内田樹(@levinassien)さんの人気ツイート(古い順)

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朝一仕事とて信濃毎日に「部活の地域移動」について750字。部活は何のために存在するのか、という根本的な議論がネグレクトされているように思います。部活は世界中どこにもあるわけじゃない。ヨーロッパでは「クラブ」というのは放課後親に送ってもらって通う有料の活動のことです。
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日本の部活は「貧しい家の子どもたちでも自分の潜在可能性を見出す機会が与えられ、その開発を学校が支援してくれる」仕組みです。列強に伍するために近代日本には「貧しい家の子どもの能力を死蔵するままにしておく」ことができなかったからです。結果的にそれは教育的に機能した。
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子どもたちを競争させたり格付けしたりするための制度ではありません。子どもたちの潜在可能性を最大化するための仕組みです。教育者の仕事です。部活のせいで教員の負担が過重だというのなら教員を増員して対処すべきです。学校はこの貴重な教育機会を放棄すべきではありません。
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五輪が特別扱いされるのは「例外的に高度の公共性がある」ことが前提にされているからです。でも今はその「例外的に高度の公共性」が五輪にあること自体が疑われています。JOCがまずすべきはその社会的な合意形成を成し遂げるための「合理的な根拠」の開示でしょう。何で五輪が必要なのか? twitter.com/mas__yamazaki/…
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朝一仕事はGQJAPANの『PACHINKO』原稿。どうして小説『パチンコ』もこのドラマも日本のメディアは組織的に黙殺するのかについて書きました。自国史の暗部については知りたくないという国民は「過去を忘れること」を選んだわけですけれど、それは「未来を創り出す力」を放棄することです。
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何度も書いていますけれど、韓国は李氏朝鮮末期から植民地支配の時代に取材したドラマや映画を次々と発信しています。『ミスター・サンシャイン』『シカゴ・タイプライター』『マルモイ』『密偵』など枚挙にいとまがありません。でも、日本ではこの時代のドラマも映画も作られていません。
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小説や映画は歴史について知るためのたいせつな入口です。日本ではこの時代を「娯楽」として語ることをしません。ですから若い人は樽井藤吉も権藤成卿も頭山満も内田良平も宮崎滔天も知らない。「大東合邦論」や「鳳の国」のような大アジア主義的夢想も知らない。大院君も閔妃も金玉均も知らない。
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同じ時代に同じ場所で起きた出来事については複数の視点から物語ることが複雑な出来事を記述するためには必要です。でも、この時代の朝鮮半島で起きたことについて日本のクリエーターは「日本人の視点からの物語」を娯楽作品として創作することができないでいる。
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たしかに「歴史戦」と称して自国史の暗部について教化や洗脳や歴史修正は試みられていますけれども、自国史のトラウマ的暗部を「娯楽作品」に仕上げて、世界に向けて(もちろん韓国を含めて)発信して、ブロックバスター的成功を収めるという「力業」を試みる人はいない。
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韓国の人々は映画やドラマを「娯楽」として享受することを通じて、自国史の「かさぶたをはがすと血膿がにじむような経験」をあえて直視しようとしています。日本人は77年にわたってその時代については「知らないふり」をしている。この非対称性はいずれ致命的な知的格差に帰結するかも知れません。
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朝岡さんとの話題の一つはこの記事でした。blog.tatsuru.com/2022/06/19_130… 僕は「正しい候補者」ではなく、「自分にとって好都合そうな候補者」に投票します。僕にとって「好都合そうな候補者」とは「僕の発言を封殺したり、本を発禁にしたり、僕を投獄する政府」に身体を張って反対してくれそうな人です。
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日本共産党創建100年のお祝いコメント500字を書いて送稿。 共産党はロシア革命後世界中にできました。アメリカ共産党、イギリス共産党、フランス共産党、ドイツ共産党、イタリア共産党が欧米では老舗です。アジアではインドネシア共産党、中国共産党、日本共産党、高麗共産党、ベトナム共産党。
