現実の人や社会ではほぼ、そして総体としての自然と世界は人を傷つけまいという配慮など存在しない。創作物や表現でモデル化された世界も、本来は配慮などない。ただ別場所で指摘したように、自分と属性から少し乖離し、安全に傷つくことでのみ可能な共感の輪や抽象的思考力の広がりがある。
カルト宗教に騙されないことの難しさが言われているが、人やなにかを好きになる、なにかのファン、支持政党がある、この世にはなにか正しいことがあると信じる、と人の心があるかぎりは引っかかるように設計されていると思う。
具体的には、自分や愛する者を現代医学が助からないとしたとき、カルトの癒やしや偽薬を拒否できるだろうか。孤独なとき、友情や連帯感をくれる相手を拒否できるだろうか。つまらない人生に使命感を与えられて拒否できるだろうか。あなたの正しさを認めてくれる初めての人を拒否できるだろうか。
「放送されるトレマーズは、可能なかぎり見なければならない」というカルト宗教に入っているので、午後ローで見る。何回見てもモンスターパニック娯楽として完成されていて感心する。
誕生日です。とくになにかがあるわけではないのですが、よろしくいただければ幸いです。
完全にギャグ生物だと思われていたアルパカが人類の救世主になるかもしれない、というのは、序盤のギャグキャラが終盤から熱く感動させてくる雷句誠さんの漫画展開。 twitter.com/univkyoto/stat…
中部の諏訪大社から関西に広がるミシャクジ様信仰に被せた名前なので、わりと納得。なお、ミシャクジ様はメガテンでの種族分類は一貫して邪神。 twitter.com/livedoornews/s…
小説アプリで、小中学生が無断転載や実在人物を使って、エログロ作品を量産しているのを知る。たいした真実ではないが、子供を無垢とし、性欲や暴力衝動が外部からの感染や影響で発生するというのは無理筋で、子供自身の内部からも発生する。そんなことは自分を振り返れば一瞬で分かることだろう。
「ミャクミャク様に捧げる生け贄の代わりに、三国志時代の孔明が輪にした揚げ饅頭を捧げて事なきを得て、そこからポンデリングが民衆に広まった」という時空大混乱の由来偽史を考えたけど、明民書房感が強すぎた。
発表されていない小説は、進行具合にもよるが、食材の山から下ごしらえ段階で、表現以前のものである。その状態ですら言論の自由を許さない恐ろしさがある。 twitter.com/HONjpNewsBlog/…
フランスの国会が報道で出るたびに「フランスにおける国会はフランス上院(元老院)、フランス下院、フランス書院によって運営されている」という怪文書が脳裏で形成される。 twitter.com/ReutersJapan/s…
国語力の低下が単に読解力の低下で済まず、社会常識や人間的な感情への想像力の欠如、感情の大小のグラデーションの消失と極端化と、感情や心がおかしくなり、人生の各場面ので生きづらさにつながるという現場の話。 twitter.com/bunshun_online…
なにかのハンディが、本人にも負担がある訓練や周囲の人々の気遣いではなく、テクノロジーで解決できていくのが良い。言ってしまえば眼鏡で視力を補う程度の普通のこと、となれば、本人の心理的負担も消えていく。 twitter.com/ReutersJapan/s…
「共産主義よりキリスト教のほうが長いから死者を多くだしたのでは」という問いを見かける。お馴染みホワイトの統計だと、人類史の宗教(キリスト、イスラムその他の宗教戦争や虐殺)での犠牲者は4700万人、共産主義は主義そのもので6700万、内戦で2600万人で共産主義のほうが多い。
ワシントン大などの推計では、世界人口は西暦一年で三億人、1500年で五億人、1800年で十億人、二十世紀で二十億人で近現代以降に死者数が増える。また、近現代以前のキリスト教圏である欧州で大戦争や大虐殺といっても、人口が少ない過疎地域での小事件。大部分の人口は中東から中国、アジアにいた。
もっとも死者数が出た宗教的殺戮は、1850年中国の太平天国の乱で、2000万人が死亡。二位は1618年ドイツ、カトリックとプロテスタントの三十年戦争で、750万人が死亡。三位は1881年スーダン、原理主義イスラムのマフディーの反乱で、550万人が死亡。
世界人口は時代によって違うので宗教関係は古代から大変だが、20世紀の人口に調整すると本当に大雑把に8200~9200万~一億ちょい、共産主義はそのまま一億。全歴史の全宗教問題と共産主義はだいたい同じか、ちょい前者が多い。キリスト教単体では共産主義の半分もいかないだろう、が一応の推定。
太平天国の乱が、宗教的殺戮数でぶっちぎりかつ半分近くを出していて分類に困る。洪秀全の拝上帝会がキリスト教を勝手に解釈したカルトだからキリスト教、とすると、宗教的殺戮でのキリスト教被害が半分を超えることになる。そこはさすがに専門家の分類にお任せ。
病気や障害、不幸な生い立ちや境遇、事故や災害が、後のなんらかの才能や成功や幸福を作った、という、物語化をどうしても人はしたがる。「それは偶然や単なる出来事で、とくになにか良いことには結びつくことはありません」という事実に耐えられる人はおそろしく少ない。
感情として耐えることはできないけど、頭の隅に知識として置いておけば「自分は今、安易な物語化をしていないか? それとも分かっていて、あえて物語化していい場面か?」と自問自答はできる。後者はまだ無害で人が生きる意味になることもあるので。
自分たちの思想信条がまず先にあり、それに合致する弱者を探すか設定して思想信条を言いたいだけなので、当事者に実情を聞くことはないし、その意見を受けて自分の提言を変えることもない。最初から誰もなにも代弁しておらず、自分の思想信条を言っているだけ問題。 twitter.com/sasakitoshinao…
この時期になると思い出す「オタクは性犯罪者予備軍」は、ここ数十年言われているけど、いつになったら予備軍から犯罪者になるんでしょうかね、と犯罪統計から思っている。
デビュー後数年して「作中の女性キャラにセクシー衣装を着せておけば、コミケでコスプレしてもらえたのでは?」と気づいた悲劇を教えておきたい。イラストレーターさんに聞かれて「普通の服なのでお任せ」「背広」と普通に答えていた過去の自分、万死に値する。
「デストイレ」弟がトイレで変死し、ベトナム帰還兵が真相を探る。現場のトイレからの異音で呼んだ配管工が死亡し、悪魔退治のために神父とともにトイレと戦う。製作者が確信してクソ映画を作ろうとし、なかなかのクソ映画となったが、なぜこれを作ろうとし、なぜ私は見たのか、人間とはなんだ!?
若い内はなんでもやっておけ、は「できらぁ!」と自分でやってみたらまったくできない、他人の技術や知識や才能の凄さが早めに分かるからだと思うことにしている。