写真家 丸田祥三(@malta_shozo)さんの人気ツイート(リツイート順)

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伝説の特急ロマンスカーつかさ/1982年、日中国交正常化十周年記念映画「未完の対局」の宣伝のため、伊藤つかささんを一日車掌に/小田急SSEが特製ヘッドマークを掲げ、新宿から向ヶ丘遊園を目指しました/写真は運転終了後の撮影。新百合ヶ丘にて/バックは多摩線のデハ2217+デハ2218ですね(’-’*)♪
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組立式公衆電話室/1969年製/撮影は1979年、亀戸/現地で組立てる方式で、引き戸の試作品が63年に誕生/68年以降、折り戸を採用/一対一の折り戸は、風でバタつかず、戸の前に物があっても開いたが、開ける際に重く/69年秋、A型屋外用公衆電話室が登場すると製造を終え/70年代末に大半が姿を消した
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1976年夏、相模線 橋本駅の情景。側線には貨車。足にゲートルを巻いた駅員さん。ホーム上屋は木製。まだ非電化で、彼方に見える気動車はオリジナルカラーのキハ30。当時はそれが、ごく当たり前の日常でした。あれから45年、折を見て、新鋭E131が就役した今の相模線にも乗りに行ってみようかと…
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名古屋市電2000形/1956年生まれ。性能的に優れた電車で「名車」と称えられたが、市電網の縮小によって、僅か16年後の1972年に引退/2025号車の一部が、市民に引き取られ、名古屋市北区清水の街角で、旅行代理店の店舗となった/撮影は1979年暮れ
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横浜市電1200形/1940年製/皇紀2600年を記念し、2600形として登場。戦後1200に改番/引退後、辻堂海浜公園に保存されたが、潮風で傷み、廃棄されることに/車体は一旦、川崎埠頭に置かれたものの、やがて姿を消した/左は1979年撮影、辻堂に展示されていた頃/右は川崎埠頭に遺棄された姿、1984年撮影
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1986年、ジョイフル本田が、東急6000系の廃車を販売/まだ未来的だったステンレス電車が、茨城県の数ヵ所で、小屋などに転用されました/撮影も86年。土浦市ほか/写真集『棄景2』に掲載した作品「棄てられし未来電車…」のモノクロ・フィルム撮影の合間に、別にネガカラーでスナップした二枚(’-’*)♪
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川崎の長沢浄水場の斜面下にあった小さな団地。中庭に1956年製(69年引退)の東京都電8000形が保存されていました。この電車は将来の都電廃止を見越し、10年使えればよい、という発想で造られた低コスト車両でした。撮影は1976年の初夏。土管と古タイヤ、そして杜撰な保存車。昭和の児童広場の光景です
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1977年の夏休み/高架化前の南武線武蔵中原駅/中原電車区を見学させて頂いた帰り、ブローニー版のローライで撮った一枚/電車はクハ79形932号/1957年製の全金属車/旧型国電の掉尾を飾るに相応しい、美しく纏まったスタイルの車両でした/同車は翌78年6月、南武線新性能化の際に姿を消しました。
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写メ画像/北千住 大橋眼科/1917年築の初代医院を模して、1982年に竣工/映画会社の社員だった昭和末期、北千住に脚本家さんの仕事場があり、お原稿を頂きに上がるたび、通り沿いからこの素敵な佇まい、眺めておりました/もうまもなく姿を消すとのこと…
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1977年撮影、国鉄鳳電車区/大阪府堺市/スカイブルーの新性能電車は、1964年から量産が始まった103系。初期の冷房改造車が、阪和線の運用に就いていました/オレンジの旧型国電は、1939年製のクモハ60。営業線から退き、電車区内の入換作業を担っていました。#もう二度と撮れない並び写真 #103系の日
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トヨタ2FQ15改消防車/1964年製/秋田 能代地区消防署/自衛隊向け四輪駆動トラックをベースにあつらえた車両/能代大火の教訓を活かし、ホース類も使いやすいよう、独自の工夫がなされていた/悪路走破性も高く、冬の積雪期にも頼りになる存在だった、とのこと/撮影は1988年。その直後、姿を消した。
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1966年式トヨタ救急車FS45V/3878ccのF型エンジンを唸らせ、昭和の街を矢のように疾駆した隠れた名車/撮影は1977年/大分県中津市と周辺の山岳地帯を所管する、中津下毛広域消防本部の車両/一枚目の写真、ここまで天井を入れこんだ理由は、長い無線アンテナをちゃんと写そうとしたからです(’-’*)♪
