っぱに眠る「渋谷駅行き」の都電/東京都電6000形6267、6272/1978年撮影/東京都五日市町(現・あきる野市)にて/6000形は1947年生まれ、戦後復興期を支えた電車でした/60年代、都電廃止を惜しみ、廃車を引き取った方がいたのですか、諸事情で草原に遺棄され/2両とも、80年代末に姿を消しました
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東京都電6000形/1980年撮影/6000形は1947年に誕生した、昭和・戦後期の代表的な都電/この車両(6029号説と6081号説とがある)は1972年廃車/前頭部が錦糸町駅ガード下で寿司店の店舗に/本当の車番が不明なまま、店名「花見寿し」にちなみ、873号に改番/寿司店は90年代末に廃業、電車も姿を消した
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1980年撮影、国鉄総武本線の西千葉駅/千葉の鄙びた小駅が、懸命に都市化を急いでいた頃/駅舎は木造平屋、駅前にはロータリー、ホームは片側のみ高架線/現在の半地下式の駅が竣工するまで、こんな過渡期的な姿を…/『東京幻風景』(amzn.to/1kiXYHa) トークでお見せする予定だった写真です。
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■修学旅行用電車 国鉄167系/1965年生まれ/その後、新幹線や飛行機を使う修学旅行が増え、活躍の場を失う/撮影は1978年・横浜駅/伝統の修学旅行色(希望と喜びを表す、レモンイエロー&ライトスカーレット)も79年以降、湘南色へ塗り直された/保存車はなく、鉄道博物館に実物大模型が残るのみです
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初期モデル・自動局用屋外公衆電話室(アンドン付き)/1969年秋より設置が始まった、ガラス貼り電話ボックスの決定版/組立式で折戸も軽く、80年代まで製造された/初期の個体のみ、公衆電話であることを目立たせるため、屋根に電電公社による標語入りの行灯が掲げられていた/写真は稀少な二面タイプ
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東急3500形/1939年生まれ/東急の前身・東京横浜電鉄が、京浜電気鉄道(京急)への乗り入れを構想し、製造した電車/京急のレール幅に容易に改軌できるよう、長軸台車を装備/撮影は今から47年前の 1975年/場所は目蒲線目黒駅/翌76年からの延命工事で、その端正な佇まいが失われてしまう直前の光景
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移動式公衆電話室/1968年製/最初期のガラス貼り電話ボックス/60年代当時の未来的デザイン/移設が容易なため、田園都市線沿線など、開発途上のニュータウンに多く設置された/撮影は1978年夏。横浜市緑区/扉が重く、風に煽られる等の欠点があり、1978年冬までに、A型屋外用公衆電話室に更新された
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筑波鉄道の真鍋機関区/1986年撮影/向かって左のキハ811は1962年製、元雄別鉄道の道産子気動車キハ104/右のキハ30・1は1964年製、元国鉄キハ30・16で川越・八高線で活躍した通勤用気動車/廃止の僅か一年前ですが、昭和末期には東京から日帰りで、こんな模型のような車庫を訪ねることができました
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果樹園の春の風物詩、自走式薬剤噴霧機スピードスプレーヤー/米国で広まり、日本でも1960年代頃より普及し始めた農耕作業用自動車/写真は昭信自動車が製作した三輪の初期形。1962年製/枝を引っかけぬよう、丸っこいカタチをしており、狭い日本の農園では重宝したとのこと/撮影は1984年。山梨県にて
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名古屋市電の廃電車を保存した個人宅/愛知県名古屋市郊外/撮影は1978年の夏の朝/電車は戦前の名車1400形/大通りでは可愛く見えても、全長12メートル以上の巨体ですので/庭をほとんど占拠しているかのようでした/今はもう失せてしまったとか…
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東武鉄道日光軌道線100形109号電車/1953年製/68年の日光軌道線廃止後、岡山電気軌道に譲渡されたが、後年、一両が栃木に帰還。あるレジャー施設に展示された/今は東武日光駅前で保存されている/写真は2013年。レジャー施設の池の畔に置かれていた頃/『東京幻風景』(amzn.to/1kiXYHa)収録
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1973年撮影/国鉄関西本線亀山駅/三重県/DD51牽引の旧形客車で名古屋に向かう折、ふと側線を見ると、C57形蒸気機関車198号の姿が/まだ偶然、奇跡に巡りあえた時代の記憶…/この198号は後年、某所に保存されたが、180号(磐越西線「ばんえつ物語」牽引機)復活の際、部品の供出役となり、姿を消した
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『酷道大百科』(実業之日本社)いわゆる3ケタ国道の中には、いまだ信じられない悪路=酷道が存在しています。そんな秘境を、よごれんさん( @yogoren )ヨッキさん( @yokkiren )たちが走破した記録。4年前の同名の書を、大幅にアップデートした決定版です。皆さまもぜひ、ご覧くださいませ!
