最初は誰でも「自分ならできる」とウルトラ勘違いからスタートするので、実際にやってみて「あ、できそう」と思えるようなら、そのまま進み「これは無理無理の無理!」となったら方向転換すればよいだけのこと。自分の適性や先がある程度は分かるのも技術や知識や才能といったら、それはそうですが!
「地球最後の男」伝染病で死んだ人が吸血ゾンビになる世界。最後の人類は物資を補給しながら、昼は寝ている吸血ゾンビに杭を刺して殺害。犬や生存者と出会いながら生きていくが、という話。ウィル・スミス「アイ・アム・レジェンド」のリメイク元のリメイク元、有名SF原作の映画化。
「幼児が背後の祖父を見上げるとあるはずの、下からの顔の構図」がなく「記憶にあるのは祖父の正面からの表情と動作」でカメラが切り替わっている。後者から前者の記憶があると捏造されたけど、齟齬に長らく気づかず、過誤記憶という概念を知った大人になって分かったのよ。無害な過誤だけど、ある。
作中に出てくるツェベルン文字表。私が素案を出し、宮城さんが整えて以降、され竜シリーズのイラストの名前や看板などで登場しています。サイン本から分かるように、当時の私がその場で三秒で考えて書いたサインから派生しています。
弱く、間違えるロボットを、人々が支援しようとしてゴミ拾い活動が活性化したり、他者を助けようとする心ができてくる、という作った人にも予想外の人間の心理。 twitter.com/livedoornews/s…
自分たちの思想信条がまず先にあり、それに合致する弱者を探すか設定して思想信条を言いたいだけなので、当事者に実情を聞くことはないし、その意見を受けて自分の提言を変えることもない。最初から誰もなにも代弁しておらず、自分の思想信条を言っているだけ問題。 twitter.com/sasakitoshinao…
1980年代、紡木たく氏の「ホットロード」あたりで、前半は不良幻想の青春、後半は償いと大人たちの後処理と幻想が解体されていた。解体は時代とともに都市部から地方へと広がっていき、昨今の社会や医療問題として捉えられる地点に至る。この地点を無視しないと創作物として話すことが不可能となる。
底辺地域で育つか実際に会ったことがない人は、弱者は事情ゆえの善人という思いこみがある。生まれや環境や病気が原因としても、邪悪やバカや狂気の結果としての弱者は多い。その弱さに普通の人は傷つけられるので、非人格的な社会システムと仕事としての支援が推奨されるのはそういうこと。 twitter.com/philosopium/st…