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人口減は資本主義の前提そのものを覆します。しばらくは「囲い込み」によって人為的に「労働者人口の過剰」場面を作り出して「替えはいくらでもいる」という幻想を維持しようとするでしょうが、資本主義が骨まで染み込んだ人たちは自分たちが作り込んだ幻想と現実がもう区別できなくなっています。
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「労働者を子どもが生めない環境に追いやるほど人口は増える」というのは資本主義者たちの揺るがぬ確信です。今の自公政権が労働者の生活を困窮させようと必死なのは資本主義の「教え」に従っているだけです。そうすれば資本主義が甦ると信じているのです。
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残念ながらもう資本主義は甦りません。
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国力とは軍事力や経済力ではなくて、「自分たちには倫理的優位性がある」という矜持に足場を持つものだと思います。勘違いしないでくださいね。「倫理的優位性」というのは「おれの国はすげえぞ」という夜郎自大のことじゃありません。自国史のトラウマ的暗部を直視し、言語化できることです。
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自国史の暗部を隠蔽すると、そこから壊死し始める。戦争に敗けることの最も深い傷は、自国史のトラウマ的暗部を直視するだけの体力も気力もなくなることです。だから、敗戦国は倫理的に弱くなる。戦勝国だって夜郎自大化のリスクは同じですが、体力気力が残っているからやろうと思えば「反省」できる。
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前に各国の中央年齢を調べて驚嘆したことがあります。高齢化している国(子どもが生まれなくなった国)のランキングです
1位日本 2位ドイツ 3位イタリア 4位ブルガリア 5位ギリシャ 6位オーストリア 7位 クロアチア 8位スロベニア 9位フィンランド 10位ポルトガル です。
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ギリシャ、クロアチア、スロベニアは枢軸国に支配されていました。ブルガリアとフィンランドは枢軸国。ファシスト政権だけれど中立だったポルトガルを除く9位までが全て枢軸国側で敗戦を経験した国でした。共通する傷は「敗けて国力が衰微し過ぎて反省する余力がなかった」ということでしょう。
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「ドイツは反省した」とよく言われますけれど、それは西ドイツの話。東ドイツは「戦勝国」でしたから東西統一というのは、ナチスの戦争犯罪について「一切責任はない。反省することなど何もない」という公式立場をとる人たちを国民に迎え入れたということでした。
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日本の国力が急激に衰微したのは歴史修正主義者が跋扈し始めてからです。「自画自賛」でしか国の名誉を維持できない国は「倫理的優位性ランキング」で最下位に格付けされます。日本人は80~90年代の「国に体力気力があった時」に十分に「反省」すべきでした。もう手遅れですけれど。
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「自国の過去に誇りが持てなくなると、その国では子どもが生まれなくなる。」たぶんこの事実を歴史修正主義者もレイシストも直感的には理解しているのだと思います。だから必死になって自国史を嘘で飾り立てようとする。でも、それだとますます国力は衰微してゆくんです。いい加減に気がついて欲しい。
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僕のセックスワーカー論blog.tatsuru.com/2022/07/01_093…を読んだ僧侶の方が法然の言葉を教えてくれました。
法然は遊女が「私も阿弥陀さまの救いに適いますか」と尋ねると、出来るなら遊女をやめてお念仏しなさい。出来ないなら遊女をしながらお念仏しなさい。必ず浄土に往生する事が出来ると説いたそうです。
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辻元清美さんに応援メッセージを送りました。辻元さんに「応援お願いします」と言われた時に「福島みずほさんと比例区かぶりますよね?」とためらったら「福島さんの当選を私も願っています」と言っていただいて「そうか、二人とも当選すればいいんだ」と思って二人とも応援することにしました。
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そのあと共産党の大門みきしさんの推薦を頼まれた時に「こうなったら三人まとめて応援します」と肚を括り、そのあと水道橋博士がれいわから出ると知って「じゃあ、四人まとめて」ということになりました。全員の当選を心から願っております。🙆
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「同一選挙区では一人だけ応援する」ということが「ことの筋目」だろうとずっと思っていました。でも、よく考えてみたら、投票は一人にしかできないけど、応援する人は何人いてもいいんだということに今ごろ気づきました。
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できるだけ投票率を上げるように世論を喚起するのが民主社会におけるメディアの責務ではないのですか。「非民主的な社会で構わない」と思う市民がいるのは「事実」ですから報道する価値はありますけれど、それは「そういう市民が増えたら民主主義は持たない」という意見と併せて報じられるべきです。 twitter.com/mu0283/status/…
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「むしゃくしゃしたので誰でもいいから殺したい」という市民が存在することは十分に報道する価値はありますが、それをそのまま報道することはふつうしません。「どうすればその行動を抑制できるか」という課題の方が緊急性があるからです。新聞記者ならその優先順位の差はわかるでしょう?
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今日本のメディアは必死になって(必死さがばれない程度にではありますが)「参院選を話題にしない」ように努力しているように見えます。「投票しても何も変わらない」という無力感の宣布にメディアがこれほど懸命になるのは、もちろん政権がそう望んでいるからです。
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それは言い換えれば、「もし100%の有権者が投票所に向かえば、われわれは政権の座から転落するだろう」という予測を政権与党がしているということです。
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「今すぐ野党と政権交代して欲しい」と思っているのは有権者の10%程度でしょう。でも「政権交代が適宜行われる政治の方が緊張感があってよいと思いますか?」と訊かれたら「はい」と答える有権者は50%を超えるはずです。この人たちが「じゃ、まず手始めに・・」となることを与党は恐れている。
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上意下達の組織ではなく、誰も命令せず、誰も査定せず、誰も毀誉褒貶を口にせず、みな自由に来て、自由に帰る。そういう自由で自律的な組織においてしか自分の限界を超えるための修行は出来ないのだと思います。でも、これってすべて今の学校教育では否定されていることでした。
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ご飯の時に参院選の話になって、みんなかなり熱くなりました。昨日の京都からの帰路でも、街頭演説聴きに行ったり、ビラ貼りしたり、いつもとは違う気合いの入り方でした。それだけ危機感が強いのです。あと一週間。潮目の変化はあるでしょうか。
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朝稽古で「体育会マインド」についてお話しました。体育系部活は上級生が絶対に下級生よりも技術的に優位になるように制度化されています。それは「おどおどする。怯える。つねにきょろきょろして指示を待つ」ことが「下級生として正しい作法」であるという刷り込みを行うことで達成されます。
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逆に「自分の判断で適切と思われるふるまいを堂々とする下級生」は厳しく処罰されます(場合によっては追い出される)。「場を主宰する」ことを禁じられ、つねに上級生に対して「後手に回る」ことを強制されている。だから「上級生の方が技術的に優位」であるのは制度的に当然なのです。
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凱風館でも初心者は「初心者らしく」ふるまおうとします。つまり自信なさげに、びくびくと、査定的なまなざしの前で身をすくませていることが「初心者として適切な態度」だと信じている。違いますよ。堂々と、悠然と、自信を持って動くことの方が「正しく動く」こと以上にたいせつなのです。
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僕たちがここで稽古しているのは「後手に回らない」生き方です。「場を主宰する」とはどういうことかを知るために僕たちは稽古しています。誰かに査定されて「いい成績」をとるためではありません。