1001
年配者は、自分の話したいことを話すのではなく、自慢話をして若者を驚かせよう、感心させようとするのではなく、若者の立場に寄り添い、こんなことで悩んでいるのではと推量し、自分の情けなかった話、悩み苦しんだ話をして上げてほしい。すると、多くの若者は聞きたがるように思う。
1002
戦後昭和の企業経営にもいろいろ問題はあったが、会社での運動会もあり、部活もあり、会社との一体感があった。それが勝ち組・負け組に分断されて、会社としての一体感を醸成することが非常に困難になった。
1003
もちろん、食品ロスが大量に出ることは、それを生産するのに必要だった肥料やエネルギーをムダにすることなのだから、減らしたほうがよいには違いない。しかし食品ロスのゼロを目指すのは極めて危険。安全余裕を完全になくすことになり、飢餓が発生しかねない。
1004
低賃金層が多く、貯蓄が100万円もない社会状況で「資産所得倍増計画」を推し進めれば、格差は広がるばかりです。しかも、「資産所得」のお金はどこからひねり出すのでしょう?それは、働く労働者が稼ぎ出したお金ということになるでしょう。株主は、労働者から搾取する形となります。
1005
昨年、サントリーの新浪社長が45歳定年を主張していた。その後、ステークホルダー資本主義やSDGs,エシカル投資などの声に押されて黙ったみたいだけど、少なくとも昨年まで、いかに人を切ろうとしている人たちが経営者の中にいるかがわかる象徴的な主張だった。
asahi.com/sp/articles/AS…
1006
どうか目の前の若者に、少しでもヒントになりますように、と祈ること。ヒントにもなんにもならないという不安、恐れを抱きつつ、でももしかしたら一片のヒントになるかもと祈りつつ。そうした祈りのこもった説教は、若者は大好物であるらしい。
1007
川をダムでせき止め、干潟を埋め立て、魚や鳥、虫たちが「海から陸へ」リンを戻してくれるこの循環を断ち切ったことで、将来、山を枯らし、田んぼを枯らすことにならないのだろうか。こうした現象は100年、200年単位でしか結果が分からないと思う。だからこそ、余計に怖い気がする。
1008
米10キロの政策は、現場の声を聞いていないようにしか思えない。想像の産物でしかない困窮家庭への勝手なレッテルを貼って(親が放蕩してるなど)決めてかかった政策に思われてならない。
電気ガス水道家賃の確保に必要な現金よりも米10キロの方が安く済み、ニュース性があるから選んだのでは。
1009
とある実験結果を示し、「これ、何か気づいたことある?」と尋ねた。「わかりません」という無気力な返事。しかしそれは織り込み済みなので「うん、僕もわからない。何しろ僕も初めて目にする結果だから。分からない者同士、気づいたことをともかく列挙してみよう。ここはどうなってる?」
1010
元教え子から「持続可能な農業とは?」と尋ねられた。私は「当面は持続不可能な農業を続けながら持続可能な農業に少しずつシフトしていくしかない」と答えた。有機農業は持続可能な農業だと思われているが、皮肉なことに現在の有機農業は、化学肥料を用いる慣行農業に支えられているという面がある。
1011
少人数で大面積を耕すとなると、「細かいことは気にしていられない」になりやすい。微細な変化は無視することになる。土が少しやせるかも、という心配があっても、年1%にもならない変化なら、まあ、いいか、となる。事態を放置し、それよりも効率化できるところをどんどん効率化することに。
1012
大規模化し、効率化すると、農業は儲からなくなる。儲からないから規模をさらに大きくして売り上げを増やし、なんとか利益を出そうとする。するとさらに市場がだぶつき、値下がりする。効率化を進めれば進めるほど、利益は薄くなり、人手をかけられなくなる。
1013
