写真家 丸田祥三(@malta_shozo)さんの人気ツイート(いいね順)

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昭和の終わり頃、某撮影所にて #お前よくぞそんなもん撮ってたな選手権
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【期間限定up】昭和の特撮ヒーロー「兄弟拳バイクロッサー」のケンローダー/1987年初夏の撮影/ハードな収録を終え、処分される直前の姿/仕上がりのよい、とても素敵な車で、関係者も別れを惜しんでいました。
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今から47年前、1975年の撮影/キハ35形900番台/国鉄八王子駅/我が国における、オールステンレス製鉄道車両のパイオニア/キハ35の一族ながら、1963年に10両のみ製造された異端車でした/房総地区から八高線に転入した直後の姿/海風でダメージを受けている様子で/数年後、首都圏色に塗装されました
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国鉄キハ81形/1960年製/日本初の特急形ディーゼルカー/翌年から貫通型のキハ82が登場したため、このボンネットタイプはわずか6両しか造られませんでした/1972年以降、紀勢線の特急「くろしお」として活躍/片側がキハ82になることも多く、撮り難い存在でした/撮影は引退前の1977年、天王寺駅にて
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西武鉄道安比奈線/2018年撮影/埼玉県川越市/只今製作中の書籍『廃線だけ―平成・令和の棄景』(実業之日本社)用に撮影したものですが/レイアウトの都合上、未掲載とする予定の写真です/冬の入間川岸は趣のある場所でした
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メトナナこと、東京メトロ7000系電車が遂に引退したんですね。帝都高速度交通営団だった頃を写真を探したところ、一枚見つかりました。金沢文庫の東急車輛製造にて、製造中の7000系。1981年のスナップです。長い間お疲れさまでした(’-’*)♪
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旧陸軍伊良湖試験場/1901年、伊良湖岬に置かれた日本陸軍の兵器の試射場跡/写真は「六階建て」と呼ばれた、軍の気象観測塔の廃墟/その傍ら、白い砂利道の辺りには、終戦まで軍用軽便鉄道が走っていたそうです/この写真の別カットを新刊『廃線だけ』(実業之日本社)に掲載予定です。
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国鉄591系試作電車/1970年製/川崎重工業による、当時画期的だった振り子電車の試作車。後の381系の母体/走行試験終了後、中央線の岡谷駅に留置されていました/撮影は姿を消す前年、1979年/この時、他の作品撮りのため、カメラに赤外フィルムが入っており/何か振り子感が強調されちゃいましたね…
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写メですが、今日近所でオート三輪を見掛けました。1962年から74年まで製造されたマツダT2000。高度成長期に扇風機やミシンなども手掛けた小杉二郎さんのデザイン。最終型でも約半世紀前の車ですね。ナンバー付きで現役のようでした。後ろの団地は1968年の竣工。令和4年とは思えない光景です(*´▽`*)
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小田急電鉄1900形(1948年製)/撮影は今から48年前の1974年、永山にて/多摩線新百合ヶ丘~永山が開業した74年6月1日、当日のみ新鋭9000形が入線するも/翌日以降この1900形が主役に/真っ新なニュータウンにこの電車はあまりに不釣り合いでしたが、思えば新旧ゴチャ混ぜの70年代らしい光景だったかと
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1980年代の日産Be-1。近所の日産ディーラーに置いてあったので、許可を得て、スマホで写メらせて頂きました。暖かみのあるパンプキンイエローは当時のカタログカラーでしたね。日産から名車が次々輩出された頃の一台。懐かしきパステル色の記憶…
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国鉄181系/ルーツは1958年に誕生した国鉄初の特急電車151系/1965年以降、新製車と改造車が新潟行き特急「とき」などに投入され、上越新幹線が開業する82年まで活躍/撮影は今から49年前、1973年夏/場所は上野駅/クリームと朱の特急色が素敵でした/イラスト入りヘッドマークになる前のシンプルな姿
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向かって左の新車のような電車は、異色の旧型国電クハ66/1974年、戦時形国電72系に、115系風の新製車体を載せた改造車/台枠と車体が合致せず、ボディラインが破綻/アコモ改造車とも、悪夢改造車とも呼ばれ/性能的に冷房化も難しく、約十年で休車/儚い存在に終わった/右は正統派の旧型国電クハ47
