shinshinohara(@ShinShinohara)さんの人気ツイート(新しい順)

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息子(小5)の漢字テスト。286点!その漢字の熟語を追加で書くと2点プラスになるらしい。漢和辞典ひっくり返して調べまくり。 先生上手いなあ。クラスで盛り上がってるらしい。なお、もっと上がいて、最高は290点という。前回は252点で息子がクラス最高だったらしいけど。
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まとめました。 先回りすると興味を失う、後回りして驚くと興味を示す|shinshinohara #note note.com/shinshinohara/…
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私が驚く様子を見て、息子は「数字のことなら親を驚かせられる」と思ったようで、ますますのめり込んだ。私が「先回り」せず、「後回り」して驚いたから、興味関心が湧いたのだろう。 親の先回りはまあ、残念なことになることが多い、という話。
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私はことのほか数学が苦手で、理系ならわきまえておくべきとされる数学もろくに身につかなかった。そのためか、子どもがどのように数字と向き合うのか、興味関心があった。教えないでどう獲得していくのだろう?と観察していると、教えもしないのにいろいろ数の概念を獲得していくのに驚いた。
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驚くどころか、子どもに自慢しかねないことに気がつくのだろう。それにウンザリして興味を失うらしい。 他方、親に汚染されていない分野は未開拓分野。ここで親の力を借りずに知識を得たら、それは自分のもの。それを親に披露したら親も驚くだろう。そう考えて、別の道を歩もうとするらしい。
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自分が子どもの頃ハマったものに、自分の子どもが興味を示さず困ってる、という話をよく聞く。もしかしたら、「先回り」してしまっているのかも。子どもは親がはるか先を走っている、ということに気がつくと、その分野に興味を示さなくなる傾向があるらしい。親がその分野では驚かないことに気づいて。
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「名探偵コナン」が大好きな息子。そこにたびたび三国志エピソードが挟まるのに興味をもち、「三国志読んでみたい」と言い出した。三国志好きな私はそれで嬉しくなってしまい、熱く語ってしまった。そこから息子はマンガ三国志を読まなくなってしまった。私が詳しいことを察したからだろう。
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私の勧めた図鑑を手にとろうとしなかったのは、私がその図鑑の内容について詳しいからだろう。ということは、その図鑑から知識を仕入れて親に披露しても、親は「ああ、知ってる知ってる」という反応しかしないだろう、それどころか追加の知識も披露して自慢するだろう、と嫌気がさしたのかも。
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子どもが興味関心を失う大きな原因に「先回り」があるらしい。 自分が子どもの頃、大好きだった図鑑があって、「これ、お父さんが大好きでよく読んでいたんだ」というと、一つも読もうとしなかった。 ところが知人がくれた図鑑は擦り切れるほどに何度も読んで、私にその知識を披露してくれた。
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FB友の辻由起子さんから、シェア。 ・・・・・ 【 生かさず 殺さず 】 国会議員の皆さん、見てください。 (DMを届けた議員さんはすでに動いてくださっています🙏) 2020年4月。 緊急事態宣言が出た時。 「死なないで!」と、国民に届けた緊急小口資金と、総合支援資金。
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まとめました。 「反省」するのは大切な人がいるから|shinshinohara #note note.com/shinshinohara/…
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そう考えていくと、反省とは、自分の大切に思う人を悲しませたくない、そんなことをさせたくないと思っていたのにそれをさせてしまった、という時に発生する感情なのかもしれない。もしそうだとすると、「大切に思う人」がいない場合、反省することはかなり難しくなるのかも。
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反省というのは、大好きな人に迷惑をかけてしまった、という感情なのかもしれない。大好きな人にあんなことをさせたくなかった、なのに自分がその事態を招いてしまった、そのことへの激しい後悔が「反省」なのだとしたら、見知らぬ他人に「反省」することは、無理な要求なのかもしれない。
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「反省させると犯罪者になります」という本がある。ふつう、悪いことをしたり人に迷惑をかけたら謝罪させ、反省させようとする。ところが反省(心から悔い、被害者に済まないという思いを抱くこと)というのは、どうも人間心理としてはそれでは起きにくいらしい。被害者が他人であればなおさら。
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「しょせん他人事ですから」って漫画で、子どもがしでかしたことに親子で謝りに行くシーンがある。けれど子どもは芯からは反省しておらず、親にも真実を告げておらず、のらりくらりな態度。被害者は許せないと激昂。事態の深刻さにようやく気がついた父親が土下座し、「申し訳ありませんでした!」
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「専門でない、知識がないなら黙っておけ」という意見をよく目にする(ぶつけられることしばしば)。でも私は、失敗してもよいから積極的に発言することを推奨している。ただしいくつか条件がある。 ①自分なりでよいから練り上げた仮説を述べること。 ②仮説であって絶対正しいなどと言わないこと。
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旧統一教会の韓鶴子氏がこんな発言してるのにネット右翼の人たちが沈黙してるのは、実はネット右翼の実態は旧統一教会の息がかかってる人たちだったんじゃないかという知人の仮説は興味深い。 mbs.jp/news/feature/s…
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私は農業研究者なので、農業研究者ならではの経済の仕組みというのを考えてしまう。 すごくシンプルに考えると、世界中の人類を養うに足る食料を農家が作り、これをきれいに分配できる運送業の仕組みさえ整うなら、それだけで飢えずに済む社会になる。
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まとめました。 「素」の自分と「素」の世界|shinshinohara #note note.com/shinshinohara/…
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私は、学ぶこと自体は大切だと考えている。しかしそれは学歴を得るためとか社会的地位を得るための「道具」だから、ではない。むしろ、そうした考え方は学ぶことを汚してしまい、面白くないものにしてしまうように思う。学ぶことの大切さは、「学ぶことは楽しいから」だと思う。
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それでも救いになったのは、お向かいに住んでいたおばあさんの言葉。学歴とかどうとか、外面的なものを見ず、「素」の私を見て、その努力を見てくれていた。それが何よりうれしかった。京大に合格したことをほめる人は、私をほめているのではない。京大をほめているだけ。
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「お母さんが病気で倒れて、それでも買い物行って料理作って洗濯して、本当によく頑張ったね。このたびは本当におめでとう」そう言って、涙まで見せてくれた。 私は、ああ、見てくれていた人がいたんだ、と思った。いちばん認めてほしいところを認めてくれた人が、ここに。
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しかもそうした傲慢な気持ちがどうしても端々に現れるから、周囲からしたら不愉快。で、周囲とうまくいかず、摩擦が多くなる。その摩擦は実は、自分から周囲を見下す言動があったことが原因なのに、「自分以外は程度が低いからだ」と見下し、さらに悪循環を生む。
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「ああなったらダメよ」という親の価値観、世界観が、子どもを苦しめてしまう。自分はダメになってしまった。ダメなところで満足していてはダメだ、と思うから、目の前のことを楽しめない。「俺はこんなところでくすぶっているような人間ではない」という思いが湧いて楽しめない。
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失敗すればやり直せばいいし、なんならやり直さなくても、現在与えられた環境を楽しみながら取り組めばいいと私は思う。なのに「上昇志向」で育てられた子どもは「自分は落ちぶれてしまった、もうダメだ」と自分をみなし、自暴自棄になっている。自分を認められず、許すこともできない「呪い」。