繰り返しますが、搾取する側が一番触れてほしくないのは構造的搾取は国民の意思でいくらでも変えていけるという単純な事実です…。
「日本がウクライナに謝罪させた」というニュースを外国メディアが一斉に報じ始めている。外国Twitterユーザーも様々な意見をツイート。「歴史修正」という言葉も見られる。国際的な議論を呼ぶことは必至。日本国内のメディアが諸外国の反応をどう報じるのか注目したい…。 bloomberg.com/news/articles/…
ほんとうに、いつからでしょうか。被害者が「去る」のが当たり前になったのは。いじめと呼ばれる暴力、虐待を受ければクラスを去り、学校を去る。セクハラ、パワハラにあえば職場を去り、会社を去る。痴漢にあえば時間をずらし違う電車に乗る…。(続)
国民がどんどん貧しくなっているというニュースと、現与党がさらに巨額の資金を軍事費に注ぎ込むつもりだというニュースが同時に流れてくる。中では多くの市民が困窮している、多くの子供達が飢えているのに、軍事費には毎年、巨額の資金が流れ続ける…世界にはそういう国がいくつもありますね。(続)。
ドイツだって憲法を何度も改正したじゃないかと言う人もいるらしいが、人の尊厳や人権を侵してはいけないと謳うドイツ基本法第一条は[永久条項]と呼ばれ、誰にも絶対に改正できないようになっているんだよな。そりゃそうだな。尊厳とか人権を侵したら駄目だと宣言する条文を変える必要なんかないよな。
何度も、何度も繰り返しますが、これから四、五十年たって振り返った時に、あぁ、やっぱりあの年に、もっとみんなで声を上げて、誘い合ってでもみんなで選挙に行くべきだったなぁ……というのが今年だと思う。
ほんの10年ほど前は世界第11位だった日本の報道の自由度ランク。たった10年ほどで随分変わってしまった…。 mainichi.jp/articles/20170…
世界が注目する「どうやって日本がスーパー高齢化社会を乗り切るのか」への答えが、「亡くなるまで働かせる」ことだと知れ渡ればびっくりする人はいるだろうな…。
アメリカの小学校で起きた銃乱射事件。21人の小学一年生と6人の学校関係者が射殺された(サンディフック小学校、2012年)。哀しきかな銃社会アメリカでは全く珍しくはない銃乱射のニュース。しかし違ったのは遺族が起こした裁判の結末だった。(続)
コロナなんて大げさなとフェイスブックに何度も投稿。レストランやバーに何度も繰り出す。「はっきりさせとくが俺はクソマスクなんて買わないぞ。」二ヶ月後コロナに感染発覚。「コロナは最悪だ。座ってるだけで息苦しいよ。」と投稿した直後に息を引き取る... static.insider.com/ohio-man-veter…
何度も繰り返しますが、アメリカにバーニー・サンダースという議員がおられます。あの人はどうしていつもあんなに怒っているんだと思ってしまうくらい、いつも怒っています。どうしてそんなに怒っているのか聞いてみると、働いても働いても豊かにならない市民で溢れ返っていることに怒っている。(続)
フランスでは、年金の受給開始年齢が62歳から64歳に引き上げられるかもしれないことに抗議して大規模なストが起きている。たった2年だけどとんでもないと怒りの声を上げているんだな。一方日本では年金受給開始年齢が一気に65歳まで引き上げられ、その後もさらに引き上げられる可能性があるんだな。
また繰り返しますが、日本の研究者が数千人規模の雇い止めだという衝撃的なニュース。研究に人生を捧げてきた大勢の研究者が職を失う。こんな恐ろしいニュースを見て、子供達はぜひ将来研究者になりたいなんて思うだろうか。それでも研究をしたい人々は当然海外に研究の場を求めるだろう。(続)
繰り返しますが、子供達の身体の一部である髪の毛の色を、染めてでも「統一」させようという発想自体が危ないということにどうか気付いてほしい。力ずくでも人間の外見を「統一」してやろうという姿勢、それを本当に「教育」だと胸を張って言えるのか。どうかよく考えて頂きたい。
繰り返しますが、戦争の歴史を学ばなければいけない理由の一つは、人間は忘れた頃に必ずまたやるから、です…
憲法前文の「ここに主権が国民に存する」と宣言する部分、削除です。市民を絶対に拷問にかけてはいけないの「絶対に」の部分、削除です。個人を尊重する、の「個」という部分、削除です。憲法が最高法規であることの根拠、人権永久不可侵、素晴らしき97条、丸ごと削除です。改憲案で全部削除です…。
さあ来るぞ。憲法改正、緊急事態条項、人口激減に超高齢化、大軍拡と恐らくセットで行われる徴兵制。囁かれる戦前への回帰。しかし今回違うのは、この国の主権者は国民であるという事実だ。この国の政治の行方を決めるのは主権者である国民なんだ。
まだ投票する権利もない子供達が将来戦争に行くかどうかという極めて重要な議論を、自らは絶対に戦線に行かない大人たちが勝手に進めていくという残酷な現実。
国民を拷問にかけたら駄目だぞ、残虐なことをしたら駄目だぞ、とわざわざ憲法に書かないといけなくなったのはなぜかよく考えような。絶対に駄目だぞと念を押さなければならなくなった時代背景をよく考えような。絶対にだぞ…。憲法第36条「公務員による拷問及び残虐な刑罰は、絶対にこれを禁ずる。」
改憲案を見ていると、あぁ、こうやって現憲法は国民を守ってくれているんだなと改めて実感するとともに、国民を守ってくれている部分がことごとく改正対象になっていることにただ、ただゾッとする…。
あわよくば、反対さえなければ「絶対に国民を拷問にかけてはいけない」と宣言する憲法の「絶対に」という部分だけを省こうとしたり、憲法の[最高法規]と呼ばれる特別な章で「国民の基本的人権は永久に侵してはいけない」と高らかに宣言する条文を全文丸ごと削除しようとしたり。泣けてくるな、本当に。
戦争はやっちゃ駄目だ、戦争を煽る人間の言うことはいつだって間違っていたでしょう、政治家だったら外交でなんとかしなさい、戦争だけは避けなければならない、と米議会に強く訴えるサンダース氏。戦争をしないで紛争を解決するのは「弱さじゃなく強さ」ですよ、という言い切る同氏の言葉が響く…。
何度も言うようですが、「多少の犠牲は仕方ない」というセリフは、実際に犠牲になり、もがき苦しむ人々の口からは滅多に上がりません…
繰り返すが、「基本的人権は永久に侵してはならない」と言わしめる為に、幾つの人生が犠牲になったのか今日を生きる私達は決して忘れてはならない…。
君たちが偉くなったら変えたらいい、ではないんです。早く出世しなくてはいけないね、ではないんです。繰り返すようですが、「偉く」なるまでみんな黙った結果、今の社会の姿があるんです。いろんな理由をつけては黙らせた結果、現状があるんです。出る杭を叩く風潮を許してきたのは私達自身です(続)。