今日は犬の日なので、日本画に書かれたワンちゃんたちを。 ひたすらに可愛いです。
昭和7年(1932年)の浅草の仲見世。 大正12年(1923年)の関東大震災で被害を受け、鉄筋コンクリート造り、朱塗りの商店街に生まれ変わったあとの姿です。
昭和10年代ごろに作られた東京のの観光地マップ。
9月1日は関東大震災から98年の日ですが、「関東大震災映像デジタルアーカイブ」というサイトが公開されたようです。 撮影場所やシーン別に震災当時の様子が見られます。
【電車にトイレが設置されるきっかけとなった悲しい事件】 1872年の鉄道開業以来、しばらくの間は多くの日本の列車にトイレは設置されていませんでした。 今よりも乗車時間も長かったため我慢できない客もおり、列車の窓から放尿する人もいたようです。 路上しょんべんに対する罰金が5銭だったのに対し
藤四郎は今でも聞きますね!
「菓子は子供の生活の全部である!」 たしか昭和8(1933)年頃の文藝春秋の広告だったかと思います。 新高製菓は台湾•台北に置かれた日本の製菓会社の商品です。 このレモンドロップは、おそらくサクマ式ドロップスのレモンのような味がしたのかなと想像しています。
今日は #ことばの日 とのことなので、池波正太郎のエッセイから好きな言葉を。
1939年頃の #としまえん の園内ガイドマップです。 ウォーターシュート、桃太郎神社、慰霊塔。現在はないアトラクションや施設がたくさん載っています。
昭和27年(1952年)の渋谷。 左下にはハチ公像。 右下に見えるのは当時は食堂だった、現在の三千里薬品です。
本日は新嘗祭(にいなめさい)です。 新穀を神様に捧げ、その年の収穫に感謝する日です。 昭和23年(1948年)まで新嘗祭は同名の祝日でしたが、GHQの占領下のもと「勤労感謝の日」という名称に変更されました。 皆様よい祝日をお過ごしください🇯🇵
97年前の今日、関東大震災が発生しました。 写真は地震の起きた午前11時58分で止まった中央気象台の大時計、倒壊した丸の内ビルディング、震災当日の夜に火災によって発生した入道雲、避難する人々です。 #防災の日
戦前の東京駅、丸の内周辺。
明治11年(1878年)、日本で初めての本格的なリゾートホテルとして開業した、箱根宮ノ下の富士屋ホテルの今と昔。 外国人客専用のホテルだった時代や、進駐軍による接収などを経験した富士屋ホテルは、142年目を迎えた昨年の創業記念日にリニューアルオープンしました。
明日は投票行って外食します。
今日は442年ぶりに皆既月食と惑星食が同時で起こる日。 前回、皆既月食中に惑星食が起きたのは天正8年(1580年)7月26日。 織田信長が石山本願寺を滅ぼした年に当たります。 次回は2344年7月26日とのこと。
明治41年(1908年)の日本橋の三越呉服店。 店内は畳張りで、客は履き物を預けて入店する仕組みでした。 衛生面の観点から靴で建物内に入るのはNGで、土足入店が解禁されたのは大正14年(1925年)のこと。 土足解禁の是非をめぐって2000人アンケートが取られるなど、かなりの決断を要したそうです。
昭和の日ということで本日、昭和天皇が眠る武蔵野稜に参拝してきました。 小雨が降っていましたが、家族連れの参拝客も多かった印象です。 畏れ多いですが参拝とともに写真も撮らせていただきました。
東京駅は外もいいけど、中もいいね。
明治時代に撮影された「しゃちほこ芸」。
靖國神社みたままつり。
1946年1月13日、戦後初の自由販売銘柄のたばこ、ピースが発売されました。 ピースのデザイナーでパリ出身のレイモンド・ローウィは、日本人に刺さるパッケージを目指すため、海外では死者のイメージがあるものの、日本では高貴なイメージを持つ紺色をデザインに採用しました。
77年前の今日、上野動物園で空襲に備えて殺処分された猛獣の慰霊法要が行われました。 この時点では、餓死させるため絶食していたゾウのワンリー、トンキーはまだ生きており、象舎は鯨幕によって目隠しされています。 最後まで生き残ったトンキーは、絶食開始から30日後の9月23日に亡くなりました。
今日は卵かけご飯の日🥚。 もともと日本で卵は避けられていたようですが、室町期にカステラなどの卵菓子入ってきたことで卵料理が解禁。 江戸時代には一般的になり、卵の食文化も多様化したそうです。 昭和15年ごろの卵消費量は年50個ほどでしたが、現代日本人は年間329個とのことで驚きです。
1947年頃に撮影された横浜駅のカラー写真。駅前に停まっているのは米軍専用バスでしょうか。