ヤマザキ春のパン祭り、攻略ガチ勢は「最大効率のレーズンパンと汎用性の食パンデッキが安定」「100円で一点が基本だが、菓子パンは当てはまらず効率が悪い。ただ量は食べられる」「今年から環境激変、食パンは端数切り上げで上方修正」「強化食パン」と訳分からないことを毎年言っている。
スペイン「コスタリカに圧勝し、ドイツと引き分け」 ドイツ「コスタリカに圧勝し、スペインと引き分け」 日本「ドイツとスペインに勝ちました」 コスタリカ「日本に勝ちました」 ⋯⋯こんなの「嘘つきは誰だ?」みたいな論理クイズで、死のグループEの結果を予想的中させる人のほうがおかしいんや。
ゴッホが捨てた耳を耳なし芳一に装着させて、究極完全体ゴッ芳一が爆誕する、という伝奇小説を考えたが、伝奇の奇の割合が99%もあって没。
「……」は三点リーダと言って、とくにルールはない。ただ「…そういえば」と使うのは漫画家や絵描きさん、「……そういえば」と使うのは小説家やライターの文筆業だと分かる。後者はまず校正に三点リーダは二回繰り返して使うもの、と注意されるので。
ワクチン接種後に副反応が出なくて寂しいという人に、コーヒーやコーラやカフェインをいっぱい取ると出ますよ、と人体実験をした私からの報告です。なんの得もありません。
とある作家さんが言っていた「天才による芸術でも絵画や彫刻を手に入れるには数億から数百億円も必要だが、本は時代時代の天才の作品が数百円の文庫本で買える」に尽きる。古代ギリシャの哲人から近現代の思想や科学の巨人の業績が、数百円で見られるどころか所有できるってチートすぎる。
今言っても大丈夫だろうが、失踪した元担当、涼宮ハルヒの担当でもあったのだけどな。迷惑のかけ方が凄い。
世界一過酷で死亡率が高い仕事はベーリング海のカニ漁だそうだけど、カニに高度な知能があれば、体を硬い殻で守って荒海の深い海底にいるのに、なお命がけで取りに来る人間を狂気すぎると思っているだろう。生物が人間から身を守る最善の方法は「まずくなる」なんだけどな。
20代は「目に見えない負債」を減らす時期だと意識したほうが良い。人との繋がりのなさや人間不信とかこっそり進行する病気とか異常性癖とか無知とか。そういう負債がリボ払いで、30代以降で大爆発して目に見える破滅(重病や破産や事件)に変わってく。 強力な地雷ほど目に見えないっていうのはホント 👁
ウメハラ選手の解説で「VTuberや実況者は一日数時間、下手したら十時間くらい他人に自分を見せている。人間そんなに長時間は演じられず、素が良い人でないと続かない。少なくとも自分が関係した限りは」と聞いてへーとなる。
創作物や表現は「人を傷つけない」「必ず人を傷つける」は同じことの裏表で、歴史学者リン・ハントの18世紀からの文学史研究と哲学者シンガーの人間心理の分析を合わせると「安全に傷つくことができる」である。創作物での傷つきは実際の傷に比べて安全で、現実に備えるために必要なものとなる。
ひろゆきの冷笑ごっこから、左派が「一日一秒でも座り込みで、定義としては間違っていない」というワードを見事に引きだされていた。二手先を読まないから、過去から未来までの座り込み、ハンスト、デモとすべての行為が「え、そんなお遊びだったの?」と人々の信を失った。
「チンコ芸のコメディアンが大統領になり、三日で終わると言われた大国の侵略に一年以上抵抗してG7に電撃参加し、インド系英国首相がお好み焼きを作る」を見ると、人の身で未来予知なんかできる訳ねーなとなる。
反ワクチン「現代人はひ弱。自然免疫で感染症に対抗できる!」 自然に囲まれて生きていたアステカ、マヤ、ネイティブアメリカン「免疫ができるまで、人口の九割以上が死んだぞ」
笑ってはいけないのだけど、日本で新型コロナが激減している理由の海外意見で「平たい顔族だから、マスクがフィットして感染予防効果が高い」というテルマエ・ロマエ理論を見かける。
「若おかみは小学生」を見たが、家族を人為的被害で亡くしたことがある人にはきつい。  事故で両親を失い、イマジナリーフレンドを三人も必要とする深刻なPTSDを受けた小学生が、労働によってしか存在価値を示せず、また事故とはいえ両親の死の原因となった加害者を許すほどの成長を求めるのが。
そういえば最近のホラーは、YouTuberの突撃からの惨劇で始まることが多いとはよく言われる。死人が出るような場所へわざわざ行って、映像で記録を残してリスナーに伝えてくれるので、導入部で死ぬ役として使い勝手が良すぎる。
かつての「定形業務を真面目にこなす」職人のような労働が消えて、現在では多くの仕事に空気を読み、人との関係を調節し、柔軟な対応力が求められる、と基準が引きあげられた。もうこれ資質的に人口の何割か、最悪は半分がついていけない社会になっているんじゃないか、とは二十年くらい言われている。
20年以上前の教育番組で、精神科医が小学生の女の子の絵に「手を背後に隠すのは恐れ、蛇と炎は暴力性~」みたいな診断をしていたが「難しい手を描かない構図にし、蛇と炎は描かれているのがKOFの八神庵だし、普通の女児ファンアート」でしかなく、文脈が分からないと見当外れ診断や意見が出る。
#多分私しかやってない というタグを見るが「出版社からの迷惑を受け、出版社側でまともな謝罪文が書けないので、私が私に向けて書いた謝罪文を出版社が謝罪したものとして出版し、私が謝罪を受け入れたことにする」という心霊体験、人類史で自分以外にないだろうし、この先もないほうがいい。
各種学問は「素人質問ですが」の上に「それを書いたのは私なのですが」という上位存在があるけど、創作の場合「その作品を読みすぎて何回も壊して買い直したものですが」「何百回も読んで全文暗記したものですが」と作者以上に詳しい怪異が現れて困る。
すぐに消える娯楽より絵本を作りたい、という話を見かけて、絵本業界は、子供たちに夢を与えたい善人、と本人が思っているだけで特定の宗教やジェンダーレス思想を植え付けたい人たちの嫉妬と憎悪と足の引っ張り合いを、子供が「つまらねえ」の一言で切って捨てる修羅の世界である。
「全裸で座ったならなぜか電池が縦に置いてあって、お尻に入ってしまった」と言い訳して病院に行く人が全世界で途切れないことから、伝承におけるカッパの尻子玉の起源も昔の人のそういうことなんじゃないの、と疑っている。
冷凍餃子が~で、ポテサラおじさんは偏在する。 そういえば老舗の焼き肉屋に行ったときの話を思い出す。 私「タレはやっぱり秘伝の手作りですか?」 店主「業務用の店で売っているタレだよ。大学出た専門の人らが企業の金と設備を使って、年々味の改良してんだ。美味いに決まっている」 私「なるほど」
アメリカでのキャンセルカルチャーの一部に「数学や物理学といった科学は白人男性が作ったものであり、学校などで他の人種に学ばせるのは多様性への暴力」という動きがあるそうで、思想ごっこがきっつとなる。