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次第に遺族の方たちが「まるで元気だった時のよう」と涙を流して喜ぶように。亡くなった方に施すこの化粧技術はエンゼルメイクと呼ばれ、全国から研修に訪れるほどの人気の技術になった。これもある意味、「どうせ」から「どうせなら」への変革のように思う。
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人間がある行動を頑張る場合は、その前提となる「思枠」がある。市役所職員は、「神戸市が支給した物資だ」という思い込みがあるから、自分こそ正義だと信じていた。私がそこを突き崩せば、あっさりボランティアたちが何を言っているのか、理解してくれた。
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で、互いに自らの正義の根拠を説明しないまま、相手の行動を責め、反対するものだから、話にならなかった。私はそこのところの誤解を解いただけ。すると、市役所職員も「自分が救援物資にあれこれ口を出す権利はない」と理解してくれた。スムーズに話が済んだ。
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この子事例もそうだったけど、自ら学ぶ能動性さえ取り戻せば、大人の予想をはるかに超えた学習スピードを示す。途中、つまづくことがあっても、泣いて悔しがり、なんとか克服したいと願い、そして本当に突破してしまう。能動性。それさえ取り戻せれば、子どもは劇的に変わる。
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この子の事例は、いくつものことを教えてもらうことになった。この子の場合、「教える」という行為はムダだった。教える最中にも魂はお出かけしてしまうのだから。自ら学びに行く能動性を取り戻さない限り、学習が成立しなかった。そして、能動性さえ取り戻したら、教えなくても勝手に学んだ。
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「私もこの電車乗りますねん。ほら、見てみなはれ。あの駅員、このホームで指示を出す要の人や。そんな人捕まえたら余計に遅れますやん。迷惑や」と言ったら、オッサン黙った。後ろの奥さんに袖を引っ張られたのをきっかけに、憤然として向こうに立ち去った。駅員は見事にさばき、電車はやがて動いた。
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救援物資は神戸市が支給したものだから、ボランティアの好き勝手にはさせない、というリクツが市役所職員にはあった。それが本当なら、なるほど、ボランティアが口を出す話ではない。他方ボランティアは。自分たちが必死になって集めてきた物資だから、市役所職員が口を出すのが納得できなかった。
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「まんが医学の歴史」は大変面白いので、みなさん読んでみられることをお勧め。その中で、対照的な人生を送ることになった二人が紹介されている。ゼンメルワイスとリスター。この二人は、消毒が多くの患者の命を救うことをそれぞれ発見したのだけれど、人生が大きく違ってしまった。
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コメが記録的な安値になろうとしている。大規模農家でも採算がとれないほどの安値であり、このままだと日本の食料安全保障の底が抜けてしまいかねない。
コメが安値になった原因の一つは、外食産業が新型コロナで営業できなくなったことが大きい。ただし、人間は本来、同じ量の食料を食べるはず。
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なんならオッサンは、電車が出ないことによる、その場にいるお客さんみんなの不満を代弁して、駅員という強者に立ち向かう英雄、という自画像を思い描いていた可能性がある。それを突き崩すには、私のような対等な人間が、ポンポンと肩を叩くのが最も効果的。
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どこか無意識に、「俺はこんな難しい専門的な理論を知っているぜスゴイだろ」自慢をしたい心理が働いてしまうのだろう。そして目の前の事物、現象よりも、理論の方が高尚で素晴らしいものだと勘違いする心理が、どこかで働いてしまうのだろう。
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とある大学の先生の嘆き。
学生は「結果」にしか興味がなく、「どうしてそうなるのか?」ということに関心がない、とのこと。
小中高の教育が結果しか求めず、大学でリハビリやってる感じ、だという。なるほど。
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「エンゼルメイク」が広がる前、亡くなった人に化粧を施すのは看護師の当番だったのだけれど、その時用意されていたのは折れた口紅、残りかすのファウンデーション。これではあまりに亡くなった方がかわいそう、と、一念発起した看護師が、死んだ人に合う化粧を研究し始めた。
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ところで冒頭の話に戻ると、市役所職員の正義、ボランティアの正義がぶつかりあって、全然話になっていなかった。それで私が調整役に入ったのだけれど、ケンカの様子を観察しているうち、市役所職員の方が何を根拠に「正義」としているのか、わかってきた。
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年下あるいば部下のそういった場でのお仕事は、自慢話をする上司をヨイショすること。「すごいですねえ」「私にはとても」とへりくだること。これがそういった場でのお約束。いわゆる「さしすせそ」。さすが、知らなかった、すごい、センスいい、そうなんですか。
先輩から後輩へつながれる伝統。
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共同研究の関係で、一部上場の大企業2社と一緒に食事する機会が。大企業の2社から来たそれぞれの担当者(両方とも男性)は初顔合わせ。さすがに社会人経験を積んできたツワモノたちだけあって、会話が途切れることはなかったのだけれど。
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その紙の棒を3本束ねると、はるかに強度が増すことに気がついた。ともかく紙を触り、観察しているうちに気がついたことから改善を進め、彼女らなりの橋を作り上げ、東大生と勝負した。
その結果は。すイエんサーガールの圧勝だった。
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ただし無加工の紙は、ものすごく早く落ちることもあった。彼女らは、滞空時間が長い時と短い時の違いを観察した。滞空時間が長い時は横にシーソーのように揺れて徐々に落ちるのだけれど、早く落ちるときは揺れ過ぎて紙が縦になり、一気にまっすぐ落下するのが原因であることに気がついた。
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百円ショップに行くと、前まで百円だったであろうサイズのプラスチック容器が二百円に。三百、五百円も多い。価格がかなり混在。店の様子を見て「ああ、これ、三十年前の雑貨屋、金物屋だな」と感じた。
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仲裁というのは難しい技術なのだけれど、第三者の方が話を収めやすい、ということはよくある。この場合、駅員は「お客様を予定通りお送りするのが仕事」という思枠があり、オッサンはそれを盾に取って、いくらでも文句をつけてよい、という口実を得ていた。ところが。
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龍谷大学や摂南大学が最近農学部を新設したのも、就職に強いという点を見直したのだろう。農学部は、生き物に関する実学を学べる総合学。農学部に行ったことない人にはちと想像し難いほど、広い分野を学ぶ。だから企業も農学部出を積極的に採用するのだと思う。
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学歴のないことを理由に見下したり、社会的地位がないことを理由に見下したりする言動を見ると、私は「もう一人の私」が見下されたような気がして、気分が悪くなる。私は、もしかしたらそうだったかもしれない「私」を見下すようなことはしたくない。
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臨床の現場を知らない医学研究者が、数値だけを見て楽観論を振りまいている気がする。なるほど、「集中治療室の滞在期間の違い」は、まだ統計データが出ておらず、明確に論ずることは難しい。しかしそれにしても、臨床の現場がこれだけ悲痛な声を出してるのに、それを聞き流すのは解せない。
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「ジョブ制」考。
知人によると、日本の強みは、職場で困ってる人を見かけたとき「どうしたの?手伝おうか?」の言葉がスッと出ることじゃないか、という。外国人はこうはいかず、「それはオレの仕事じゃない」とつれなく通り過ぎてしまう。困ってる人はいつまで経っても困り続けることになる。
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世の中には、学歴も社会的地位も、事情があって得る機会がなかった人がたくさんいる。しかし、家族の危機に逃げずに、まじめにコツコツ働いてきた人がたくさんいる。私はそうした人たちに強い尊敬の気持ちを持つ。学歴や地位でいい気になるのは容易だが。