shinshinohara(@ShinShinohara)さんの人気ツイート(古い順)

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まとめました。 過疎化が大規模農業の非効率化を招くかも|shinshinohara #note note.com/shinshinohara/…
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日本の農業はGDPの1.0%。そして農業人口は全人口の1.3%。ということは、他の産業と比べて農業は3割ほど売り上げが低く、稼ぎもその分少ない、ということになる。 アメリカの農業はGDPの1.14%。農業人口は1.0%。ということは、アメリカは他の産業よりも14%多めに稼いでいるということになる。
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学部卒だと、私自身そうでしたけれど、「未知を既知に変える」という科学の作法が全然身についていないんですよね。修士2年を加え、研究を3年やってようやく、未知の現象に対し、どう観察し、推論し、仮説を立て、実験方法を組み立て、実際に実験する、という手順がマスターできます。 twitter.com/agri_nahato/st…
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スリランカに関する記事。急激に化学肥料から有機肥料に切り替えようとしても、有機肥料も、元はといえば、化学肥料により作られた植物、そしてそれを食べた家畜由来。化学肥料がなくなれば、有機肥料も減る。化学肥料からの脱却は容易ではない。 lm.facebook.com/l.php?u=https%…
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カナダの研究者、バーツラフ・スミルによると、もし化学肥料を一切使わないならば、地球は30~40億人しか養えないだろう、と試算している。世界の人口は現在78億人だから、約半分しか養えない。餓死者を出さずに済ませるには、当面、化学肥料に頼らざるを得ない。
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食料安全保障を考えるうえで、「電池」がカギを握っているように思う。性能の良いものができるかどうかで、食料安全保障は大きく左右されることになる、と思われる。というのも、大概の農業機械が石油で動く動力だからだ。しかし現状では、電池で動く電動式にするのは、容易ではない。
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第二次安倍政権が発足したとき、ツイッターには、少しでも安倍政権に反すると思われる書き込みには執拗に攻撃するアカウントが大量に現れた。その多くは天皇を中心とした国家体制を!と書いていた。天皇を盾にし、安倍政権を問答無用に守ろうというアカウントで溢れた。
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政治に絡む発言をすると、「残念だ」というツイートをされることが多い。フォロワー数も激減する。まあ、フォロワー数を増やすことは目標にしてないのでそれは構わないのだけど、興味深い現象だとは思う。自分と同じであることを相手に期待し、違うと失望する、というのは、日本ではよくある現象。
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ただ、私は、政治的に意見が違うのは仕方がないことだと考えている。政治的に同じ意見であることを私は求めない。あなたはそう思うんですね、面白いなあ、私はこう思うんですけどね、でよいと思う。子育てでも、子どもが私と同じであることを期待しないし、求めない。違うから面白いのだと思う。
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自分と同じ考えを期待するのが「同調圧力」。現代日本はこれが実に強い。自分と同じ考えであることを一方的に期待し、そうでなかった場合、一方的に失望して、まるで被害を受けたように感じ、害悪であると表現することもある。しかし、民主主義というのは、異なる意見があるのを前提にしている。
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自分と同じ考えであることを相手に求めるのは、次のことを暗黙のうちに前提している。 ・全てを理解し、誤解をしない天才であることを求めている。 ・自分の考えこそが正しく、誤解がなく、全てを考慮し尽くした天才であると措定している。 だから、「あなたは私と違って愚か者だったか」と嘆く。
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「あなたはそう考えるのか。面白いなあ。私はこう考えるんだけどね」「あなたはどうしてそう考えるに至ったの?面白いなあ。私はこうした理由からだけどね」こうした話し合いがあるから民主主義なんだと思う。自分と違う意見だったら残念がる、というのは、ちょっと変に思う。違う意見だから面白い。
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「よそ者」考。 農業の研究やってると、よそ者が農村に入ってきてイザコザが起きる話をよく耳にする。多いパターンは、大企業勤めの経験のある人が「このど田舎に俺の貴重な経験を教えてやろう」というもの。そして村の慣習を因習と決めつけ、偉そうに説教始めて、疎まれるタイプ。
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関係がこじれると、もと都会人は「田舎者めらが!」と見下し、田舎にもともといる人は「なんや、感じの悪い人」となる。都会人が田舎に新風を入れてやろう、と、自分が優位に立ってると考えるとき、よそ者は不適応を起こしがちな気がする。 他方、すんなり順応する「よそ者」も少なくない。
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「えー!これどうやったらできるんですか?」「うわー、こんなの、頂いていいんですか?」田舎で目にするもの耳にするもの、全て新鮮で驚き、面白がるよそ者には、みな親切。そして寄り合いがあれば「あの若者に、よそから来た視点を教えてもらおうよ」と、「よそ者」の話を耳傾けようとする。
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村の素晴らしさを知ってる若者が、遠慮がちに語る言葉には、「もうちょっと遠慮なしに、思ったことを言ってくれ」と、むしろ聞きたがり、感心し、「よそから来た人もこう言うことだし、この際変えようか」と、すんなり変化したりする。よそ者が新風を入れ、しかも友好的。何が違うのだろう?