戦後昭和の日本は、アメリカの属国のようでありながら、面従腹背でなんとか安い小麦の流入も高い関税をかけることで押し止め、コメの生産を守ることで、ギリギリの食料安全保障を守ってきたとも言える。しかしここに来て、農協批判、コメ農政批判が高まり、世論が背中から銃で撃つ格好。
1014
成長分野に人材を集め、成長分野に順応できない人材は切り捨て、国が用意するセーフティーネットで救う、と駒村教授は提言していました。しかしこの主張は、たとえば竹中平蔵氏が20年来主張し、日本企業と政府が実践し、現在の日本にしてしまった政策と、瓜二つです。
1015
まとめました。
農業の企業化、工業化?|shinshinohara #note note.com/shinshinohara/…
1016
自分で米を炊いたことがないから米10キロという政策を思いついた気がする。
「現金を配っても親が使い込んで子どもが飢えたまま。だったら米の現物支給ならより確実に子どもが飢えずに済むだろう」と頭の中の想像だけで政策を考えたのではないか。
1017
人間はどうやら、自分を思いやろうとしていること、しかし自分の悩みが本当はどんなものなのかはわからないこと、しかし少しでも役に立ったらと思っていること、それでも何にも役に立たないかも、と迷っていること、そうしたことを雰囲気から感じ取ることができるらしい。
1018
育児サークルは、コーヒーを出してお母さんたちがおしゃべりしている間、父が赤ちゃんや幼児の注意を引きつけ、遊んでやる、母がお母さんたちの愚痴や話を聞いて「だいじょうぶ」という、ただそれだけ。けれど、それが孤独を癒し、不安を和らげる重要なきっかけになっていたらしい。
1019
阪神大震災の時、ボランティアの活躍を見て、ご高齢の方たちが「こんなことしかできないから」といいつつ、ほうきで毎日掃除してくれるおじいさん、いつでも湯茶を飲めるよう、火の番をして湯を沸かし続けてくれるおばあさんがいた。ボランティアみんなで「こういう年の取り方したい」と言っていた。
1020
アメリカではすでに大規模農業の弊害が現れ始めている。小学校は生徒数が少なすぎて閉鎖になり、病院も撤退し、映画館もボーリング場も姿を消し、わずかに小規模な店を残すのみになって、若者が農業を継ぐことをためらう原因にもなっている。病院や学校は、その土地で暮らすのに必須のインフラなのに。
1021
若者が何に悩んでるのかなんて分からない。自分の話すことが的はずれな可能性は非常に高い。なのに偉そうに話すことなんてできるはずはない。でも、もし自分が若かったときにこんな話を聞きたかったな、というのがあれば、目の前の若者に少しでも頻度になれば、という祈りをこめて話す。
1022
それから私の日本酒探しが始まった。本来日本酒は美味しいもの。あの味に近いお酒はあるはず。そう思って探し始めると、友人もいろんな情報を集めてくれて、試飲会みたいなのをよく開くように。あのときの飲み物にはかなわないが、かなり近いと思える日本酒に出会えるようになってきた。
1023
年配者は、果たして自分の説教が子どもっぽい欲求から生まれたものか、それとも若者が聞かなくても仕方ない、役に立たないかもしれない、という諦念を持ちながらも、少しでも役に立てばと祈りをこめて話してるものなのか、考えてみるとよいと思う。すると、話し方は劇的に変わるように思う。
1024
特に、リンはどうしようもないはず。窒素分は微生物が空気中の窒素ガスからアンモニアを作る窒素固定というのがあるからなんとかなる。カリウムは、海水の水しぶきが風に流され、雨に含まれて降ってくることもある。他のミネラルは岩石に含まれる。けれどリンだけはどうしようもない。
1025
山にリンを運ぶものがいるはず。可能性が高いのは、鳥、魚、虫。海辺で魚を食べた鳥は、山の木々に止まってフンをする。サケやアユなどの魚は川をさかのぼり、クマやキツネに食べられ、それらの動物が山で歩き回りながらフンをする。そのフンを食べた虫がまたそこらじゅうでフンをする。