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鹿島鉄道 廃線跡/常磐線石岡駅と鉾田の町を結んでいました。通称は「かしてつ」/1929年全通。廃止は2007年4月/訪れたのはその半年後、2007年秋/まだ線路が残っていました/場所は茨城県鉾田市、旧借宿前駅付近、山越え区間の跡/リバーサルフィルム作品/撮影は日没の直前/絵画のような光景でした
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いすゞBX馬運車の廃車/競馬の競走馬を運んだ、特殊な運搬車/撮影は1980年の秋、千葉県印西町(現・印西市)にて/千葉ニュータウンの開発予定地付近、荒れた森のなかに放置されていました/1960年代に特注された車のようです/撮影した42年前でも、ボンネット型の馬運車は、かなり珍しい存在でした。
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写メ画像/茨城交通水浜線の廃線跡/1930年に全通、1966年に廃線になった水戸の路面電車/通称・水浜電車/今も水戸市内、桜川に架かる水門橋という橋のたもとに、僅かですが途切れた線路の跡が残っています/撮影は2018年/場所は茨城県水戸市柳町二丁目一番地/印象的な光景でした。
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国鉄EF58形電気機関車20号機/1947年製/1953年改装/パンタが不似合いなPS22Bに改造され、また廃車も早く、あまり写真が残されていない不遇な機ですが/私的には、初期車独特のオーラを纏う、魅力的な車両だったように思います/撮影は1977年、広島/カメラはローライ。フィルムはエクタクロームXです
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戦後復興の象徴・湘南電車80系/1949年生まれのクハ86形一次車/流麗な二次車と異なり、この初期形20両は穏やかな三面鏡台スタイルで登場/70年代には東海道から山陽線に転属、最期の活躍をしていました/国鉄・矢賀電留線の職員さんは「三面鏡の一次車の方が日本的で美しい」と/撮影は1977年/広島駅
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国鉄豊橋駅/1977年撮影/飯田線の流線型電車クモハ52(1936年製)/国鉄マンは腰に手を添え、胸を張り、満面の笑顔/道路がよくなかった当時、飯田線は沿線にとって生命線ともいえる存在でした/「俺たちが地域を支えているのだ」と誇りを抱けた時代だったのかも #この車両知ってる人だけで50RT目指す
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1976年夏、相模線 橋本駅の情景。側線には貨車。足にゲートルを巻いた駅員さん。ホーム上屋は木製。まだ非電化で、彼方に見える気動車はオリジナルカラーのキハ30。当時はそれが、ごく当たり前の日常でした。あれから45年、折を見て、新鋭E131が就役した今の相模線にも乗りに行ってみようかと…
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1972年10月、開設直後の京都・梅小路蒸気機関車館。D51のお隣にDD13の姿が。この日は学校を休んで行きました(笑)傍らに現役のDD54やC57もいて、ホントに感激のひと時でした。この瞬間から50年。この時舞いあがった煙は、今も宙空に漂っているだろうかと… #鉄道の日 #鉄道開業150周年 #鉄道開業150年
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最後の省形木造国電 1922年製 クエ9112/1977年に廃車。下十条電車区から大船工場に移された/撮影は1978年/乾燥した冬場で、木製車体には所々隙間が/「これが雨季にはくっつくんだから、木造車って不思議だよね。まるで生きてるみたいだ」職員さんがそう言いながら “もうまもなく解体される“ と…
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東京のローカル線/タマデンこと、東急世田谷線の玉電山下(山下)駅/撮影は1974年/電車は1943年製のデハ70形/この時は車体更新前で、原型に近い素朴な佇まいでした/カメラは二眼レフのローライ/フィルムはコダック・エクタクロームX/この駅の下高井戸側には、まだ茫々と畑が広がっていました。
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写メ画像/鶴見線某所の廃線。1960年代にはディーゼル機関車DD13が、化学肥料を続々運び出していたそうです/戦後復興~高度成長期の象徴的光景だったとか/今はナスカの地上絵のごとく、レールの一部が遺るのみ/フルサイズ機で撮った写真は制作中の『廃線だけ』(実業之日本社)に掲載する予定です。
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川崎の長沢浄水場の斜面下にあった小さな団地。中庭に1956年製(69年引退)の東京都電8000形が保存されていました。この電車は将来の都電廃止を見越し、10年使えればよい、という発想で造られた低コスト車両でした。撮影は1976年の初夏。土管と古タイヤ、そして杜撰な保存車。昭和の児童広場の光景です