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前者のよそ者は、田舎者は自分より劣っている存在で、自分を崇め奉るべきなのだ、という刺青デザイン臨んでいる。これだとうまく溶け込めなくて当然。相手を自分の下位に置いているのだから。 他方、田舎にあるものの新鮮さに驚き、面白がる若者に対しては、つい心を開いてしまう。
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あとにも先にも一度きりだけど、先斗町の小料理屋に「京都の勉強だ」と連れて行ってもらったことがある。 外から、「京都のことなら何でも聞いてくれ!」とガハハ笑いが近づいてきた。「お、この店にしよう」と扉を開けたのは、実に値の張りそうなスーツを着た男性二人。入ろうとすると、店の主人は。
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「すみません、予約が入っておりまして」と、空いてる席は空いていない、と伝えた。仕方なく、ガハハなお客さんは立ち去った。まだ二十歳になったばかりの私は、いつ予約客が来るんだろう?と思った。一時間たっても、その予約客とやらが来ない。やがて、恐る恐る戸を開けたのは、女性客二人。
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「あのう、京都のお料理を勉強したいんですけど、よろしいでしょうか?」店の主人は「どうぞ」と、予約席にそのお客さんを座らせてしまった。「え?」目をむく私に、ニンマリと笑う父とその友人。 その女性客は、京都の料理に驚きの声を上げ、店主も丁寧に材料や調理の説明をしておられた。
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店を出たあと、父とその友人が、私に解説してくれた。「京都人になるには3代かかる、と言われている。初代、二代目はまだよそ者。三代目の、生まれた時から京都に住んで、ようやく京都生まれと認定される。偉そうなよそ者は、丁寧にあしらわれつつ、バカにされる。けど、謙虚な姿勢の人には優しい町」
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これは京都に限らないんじゃないかな、と思う。古い町や村にある慣習は、長い歴史の中で生き残ったもの。何らかの理由がある。それを単に因習だと決めつけるのは、無頓着に過ぎる。 しかし村の一つ一つに感動し、驚いてくれる人には、心を開く。改める姿勢も生まれる。なぜか。
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自分たちの村に驚き、面白がってくれる人を受容したいから、よそ者であるその人の心地よいよう、改めるものは改めたくなる。驚き、面白がってくれる人には、逆に自分も驚き、面白がりたくなるものらしい。京都も田舎も、よそ者を受け入れる条件は、同じなのかも。
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これは、京都だから、田舎だから、というより、初対面のときにはとても大切なことなのかもしれない。社会的地位の高い人って、丁重に扱われることに慣れて過ぎて、初めての場所でも偉そうにして、失敗してるケースをよく見る。 でも、たとえ社会的地位の高い人でも、初対面の人の話を面白がる人は。
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すんなりその場に溶け込んでる。つまり、初対面で「高い社会的地位」は関係ない。むしろ勘違いを生みやすいという点で、害悪かも。社会的地位なんか忘れて、初対面の人の話に驚き、面白がれば、対話は大概うまくいくような気がする。