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なぜ日本共産党は100年にわたって弾圧に耐え、消滅することもなく、独裁制の支配政党に変じることもなかったのか。これには日本の政治的環境の「例外性」が関与しているはずです。その例外性とは何かを問うことは日本政治史を理解する上で有用な問いだと僕は思います。
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れいわ新選組の応援動画が公開されました。想田監督や白井聡さんや中島岳志さんや島田雅彦さんや西谷修さんたち大勢が参加してます。面白いですよ!sanin2022.reiwa-shinsengumi.com/message2022#20…
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朝稽古だん。湿度が高いので、みんな汗だくでした。今日もテーマは「後手に回らないこと」。そのためには「相手が作問者で、自分が受験生というマインドを持たないこと」「反省しないこと」「自己点検・自己採点しないこと」がたいせつという話をしました。
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今の日本の教育はその逆だけをしています。査定されて、格付けされることに慣れ切り、つねに自己点検し、自分の欠点を探しまわる子どもたちを制度的に生み出している。「管理され、採点を待つだけで自発的には何も始めない人間」はまことに統治しやすいでしょうけれど、新しいものは何も生まれない。
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現代日本の学校教育は「反武道的」という点ではほんとうに徹底しています。中等教育への武道導入の目的は「礼儀正しくなる」「愛国心が涵養される」というものでした。「武道とは何か」ということについて一度も真剣に考えたことがない人間の口からしか出てこない言葉です。
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午後二つ目の座が終わったところで小田嶋さんの訃報が届きました。6月13日に平川君とお見舞いに行ったのがお別れになりました。ご冥福をお祈りします。
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小田嶋さんと最後にお会いしたのは6月13日でした。その少し前にお電話を頂いて、「旧知の方たちに意識がはっきりしているうちに別れの挨拶をしておこうと思って」ということでした。次の週に平川君と二人で赤羽のお宅にお見舞いに行きました。
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ベッドに横になっていて、話をするのも苦しそうでしたが、半身起き上がって「どうでもいいようなバカ話がしたいんですよ」というので、ご希望にお応えして、三人で思い切り「バカ話」をするつもりでいたのですが、話しているうちにどんどん元気になってきて、言語と文学の話を熱く語ってくれました。
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最初の小説『東京四次元紀行』が出たばかりでしたから、その話が中心でした。1時間以上話して、別れ際に「じゃあ、元気で。またね」と手を握ると暖かくて柔らかい手で握り返してくれました。長い付き合いの最後の贈り物が笑顔と暖かい手の感触でした。素晴らしい友人でした。ご冥福を祈ります。
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小田嶋さんが電話をくれたのは、彼の親友だった岡康道さんが急逝された時に「最後の挨拶ができなかったことが友人として悔いが残った」のでそういう思いを自分の友人にはさせたくないからという理由からでした。小田嶋さん、ほんとうに気遣いの行き届いた人でした。
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最初に小田嶋さんの文章を読んだのは『シティーロード』のコラムでした。「すごい」と思って追っかけた「最初の年下の書き手」です。『我が心はICにあらず』以後小田嶋さんの本は全部買いました。『寝ながら学べる構造主義』には小田嶋さんへの謝辞が掲げてあります。まだお会いする前でした。
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GQJapanの依頼で「小田嶋隆の仕事」というタイトルで追悼文を書きました。小田嶋さんの書き手としてのスタンスの独自性について。小田嶋さんは橋本治さんの「革命的半ズボン主義」の後継者・実践者だったのだ思います。病床で最後に言及した作家が橋本治で、著作が『革命的半ズボン主義宣言』でした。
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小田嶋さんの孤立は比喩的に言えば「夏休みが終わって高校生たちがスマートに受験モードに切り替えた時に、1人だけ夏休みが終わったのに気づかず半ズボンとアロハとゴム草履で学校に来てしまった少年」の孤独のようなものだったんじゃないかと思います。橋本治さんの孤独はそういうものでした。