写真家 丸田祥三(@malta_shozo)さんの人気ツイート(古い順)

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昭和の終わり頃、某撮影所にて #お前よくぞそんなもん撮ってたな選手権
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1980年代の日産Be-1。近所の日産ディーラーに置いてあったので、許可を得て、スマホで写メらせて頂きました。暖かみのあるパンプキンイエローは当時のカタログカラーでしたね。日産から名車が次々輩出された頃の一台。懐かしきパステル色の記憶…
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1976年夏、相模線 橋本駅の情景。側線には貨車。足にゲートルを巻いた駅員さん。ホーム上屋は木製。まだ非電化で、彼方に見える気動車はオリジナルカラーのキハ30。当時はそれが、ごく当たり前の日常でした。あれから45年、折を見て、新鋭E131が就役した今の相模線にも乗りに行ってみようかと…
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写メですが、今日近所でオート三輪を見掛けました。1962年から74年まで製造されたマツダT2000。高度成長期に扇風機やミシンなども手掛けた小杉二郎さんのデザイン。最終型でも約半世紀前の車ですね。ナンバー付きで現役のようでした。後ろの団地は1968年の竣工。令和4年とは思えない光景です(*´▽`*)
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45年前、1977年4月の撮影/EF57形4号機+EF58形65号機/場所は宇都宮運転所/戦時中製造のEF57(ゴナナ)は旧形電機の中で最も人気がありましたが、77年初春、何の予告もなく全車休車となり、そのまま廃車に…/後年「使える部品は殆ど外し、ED16の延命に役立てた」と、大宮工場の方に教えて頂きました
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戦後復興の象徴・湘南電車80系/1949年生まれのクハ86形一次車/流麗な二次車と異なり、この初期形20両は穏やかな三面鏡台スタイルで登場/70年代には東海道から山陽線に転属、最期の活躍をしていました/国鉄・矢賀電留線の職員さんは「三面鏡の一次車の方が日本的で美しい」と/撮影は1977年/広島駅
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京浜急行500形/戦後の1951年、湘南マスクを纏い、颯爽と登場した京急復興期の立役者/なぜか翌52年製造分には空襲警報・警戒警報に対応する灯火管制装置が装備されたという(次の戦争に備えていたのか?)隣も戦後生れの無蓋車デト30形/共に80年代に引退/保存車は皆無/撮影は1979年/金沢文庫にて
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今から47年前、1975年の撮影/キハ35形900番台/国鉄八王子駅/我が国における、オールステンレス製鉄道車両のパイオニア/キハ35の一族ながら、1963年に10両のみ製造された異端車でした/房総地区から八高線に転入した直後の姿/海風でダメージを受けている様子で/数年後、首都圏色に塗装されました
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■修学旅行用電車 国鉄167系/1965年生まれ/その後、新幹線や飛行機を使う修学旅行が増え、活躍の場を失う/撮影は1978年・横浜駅/伝統の修学旅行色(希望と喜びを表す、レモンイエロー&ライトスカーレット)も79年以降、湘南色へ塗り直された/保存車はなく、鉄道博物館に実物大模型が残るのみです
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小田急電鉄1900形(1948年製)/撮影は今から48年前の1974年、永山にて/多摩線新百合ヶ丘~永山が開業した74年6月1日、当日のみ新鋭9000形が入線するも/翌日以降この1900形が主役に/真っ新なニュータウンにこの電車はあまりに不釣り合いでしたが、思えば新旧ゴチャ混ぜの70年代らしい光景だったかと
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国鉄181系/ルーツは1958年に誕生した国鉄初の特急電車151系/1965年以降、新製車と改造車が新潟行き特急「とき」などに投入され、上越新幹線が開業する82年まで活躍/撮影は今から49年前、1973年夏/場所は上野駅/クリームと朱の特急色が素敵でした/イラスト入りヘッドマークになる前のシンプルな姿
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国鉄キハ81形/1960年製/日本初の特急形ディーゼルカー/翌年から貫通型のキハ82が登場したため、このボンネットタイプはわずか6両しか造られませんでした/1972年以降、紀勢線の特急「くろしお」として活躍/片側がキハ82になることも多く、撮り難い存在でした/撮影は引退前の1977年、天王寺駅にて
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筑波鉄道の真鍋機関区/1986年撮影/向かって左のキハ811は1962年製、元雄別鉄道の道産子気動車キハ104/右のキハ30・1は1964年製、元国鉄キハ30・16で川越・八高線で活躍した通勤用気動車/廃止の僅か一年前ですが、昭和末期には東京から日帰りで、こんな模型のような車庫を訪ねることができました