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SNSで交流して頂いている方に誘われ、郊外へ出かけて参りました。写メはその折に見かけた1959年式キャデラックの廃車。『ウルトラセブン』43話「第四惑星の悪夢」(1968年放映)にも登場した、いにしえの米国車。実相寺昭雄監督いわく「未来的な車が用意できなかったので、逆に古い車にしてみた」と…
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1971年式セドリックパトロール/珍しいパトカーの保存車/1980年撮影/場所は神奈川県警交通安全センター/国費で導入された車両とはフェンダーミラーやホイールキャップ等が異なり/1970年代初頭、高級車にのみ用いられたダブルリボンタイヤを履く、という謎仕様…/撮影の後、処分されてしまいました
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京浜急行500形/戦後の1951年、湘南マスクを纏い、颯爽と登場した京急復興期の立役者/なぜか翌52年製造分には空襲警報・警戒警報に対応する灯火管制装置が装備されたという(次の戦争に備えていたのか?)隣も戦後生れの無蓋車デト30形/共に80年代に引退/保存車は皆無/撮影は1979年/金沢文庫にて
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山陽電鉄700形電車/終戦間もない1947年、山陽電鉄に(国鉄の戦時形国電)63形が導入され、800形として就役/後に700形と改番され、復興輸送に尽力。1969年までに引退した/その後は車体のみ、車庫で倉庫となったが、今はもう残っていない/撮影は戦後35年目の1980年。東二見車庫/不思議な光景でした
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京王帝都電鉄クハ2782/2700系の4次車/1956年製/56年製以降、車体色が暗い緑から明るい緑になり/後年、特別料金不要の“グリーン車”とも呼ばれました/1981年に引退/その後、車体の一部が神奈川県の民間企業に引き取られ、倉庫として使われていましたが/数年で姿を消してしまったとか/1982年撮影
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国鉄の配給電車クル29/トラックのように車体をオープンカットし、資材輸送を担った風変わりな事業用車/撮影は1975年。鶴見線武蔵白石/この時は荷物電車クモニ13、旅客電車クハ16、クモハ11との4連でした/どんな資材を、どこに運んでいたのでしょう?非営業の電車ですが、一度乗ってみたかったです
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東京都電2000形2011号/1952年製/狭軌だった杉並線用の車両/同線の廃止後は改軌され、1969年まで活躍/引退した後、写真の2011号は大田区の大森第五小学校に、2012号が品川区の公園に、それぞれ保存されたが/二両とも90年代に姿を消してしまった/撮影は1980年の夏休み。
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1980年夏の撮影です/日産ディーゼルの大型トラック・サングレイトTC81(1970年頃の製造)の廃車/高度経済成長時代を駆けぬけた「働くクルマ」の代表格/夢に出てきそうな、強面のフロントマスク/場所は山梨県(現・北杜市)長坂町/夏の終わりに出会った、とても印象深い廃車体でした…
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撮影は1987年の夏休み/神奈川県相模原市の廃車置場にて/陸上自衛隊6tトラック/メーカーは三菱重工/1960年代後半の製造/実質的には10t車で、高射機関砲L90の牽引役も務めた/74式特大トラックに任を譲り、80年代までに大半が退役/写真の後ろの車はいすゞSBR。初代フォワード後期型ベースの消防車
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組立式公衆電話室・初期型/1963年製/東京五輪の前年に誕生/初の総ガラス貼り電話ボックス/五輪の開催地に多く設置された/この引き戸タイプの初期型は短命で、1967年に製造終了、同じ組立式公衆電話室の折り戸タイプにバトンを渡した/後に映画各社が撮影用として所有。TV番組に頻繁に登場していた