今日は喫茶店の日です。 134年前の今日、東京の下谷上野西黒門町に日本初のコーヒー専門店「可否茶館」が開店したことに由来するそうです。 写真は喫茶店の可愛い飲み物たち。
地下鉄サリン事件から26年が経ちました。 当時、通勤客などが無差別にねらわれ、都内の3つの路線•5車両に猛毒の化学兵器サリンがまかれ、14人が死亡、およそ6,300人が被害に遭いました。 写真は千代田線霞ヶ関駅の慰霊碑です。
かつて新宿に存在した幻の凱旋門。 この凱旋門は明治38年(1905年)に日露戦争の勝利を記念し、凱旋将軍を迎えるために建てられました。 新宿以外でも日比谷や新橋、浅草などの都内のほか、各地で凱旋門が作られる動きがあったようです。
142年前の今日、明治天皇の意向によって建てられた東京招魂社が靖国神社に改称されました。 靖国神社にはペリー来航以降の国内外の事変・戦争などに殉じた軍人、軍属等の戦没者が祀られています。 写真は少し時期外れですが、春の靖国神社です(詳細な時期は不明)。
本日は渋沢栄一の誕生日です。 渋沢は500社もの企業に関わっていたことは知られています。そのなかにはビールメーカーも含まれており、サッポロ、キリン、ヱビス、アサヒの4銘柄の会社の役員として、ビール産業にも影響を与えていました。 しかし渋沢本人はお酒が元々あまり好きではなかったようです。
新井薬師前駅(昭和2年開業)。 駅の地下化工事が完成すると、この景色は見られなくなります。
国の登録有形文化財に登録されている、旅館西郊本館に泊まってきました。 昭和13年(1938年)の建築。
マカロニ(蕎麦)を食べる女性
1918年頃に撮影された浜松の写真です。1918年8月17日の浜松の最高気温は29.0℃でした。
本日は東京の日です🗼 明治元年旧暦7月17日(1868年9月3日)、明治天皇の詔勅により「江戸」が「東亰(とうけい)」に改称されたことに由来します。 写真は戦前の東京駅の絵葉書(東京歴史倶楽部の私物)です。
本日は新嘗祭(にいなめさい)です。 新穀を神様に捧げ、その年の収穫に感謝する日です。 昭和23年まで新嘗祭は同名の祝日でしたが、GHQの占領下のもと「勤労感謝の日」という名称に変更されました。
歴代の横浜駅。 1枚目:初代横浜駅(現・桜木町駅付近) 2枚目:2代目横浜駅(現·高島町駅付近) 3枚目:3代目横浜駅 4枚目:GHQ占領下の横浜駅
としまえんの閉園まで、あと15日となりました。写真は1940年頃の豊島園大プールです。 ご覧の人だかりですが、気象庁の統計によれば1940年8月の東京の月最高気温はなんと32.7℃。今よりも格段に涼しかったのでしょう。
広島に原爆が投下されてから76年の日です。 2021年現在、広島市が原爆犠牲者として名前を把握しているのは約9万人。 約14万人が亡くなったと推計されているなか、いまだ相当数の死亡者が特定できていないようです。 黙祷の時間は午前8時15分。 亡くなられたすべての御霊に黙祷を捧げたいと思います。
本日は紀元節(建国記念の日)です。 日本書紀で初代天皇の神武天皇が即位されたとされる日にちなみ、明治6年に制定された祝祭日です。 良い祝日をお過ごし下さい。
戦前の三越のPR誌デザイン。 杉浦非水による作品です。
開業からわずか8年で焼失してしまった2代目横浜駅の今と昔。
明治期の横浜の街並み
今日は明治天皇のお誕生日、明治節です。 明治節は戦後の祝日法で「文化の日」と改められていますが、昭和22年(1947年)までは明治天皇の誕生日をお祝いする祝日でした。 皆様よい祝日をお過ごしください。
台湾ラーメンは1970年代に名古屋にある台湾料理店「味仙」の台湾人店主である郭明優が、台南名物の担仔麺(タンツーメン)を元に作ったのが起源とされています。 担仔麺を再現しきれず、辛い物好きの店主の好みで唐辛子などを加えた結果、現在の台湾ラーメンが出来あがりました。 #秘密のケンミンSHOW
1946年1月13日、戦後初の自由販売銘柄のたばこ、ピースが発売されました。 ピースは紺色のパッケージが有名ですが、紺は海外では死者の色です。 しかしピースのデザイナーで、パリ出身のレイモンド・ローウィは日本人に刺さるパッケージを目指すため、日本で高貴なイメージがある紺色が使われました。
88年前に発行された料理本。 バナナの食べ方やカレーライスの盛り方、食べ方なんかも掲載されています。
136年前の今日、東條英機が生まれました。 東條は「モラルの低下」が戦争指導に悪影響を及ぼすと考え、民心把握に人一倍努めたといいます。 配給所で米をもらった老婆が礼を言うのに、事務員が何も言わなかったところ「君も婆さんに礼を言いなさい」とたしなめた逸話が残っています。
東京オリンピック開会式、ブルーインパルスによって東京の空に五輪が描かれました。 開会式前日の東京は土砂降りの雨で、隊員たちは開会式は中止と早合点し、深夜1時まで酒を飲みそのまま新橋に宿泊してしまいました。 翌日快晴の空を見た隊員たちは二日酔いのまま、慌てて基地に向かったといいます。