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国鉄クハ16形電車/1930年代製/いわゆる17メートル国電の制御車/撮影は1977年/南武線・矢向電留線にて/この頃は専ら南武線浜川崎支線を行き来し/時おり南武線の増結役も務めておりました/リベットが連なる、昭和初期の軍用艦艇のような重厚な雰囲気/小さいながらも存在感のある電車でした。
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西武鉄道安比奈線/2018年撮影/埼玉県川越市/只今製作中の書籍『廃線だけ―平成・令和の棄景』(実業之日本社)用に撮影したものですが/レイアウトの都合上、未掲載とする予定の写真です/冬の入間川岸は趣のある場所でした
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東急3500形/1939年生まれ/東急の前身・東京横浜電鉄が、京浜電気鉄道(京急)への乗り入れを構想し、製造した電車/京急のレール幅に容易に改軌できるよう、長軸台車を装備/撮影は今から47年前の 1975年/場所は目蒲線目黒駅/翌76年からの延命工事で、その端正な佇まいが失われてしまう直前の光景
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国鉄591系試作電車/1970年製/川崎重工業による、当時画期的だった振り子電車の試作車。後の381系の母体/走行試験終了後、中央線の岡谷駅に留置されていました/撮影は姿を消す前年、1979年/この時、他の作品撮りのため、カメラに赤外フィルムが入っており/何か振り子感が強調されちゃいましたね…
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1974年冬の新宿駅/手前に停まっている電気機関車は、1944年生まれの国鉄EF13形/背後に建っているのは、竣工直後の新宿2番目の超高層・新宿三井ビルディング/月刊誌『東京人』2009年3月号の表紙にお使い頂いた一枚です/日本の貧しい時代を駆けぬけた戦時形機関車に、高層ビルはどう映ったでしょう
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写メ画像/鶴見線某所の廃線。1960年代にはディーゼル機関車DD13が、化学肥料を続々運び出していたそうです/戦後復興~高度成長期の象徴的光景だったとか/今はナスカの地上絵のごとく、レールの一部が遺るのみ/フルサイズ機で撮った写真は制作中の『廃線だけ』(実業之日本社)に掲載する予定です。
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国鉄の配給電車クル29/トラックのように車体をオープンカットし、資材輸送を担った風変わりな事業用車/撮影は1975年。鶴見線武蔵白石/この時は荷物電車クモニ13、旅客電車クハ16、クモハ11との4連でした/どんな資材を、どこに運んでいたのでしょう?非営業の電車ですが、一度乗ってみたかったです
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山陽電鉄700形電車/終戦間もない1947年、山陽電鉄に(国鉄の戦時形国電)63形が導入され、800形として就役/後に700形と改番され、復興輸送に尽力。1969年までに引退した/その後は車体のみ、車庫で倉庫となったが、今はもう残っていない/撮影は戦後35年目の1980年。東二見車庫/不思議な光景でした
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陸軍第九師団兵器支廠/石川県/1914年築/金沢の陸軍師団の壮麗な煉瓦建築/終戦で陸軍が消えた後、金沢美術工芸大学の校舎に転用された/金美は1972年、新校舎に移転/廃墟と化し、しばらくは荒れるに任されていたが…/1986年に整備され、石川県立歴史博物館となる/撮影は廃墟となっていた1980年夏
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1977年の滋賀・米原機関区/1953年製の国鉄DD50形2号機(一次形)と1954年製の5号機(二次形)/日本初の幹線用ディーゼル機関車/僅か六両ながら、一次形と二次形で外観はかなり異なっていました/北陸本線で活躍後、運用を外されて二年目の姿/米原を通る度に気掛かりで、念願叶っての訪問でしたが…
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1970年式いすゞTXG10改/秋田・能代地区消防署北部分署/1988年撮影/狭い道に合わせ、TX最小のシャーシに二列シートを載せた特注の消防車/当時このタイプは一列シート+2~3人の立ち乗車が一般的でしたが/全員が座れるよう改めた革新的な車でもありました/寸詰まりな感じが何とも可愛いらしく(笑)
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1986年、ジョイフル本田が、東急6000系の廃車を販売/まだ未来的だったステンレス電車が、茨城県の数ヵ所で、小屋などに転用されました/撮影も86年。土浦市ほか/写真集『棄景2』に掲載した作品「棄てられし未来電車…」のモノクロ・フィルム撮影の合間に、別にネガカラーでスナップした二枚(’-’*)♪