地味鉄庵 Jimi-tetsu-an(@ottotto7007)さんの人気ツイート(いいね順)

四川省の綿陽では、大洪水で橋が崩壊するのを防ぐために、積車状態の石炭列車を橋の上に停車させて死重をかけているようですが、日本ではこういう実例はあるのでしょうか? (貨車をいざとなったら捨てることが前提なはず)
西九州新幹線といい、函館本線といい、重要な幹線鉄道の建設と運営は国家百年の計として考えるべきところ、下手に国が金を出したくないために沿線自治体の希望と一部出資に委ね、結局全通の目途の立たない部分開業や廃止の危機という惨状を呈しているのは、有り体に言って近代国家らしさの自己放棄。
新幹線電光掲示板、もしも満鉄が現存し高速化していたら編。
幕張の209系、伊豆急行譲渡のお知らせ、来ましたね……。 8000系が製造後約半世紀となり、消費電力が大きい電車を置き換えたい伊豆急と、なるべく伊東線内をJRE型で運用したいJREの思惑が一致したのでしょう。 恐らく、113系&115系あらため200形と同様、過渡期のつなぎ役になると予想しています。
JR四国で、駅ホームでの三脚使用が禁止されたとのこと。 というか、既にデジカメの撮像素子と手ブレ補正技術の進歩は著しく、夜でも手持ち高感度撮影でキレイに撮れる時代ですので、鉄道撮影で三脚って別に必要ではないんですよね。 他の鉄道会社でもどんどんそうして頂ければ、駅はもっと平和に。
全世界の鉄ヲタは青函トンネル記念館を訪れるべし⭐︎その1
9年前のきょう、神奈川臨海鉄道50周年記念イベントが開催され、横浜本牧駅の秘宝・C56 139が披露されました。 この日のために横浜本牧に送り込まれたJRF緑コンテナコキやシキ1000と連結され、マニアックな眼福の極み……。
今朝の『神奈川新聞』の「横浜駅 行かないのに 横浜線」という記事が面白いです。 読者の「横浜直通を増やせ」「何で東神奈川線じゃないのか」「リニアが開通したら」という声に、JRE広報氏は「線路容量不足」「国有化前は横浜鉄道だったから。改名はしない」「リニアはJRCなので」と無慈悲な回答 w
那珂川清流鉄道にて保存されている名鉄→会津キハ8500。 キハ8500は5両中4両が現存しますが (マレーシアに渡った2両の最新の状況は不詳)、お盆の10連が注目を集めるJRCキハ85は、果たして何両が譲渡・保存の対象になるでしょうか?
かつてなく後ろ向きな印象だった今年の鉄道界・春のダイヤ改正当日にあって、唯一 (?) 結構気分的に盛り上がったのは、多摩川スカイブリッジ供用開始による、東京モノレール撮影の新たな楽しみでしょうか。タイミングがなかなか合わず、粘り腰勝負ですが w
交通をはじめインフラを撮るやつは怪しいので一律に撮影禁止、という国が少なくなく、日本でも撮影禁止の事業所や店内がままある中、日本の鉄道は寛大にも自己責任と相互信頼で撮影させてくれるのですから、撮る側も撮影は勝手気ままな自由ではなく、鉄道会社との信頼関係の維持を大前提とするべき。
今後ますますの10000系列化が予想される東武の館林地区ローカルですが、かつては小泉線に1800系が走っていたこともありました。何度見ても、1ドアの通勤車って凄い w (2006年のきょう撮影)
真っ直ぐな複線と、侘び寂びな単線カーブは、単にこの位置で上下重なり合うだけで、それぞれ別々の道を行くようにしか見えないのですが、相鉄線直通という共通の縁が生じ、遥か彼方の羽沢横浜国大で線路が合流しているとは……これだから首都圏の鉄道は面白い。本日は相鉄東急新横浜線開業から1ヶ月。
『地球の歩き方』41年の歴史の中で、ソ連編を持っている人は極めて少ないはずです。 88年夏に初めて出て、91年末に崩壊しましたので……。 当時は高3で即購入し、受験勉強中の愛読書でした w 何故にウズベキスタンが表紙?と思いましたが、80年代のシルクロードブームに便乗しようとしたのでしょう。
16年前のきょう、都営浅草線5200形の引退に合わせて、西馬込にて撮影会が開催されました。相互直通運転4社の魅力的な面々がズラリと揃う感動のひととき☆
どこかの非相鉄沿線民中坊が、緑帯の相鉄10000系を指して「相鉄といったら赤だろ」とイキっているコラ画像が流れて来ましたが、昔の相鉄は鋼製車=緑中心で、沿線民の印象も緑なんですよね。 それぞれのてつどうのれきしは、もっとくわしくしらべればためになるよ。 (再掲で失礼。04年撮影)
インドネシアKCIによる中古電車輸入申請書の全貌が明らかになりました。「我々は工業製品の国産化方針に従い2025年からINKA製の新車を入れ、既存の日本中古車も交換部品は国産品とするよう努めてきた。2024年までに多くのメトロ編成が限界に達し引退させるので、つなぎ役としてE217系を何とか是非!」
ダイナミックに離合する京成3000形 (II) とモニ20。 (2005年3月撮影) 撮った当時は「ウザ!しかも何でよりにもよって3000……」と思ったものですが、久しぶりに掘り起こしてみると時代の変わり目で良いカットかと……。
相鉄電車の顔、57年間の変化と進化。 1961年→2018年。 色も相当変わったものです。
本日限りで和田岬線から103系が引退し、あれほど膨大な陣容であった切妻+田の字窓の103系は消滅することとなりました。高度成長時代の国鉄ラッシュ輸送の切り札として登場以来ちょうど60年。日本の鉄道にとっても巨大な節目と言えるでしょう。長年来本当にお疲れ様でした。ありがとう、さようなら!!
東武所属6050系列の最後の現役車となった634型。 10年前のきょう、総合車両から出場し甲種輸送されました。
東武の浅草口で、8000系準急を6050系快速が追い抜く……今ではあり得なくなった垂涎の光景が、ありふれた日常だった日々がありました。 (2006年3月撮影@鐘ヶ淵)
秩父鉄道PASMO導入のお知らせ、ついに時代の大きな波が到来した感があります。 ICカード設備投資が、ここしばらく車両面での変化の少なさにつながっていたと思われ、今後はいつ5000系に動きがあっても不思議ではないかも。 ジャカルタで消え、熊本でも減った中、三田線時代近似の姿は本当に貴重です。
明日からの東北本線運行再開にあたり、東北新幹線運休救済臨の具体像もじきに明らかになるでしょうが、勝田のE657系を充当して臨時快速とすると、少ない本数にヲタや18キッパーが殺到して良くないわけで、701系やE721系をかき集め、「仙台シティラビット」並みの高速運転をするのではと予想します。
マッコウクジラこと営団3000系→長電3500系の約62年に及ぶ活躍の歴史は、今日を以て終焉。 長年の活躍、本当にお疲れ様でした……。