ひろゆきの冷笑ごっこから、左派が「一日一秒でも座り込みで、定義としては間違っていない」というワードを見事に引きだされていた。二手先を読まないから、過去から未来までの座り込み、ハンスト、デモとすべての行為が「え、そんなお遊びだったの?」と人々の信を失った。
冷笑をバカにしていたため、定義的に正しければ大丈夫、という安易な考えで致命的な一言が出てしまった。現在の各種言動どころか過去を書き換え、未来まで決定する。冷笑に対する防御法、誘導されている返答はなにか、を考えないと人々の信頼を失う事例すぎる。
@sin39morita 自由に平等、反差別などリベラル的価値観は人々に浸透しているのですが、理論的であるべき左派があの程度のレスバに引っかかるのはむしろ悲しいです。個人的に右派左派ともに賢くあってほしいので。
ダイの大冒険、主人公のダイのキャラが王道で地味に思えるが「力こそが正義」の大魔王に「これが正義かっ!? より強い力でぶちのめされればおまえは満足なのかッ!?  こんなものがっ!!! こんなものが正義であってたまるかっ!!」 と言い切り、やはり主人公としても出色なのよな。
前世紀からのファンタジーRPGいじりが飽きずに今も続くが、正しさや愛や友情とはなにか、と問うど真ん中の剛速球のダイ大は今に提示されることに意味があるように思う。「このマスターピースに対する返歌をきっちりできているか?」と問われたらほとんどの創作者は襟を正すしかない。
異常者や異常な思想信条の人は、自身の狂気に大真面目で真剣で冗談を言わないし言えないので、異常か正常かを見分けるフォークト=カンプフ検査になっている。
ファンタジーに出てくる刀剣、竜を切ったらドラゴンスレイヤー、鬼を切ったら鬼切り丸とかだけど、たまたま当たった場所が印象的だと、尻切り丸とかになって大変。チン切り丸は、出されただけで戦場に恐怖が起こりそう。
テレビの武論尊氏の話で「北斗の拳」の直前に、ポル・ポト派崩壊直後のカンボジアに行っていたそうな。白骨の山や少年兵を実際に見てきて、崩壊社会の空気感が分かったそうな。別のインタビューだと、人間は他はともかく悲しみは共通、残酷なシーンや話は悲しみがないと陳腐になる、とも言っていた。
北斗の拳は初回と二回で手応えがあり、大ヒットしたために残酷な人体破壊や展開もすぐに真似された。が、残酷なだけで悲しみを描けていないから、武論尊氏は「あいつらは一番良い所を真似できていない」と見ていたそうな。
スタンドバトルを確立したジョジョも、影響を受けたHUNTER×HUNTERも基本的にはパワーとスピードがある能力が強く、主人公に持たせている。発動に手間や時間がかかるものは毎回相手を罠に嵌める必要があるし、主人公の能力が遅いと創作的には扱いづらいとなる。
流行している、人々の大事なものを傷つけるか盾にして自分の主張を知らしめるという手法、その段階で聞くに値しないと全世界的にしたほうがよいだろう。 twitter.com/afpbbcom/statu…
アムロ「人間の知恵はそんなもんだって乗り越えられる!」 シャア「ならば、今すぐみずほ銀行のシステムを直してみせろ!」 アムロ「え、あれって宇宙世紀でも直ってないの?」
gagagabunko.jp/release/index.… まず第一段として、12月20日発売予定「されど罪人は竜と踊る22 去りゆきし君との帝国」ということです。いろいろあって⋯⋯というかありすぎて四年ぶりの続刊ですので、よろしくいただければ幸いに存じます。
かつての「定形業務を真面目にこなす」職人のような労働が消えて、現在では多くの仕事に空気を読み、人との関係を調節し、柔軟な対応力が求められる、と基準が引きあげられた。もうこれ資質的に人口の何割か、最悪は半分がついていけない社会になっているんじゃないか、とは二十年くらい言われている。
何回か指摘しているけど、社会の少なくない割合を構成する「あいつは口下手で無愛想だが、真面目に仕事に取り組むし、気のいいやつだ。そろそろ家庭でも持たせよう」と仕事と結婚ができ子供が産まれて、とならない社会はどうやって続くんだよ。
大昔の美大の授業で「人間は自然に間違って負けるし、正解や勝つ方法は考えられる。だけど、間違いや負ける方法は、まず正解や勝つ方法を考え、逆やそれ以外を考えるという二段階になって遅いか、できない人もいる」ということを聞いた。冗談やお話作りが苦手な人はそういうことかなと思っている。
不安障がいやPTSD、強迫症などの人を除いて「安全に傷つく」と同じく「安全に怖がる」ことで、自己の感情やストレスへの耐性やコントロール力を高め、さらには克服したことで自己肯定感を強くしてくれるという。ホラーファンがコロナ禍にも上手く適応した、という関連研究もあるそうな。 twitter.com/karapaia/statu…
「多くの駄作凡作の末に傑作が出る」に「ヒット作だけの作者もいる」という噛みつきを見る。これもう19世紀の時点で「いっぱい書いてどれかが当たる確率を増やすしかない」とフランスの文豪バルザックが結論出しているがな、で車輪の再発明ならぬ疑問の再発明、クソだるい。
ダークソウルの小説が出るそうだけど、NPCの会話中や曲がり角、扉を抜けるたび、そしてとくに意味もなく、どれだけの回数のローリング描写があるかがリアリティになる説。
ダークソウル小説「部屋に前転して入り、即後転して戻り、盾を構えた」 普通の人「??主人公が発狂した??」 プレイ済みの人「初見での堅実な動きにリアリティがある」 普通の人「????」
ダークソウル小説「全身が赤に染まった男は奇妙な仮面を被り、下帯だけを身につけていた。両手で巨大な武器を握り、丁寧に一礼してきた」 普通の人「??すぐ死ぬ変態ザコキャラかな??」 プレイ済みの人「これは強敵中の強敵を示す、リアリティがある描写だな」 普通の人「????」
「犯罪者や悪人の作ったものは停止か禁止!」は、文化と芸術の一部の問題ではなく、毒ガス兵器を作ったハーバーによる肥料からの食料を禁止すると、世界の三分の一は餓死。帝国侵略者の子孫という作品と考えると、現代先進国の国民のほとんどが当てはまる、ということになる。
カルト宗教二世の人たちが「サタンがどうこう言うだけの教義より、外の世界の各種科学の本の具体的で論理的な説明のほうが正しいことに気づいて目が覚めた」という事例を多く見聞きする。カルトが外部や科学を嫌うのはそういうことだろうなとなる。
正直、宗教どころか各種の思想や学問ですら、2000年くらいにあった、実際の実験やデータで検証してみましょう関門を潜りぬけたものは少ない。だから20世紀で止まって21世紀に更新されていない多くの思想や学問は、その関門を無視して延命しているふりをしている。
初の読書感想が「俺はメロスでありながらも王でありセリヌンティウスだし、フィロストラトスでもあれば、村の老爺の時もある」と、近代以降の文学の正しすぎる理解にたどりついている。まず自分という予断を捨てて著者に、作中の人物に心を委ねよ、ができない人にはできない。 twitter.com/omocoro/status…