地味鉄庵 Jimi-tetsu-an(@ottotto7007)さんの人気ツイート(リツイート順)

今話題の中央リニア新幹線もそう。何故これほど重要な路線の建設工事が地方の首長のせいで目途が立たないのか。川勝が神奈川のせいだと責任をなすりつけ始めたということは、要するに大井川源流部の問題は実は問題ではなく、単にJRCにゴネて正義ぶるだけのネタに過ぎなかったことを自ら暴露している。
横浜駅シャル2階の東横線上りホームと、ジョイナス2階の相鉄線頭端式ホームは、ビルの壁1枚 (?) の近距離でした。しかし電車にとっては、永遠に交わることのない距離。 それを今日、相鉄と東急の電車がともに軽々と踏み越え、相手方の線路を通って横浜駅に至ったとは! 何という尊く歴史的な一日!
相鉄特急小川町行き、大和→小川町の所要2時間18分。 帰りに乗った小川町発15時の八高線、計5本を乗り継ぐも途中の連絡が良く、小川町→大和の所要2時間10分。 やっぱり東横・副都心線経由は遠回りなようで……。
秩父鉄道の宝登山ロープウェイ、何もかもが昭和遺産的で感激に打ち震えました……。 チョコバナナ色のゴンドラの中は、今はなき500系電車と近似の内装カラーリング……。
東北の417系、両開き2扉近郊型+集中冷房という整ったスタイルが好きなのですが、国鉄末期の資金繰りが苦しい中で、ごく僅かしか製造されなかったのは残念。 (2007年5月撮影) #417系の日
本日限りでさようなら!相鉄の急行! 横浜開港150周年記念「走れ!みんなの横浜号」ラッピングとなった7754Fが、まだ大改造前の西谷駅海老名寄りを快走するシーンです。(2009年7月撮影) 相鉄の急行は、横浜の発展に寄り添ってきました。その印象は今後も永く沿線民に残ることでしょう。
【「庫マニア」ツアー・京葉臨海鉄道編】 今回は参加者に連結器とブレーキの保守点検実演が披露されましたが、そのために何と!有り難いことに、「銀タキ」ことタキ143645が手配され、検修庫内で撮影するという、最高に貴重な機会に恵まれました!
秩父鉄道の広瀬川原イベント史上、最もマニアックだったひととき……C58+秩父オリジナル貨車の特別編成。 (2014年5月) #つい無言でガッツポーズ取ってしまった写真
こちら相鉄かしわ台。素晴らしい快晴の朝です。 東急3101Fが無事到着しています。 相鉄史においても、Myかしわ台巡礼史においても、新たな輝かしい歴史の1ページが刻まれました。
東武所属6050系列の最後の現役車となった634型。 10年前のきょう、総合車両から出場し甲種輸送されました。
2008年=15年前の今日、東急8000系のさよなら運転が実施されました。大型HMを掲げた歌舞伎8017Fの力走に、真冬ながらも最高に熱くこみ上げるものがありました。 東横線も本当に車種が増え、いつの間に遠い昔感。
東急8637Fの廃回後の動きをツイッターで拝見していますと、恐らく地方私鉄譲渡に向けた動きをしているように思います。しかし今さら新規で東急8500系を導入する私鉄があるとは思えず、製造が新しい8637Fを掘り出し物として追加し既存の老朽車を廃車する動きでしょう。サハが残ることから、秩父は確定?
福井鉄道の武生側終点、武生新から越前武生に変わったと思ったら、新幹線の駅とのカブリが生じ、一部平仮名で「たけふ新」に戻すとは……なかなかない話ですね w 福井駅前にて発車を待つ急行・武生新ゆきです。 (2003年8月撮影) 80形、好きなのですが……鉄コレ化を常に望み続けています。
川崎市は、浜川崎駅周辺の南渡田地区(JFE工場&JRFヤード)をハイテク工業団地へと再開発するにあたり、交通の便として、南武支線を川崎発とするための短絡線「川崎アプローチ線」を構想しているようです。 川崎駅のどこから出発し、八丁畷の先でどう南武支線と合流するのか、興味は尽きません。
かつて東武野田線で釣掛冷房車王国を築いていた5070系。 (2004年7月撮影) 東武野田線(アーバンパークライン)の5両への減車計画発表、輸送力面で3000系列及び2080系6連と同じレベルに戻し、電気代を節約するということでしょうか。
新旧交代劇が終わり、誰も注目しない超安定期に突入した感のある相模線のE131系。 今朝入谷で朝練してみましたが、キハ30/35、そして205系から「相模線=相模川の青」を継承し、良い電車だと思います。 次に注目を集めるのは、後継車が発表される約30年後でしょうか?
東急車輛の傑作・東急7200系と南海6000系の美しき出会い! (昨日撮影)
19年前の今日、相鉄新6000系のさよなら運転が実施されました。 以来時が流れ、ついに間もなく (?) 東急の電車が、同じ線路を通ってかしわ台に来ると思うと感無量です。
東急のヒカリエ編成が相鉄対応になったそうですね……。 相鉄の黄色といえば、ここ約半世紀は事業用車。 瀬谷を結構なスピードで通過するモニ2000です。 まだ下り待避線は影も形もなかったという……。 (2005年のきょう撮影)
中国のSL、動態保存機を除いて全廃のようですね……。 一つの時代が終わったと言えましょう。 中国の鉄道を気軽に日本からも訪れて楽しめる時代が当面終わっていることと、時期的に重なっているのも感慨深いです。 1990年、甘粛省嘉峪関市のヤードにて入換中の解放型を撮影。
今やすっかり相鉄はYNB・青オレンジ帯・東急・埼京が入り乱れた世界となりましたが、昔懐かしヲジサンがイチオシしたい相鉄の色はやはりこの、ダークグリーンと赤帯を上手く組み合わせた塗装です。他になかなかなく、センスも悪くないと思います。 #みどりの日なので緑色の電車を貼る
都営地下鉄大江戸線車両牽引用の機関車E5000形。 川重から甲種輸送され、陸送に向け千鳥町をゆく。 (2005年3月13日撮影)
相鉄新6000系は、2003年11月2日にさよなら運転を行った後も、新旧標準塗装の2編成が長らくニセ厚木に留置されていましたが、最終的には全車解体されました。 18年前の今日撮影したこのカットが、個人的な撮り納めでした。 YNBも良いですが、相鉄といえばこの色、と思う昭和脳です (懐
相鉄ダイヤ改正・急行消滅のお知らせの衝撃! 1970年代から希望ヶ丘以西の相鉄本線を利用している者にとって、かつては早朝深夜を除き、相鉄に乗ること=急行に乗ることでした。既に日中は来なくなりましたが、新横浜線開業という巨大な節目と引き換えに、昭和の残り香に終止符という印象です……。