最初から最後まで矛盾も破綻もなく考えた設計図どおりの話は、基本的につまらない。作者があらかじめ思いつくようなことは、読者も予想できるので、そら仕方ない。やっているうちに出てくる必死の言い訳や辻褄合わせで「え、作者もそうなるって知らんかった」が出て、初めてスタートライン。
「矛盾してるw」みたいなタイプはほぼまったく創作に向いていない。「いや、この矛盾はだからこそ誰かの策で必然だったとできる」と、後付けで予想だにしない補完と展開にできるのかが腕の見せ所。遅刻の言い訳が上手い人が向いているとも言う。
小説における戦闘シーン描写は、すでに1980年代にベニー松山さんがひとつの基準を打ち出している。今では当たり前かもしれないが、それまで雰囲気と気合いだった描写を、誰がどう動き、どの攻撃がどこに命中し、どうダメージがあるか生物学的科学的説明が、カメラワークで語られる。
なぜ多くの娯楽作家があのダジャレおじ、いや、ベニ松さんを尊敬するかというと、光線の撃ち合いや擬音や常套句雰囲気シーンで誤魔化さず、格闘をリアルタイム映像で描くという革新をなしたからである。というか、ベニ松さんかそのフォロワーを通らずに、それをできる人がほぼいない。
転生や転移主人公が独自に考えに考えた結果、ファンタジー世界に国家社会主義に民族社会主義、原始共産主義や計画経済を広め、飢餓と虐殺と大戦争を巻き起こして「こんなはずじゃなかったんだ」となる作品を考えたが、車輪の再生産ならぬ地獄の再生産は現実でも起こっているので辞めよう。
高度知性体や神と交信できるというチャネラーや霊媒師に、天文学者で作家のカール・セーガンが「フェルマーの最終定理かゴールドバッハ予想の証明を教えて」と聞いていたが、一度も返答がこなかったらしい。前者はすでに人類も解いているので、彼らがいるとする高度知性体や神はあまり賢くない。
歴史学者のハラリも「古代の神は生け贄や礼拝の方法を事細かに気にするが、算数以上の数学に一切興味を持たない」と皮肉っていた。全知全能の神が実在するなら、初期人類にキナの木がアンデスにあるとかペニシリンの製法とか教えて膨大な死者を救わないので、どうも人類の味方に思えない。
「おまえの誕生石とかパワーストーンとかは知らないが、アンラッキーストーンは確実にこれだ!」と言いながら、レンガで殴りかかってくる、パワー&正論型シリアルキラー。
ゴッホが捨てた耳を耳なし芳一に装着させて、究極完全体ゴッ芳一が爆誕する、という伝奇小説を考えたが、伝奇の奇の割合が99%もあって没。
ガガガ文庫から電撃文庫に編集者が行って、電撃文庫からガガガ文庫に編集者が来て、戦時の捕虜交換現象と命名する(よくあること)
なおス○ーカー文庫と富○見文庫は、同グループ系列内だからと、いらない編集者を相手に押しつけあい、逆花いちもんめと命名されている。
「僕、本当は文学をやりたいから、ラノベとか漫画とかどうでもいいんですよね」と言って全方位に嫌われている無能編集者、常に交換対象となってぐるぐる部署を変わり、あだ名は禰衡(悪口を言いすぎて、常に各陣営から追放される三国志の登場人物)黄祖が出たのかは知らない。
「プラットフォーム」主人公が目覚めると48階にいた。階層に必ず二人、真ん中に空いた穴に、一日一度だけ食料が降りてきて、残りが下に行く。一ヶ月に一回、階が変えられる。初月を生き延びた主人公は、次に171階に行き、このシステムの恐ろしさを知っていく。スペイン発のSFサスペンス映画。
創作者あるあるだろうけど、長いことやっていると各種オンラインゲームで自著キャラの名前のプレイヤーをたまに見かける。自著名キャラプレイヤーの後ろでモンハンの理不尽攻撃で死んでいるのが作者で、ダクソやエルデンで自著名キャラに侵入されて殺され、丁寧に一礼されている死体が作者です。
トライガンが話題なので「GUNGRAVE」を勧めておきたい。最初の二話は訳分からないだろうけど、そこからマフィアギャング話でもMAX度の熱き友情と愛と裏切り、美しい終点が見られる。
何回か言っているけど、ビルより巨大な怪獣より、目が合って取って食われる体高3~10mくらいの怪物のほうが怖く思える。
AV新法、生活に困る人やヤミ業者が出ているそうで、古くは夏からの中国歴代王朝、エジプト、ギリシャローマから、アメリカの禁酒法まで歴史と世界各地の失敗を何回やっとんねんとなる。
真面目な若者ほど「自分には政治が分からない」と投票しにくいという話を見る。だいたいの民主主義国家と日本は、直接ではなく間接民主主義を採択しているので「自分に現実の全部は難しすぎて分からないが、この人なら代わりに最善や次善を考えてくれる」と主治医や代理人感覚で選ぶといいよ。
学生さんや若い人が自由に作品を作れない件。普通に育った本人が素で作ったものが、誰かの政治的宗教的信条の気に障って炎上するので、恐れるのも分かる。さらには所属団体や組織に突撃し、撤回や辞職を求める言論弾圧が常態化してきて、弱い立場ほど厄介な人の顔色をうかがう風潮になっている。
インボイス制度の最大の問題、クリエーターの実名と住所がたどりやすくなると、クレーマーによる難癖訴訟がアホほど起こるという悪夢の予測が。現状でも、名前と住所が分かりやすい自営業者などが食らっているのよ。
各国によってなにが犯罪かの定義や治安機構の程度、経済や文化が違うが、犯罪統計を大雑把に言うときは、だいたい殺人件数と割合を各国の治安というかクソ度の目安にするといいそうな。死体は明確なので、未発見で多くなることはあっても、減ることはない。
殺人は多いけど他の犯罪は少ない国、というのは存在せず、ほぼ比例する。そもそも殺人が多い国が良いとする謎基準は無意味。殺された人はそんな謎基準に絶対に賛成しないし、言う機会がない。近代社会は幸福の定義は人それぞれとしたが、人死にが少ないほど良いを大前提とする。
トンチキ意見を集めると「アメリカに比べて日本は女性を殺す国」は同国が日本の25倍の殺人率で論外。「オーストラリアは性的表現がなく子供に安心」は同国が日本の3.5倍の殺人率で、危険や性犯罪も近い倍率(十倍という話もある)出羽守が好む暗数も近い倍率で増え、暗数の算出方法も確立されている。
創作物や表現は「人を傷つけない」「必ず人を傷つける」は同じことの裏表で、歴史学者リン・ハントの18世紀からの文学史研究と哲学者シンガーの人間心理の分析を合わせると「安全に傷つくことができる」である。創作物での傷つきは実際の傷に比べて安全で、現実に備えるために必要なものとなる。
どれほど恐ろしい表現も、物理的に危害を加えることはない。一方で恐怖や悲しみを知り、感じ取れる。この安全に傷つくことで「アンクル・トムの小屋」が奴隷制廃止の機運を高め「オリバー・ツイスト」「ニコラス・ニクルビー」が児童虐待に対する認識を改めた。表現なくしてそうなったとは思えない。