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写メ画像/鶴見線某所の廃線。1960年代にはディーゼル機関車DD13が、化学肥料を続々運び出していたそうです/戦後復興~高度成長期の象徴的光景だったとか/今はナスカの地上絵のごとく、レールの一部が遺るのみ/フルサイズ機で撮った写真は制作中の『廃線だけ』(実業之日本社)に掲載する予定です。
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1978年撮影、国鉄大垣電車区/岐阜県/向かって左はクモハ40形800(1935年製の069を低屋根化した稀少車)右は80系中間車を先頭車改造したクハ85形/東海道線の大垣夜行を降り、眠い眼を擦りながら撮った一枚/クモハ40のスカイブルーと青い空が交わって、しっかり撮れるか不安に駆られたものでした(笑)
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相模原・鹿沼公園に保存されていた横浜市電1000形/1928年製。関東大震災の復興期を支えた功労車/保存された1970年には原型の美しい姿でしたが/1981年、メルヘン調に改修され、車体に乗客が描かれ/夕暮れ時には左のように見えていました/撮影は右が1981年、左が1992年/その後、姿を消してしまい…
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不思議な光景でした…/名古屋市電の廃電車/1979年撮影。名古屋市内のスクラップ工場にて/市電廃止後、一度保存されながら、二度棄てられてしまった車両/名古屋市電は74年の廃止後、廃止を惜しむ個人や団体に多くが引き取られ、方々に展示されました。が、後年そのほとんどが姿を消してしまったとか
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熊本市電(熊本市交通局)10形電車23号/1924年製/23号は大正生まれの優美な木造単車/市電川尻線の廃止の際には装飾電車となり、さよなら運転にも就いたそうです/引退後は地元熊本市内の幼稚園に保存され、長らく園児らに親しまれていましたが、1980年代前半、姿を消したとのこと…/撮影は1973年夏
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大阪市電3001形3038/撮影は1978年の夏休み、大阪府にて/同車は1956年製、日本の路面電車の代表と讃えられた高性能車でした/1969年の大阪市電全廃により、僅か13年で引退/3038が富田林市「ちびっこ交通公園」に保存されました/が、雨晒しだったことから荒廃し、保存から十数年後に姿を消しました。
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1977年の滋賀・米原機関区/1953年製の国鉄DD50形2号機(一次形)と1954年製の5号機(二次形)/日本初の幹線用ディーゼル機関車/僅か六両ながら、一次形と二次形で外観はかなり異なっていました/北陸本線で活躍後、運用を外されて二年目の姿/米原を通る度に気掛かりで、念願叶っての訪問でしたが…
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ゴッホの絵のような、厚塗り具合が何とも印象的で…/駿河と遠江とを結んだ幻の軽便鉄道・静岡鉄道駿遠線ハ112客車/1957年製/70年の駿遠線全廃後、磐田市交通公園に保存されましたが/なぜか新幹線カラー風に再塗装され/以降ほとんど手入れもされず、結局は姿を消してしまいました/撮影は1980年冬
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小田急電鉄デニ1000形荷物電車/1927年製/小田急創業期に就役、郵便や荷物輸送を担った/途中で旧帝都電鉄モハ208の車体を譲り受けるなどしながら、57年後の1984年まで活躍。最後は主に新聞を運んでいた/撮影は1977年。場所は町田駅/この頃はまだ小田急や井の頭、開業時の車両が現役だったんですね
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今はなき 都電荒川線 雑司ヶ谷のガード/1914年、王子電気軌道が設け、以来97年間、供用され続けた/TVドラマ『水もれ甲介』等の舞台となり、山の手の下町の象徴的な風景として親しまれた/カードは2011年、道路工事のために撤去/撮影は2010年冬/重松清さんとの対談『問いかける風景』用に撮った一枚
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今から45年前、1977年の国鉄岡山駅/夏の夕暮れ/宇野線のクハ86(三面鏡の初期形)津山線のキハ20/ここには岡山出身の将棋棋士・大山康晴十五世名人に連れてきて頂きました/その折、大山さんの肩を支えにして、スローシャッターで撮影した一枚/まだ修復途上の写真ですが、私的にも懐かしい情景で…
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ハグルマ/1990年撮影/廃墟となった観光ロープウェイの機械室にて/「朝日新聞」に掲載/1996年、作家の高橋克彦さんが、私のこの写真をご覧になった印象をもとに「機械室の夢」という短編小説を執筆されました/高橋さんのその小説は『幻少女』(角川書店)という掌編小説集に収録されています。
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1975年撮影/都電荒川線 荒川車庫/まだ戦前の王子電気軌道 船方車庫の面影を留めていました/車庫内には1941年暮れに書かれたと思しき「嗚呼、宣戦布告」という一文も残っていたとか/この後、NHKドラマ『赤い花』『男たちの旅路』のロケが行われました/現在は改築され、この風情は失われてしまい…