Dr.ゆうすけ(@usksuzuki)さんの人気ツイート(新しい順)

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「自責が強すぎるひと」というのは、野球に例えるとショートを守っているのに、右中間にボールが落ちた責任を感じて凹んでいるようなもので、それでは神経が擦り切れてしまう。 まずは二塁と三塁の間をしっかり守る、というだけで精一杯だし、それでも十分に難易度高いことなんだとおもうのです。
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「べき」をいったん脇において、じぶんの心だけをじっくりみつめると、そこに自然な動きを感じられるようになる。 その小さな情動にただ素直になればいいとおもう。 「オレンジジュースを飲みたいのか?飲むべきなのか?」休職したときの話。|まつしまようこ @yoko_mattonote.mu/coyokojp/n/nc3…
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【謝罪について】 謝罪の目的は、許してもらうことではなく、「関係を改善すること」だとあるひとに教えられた。 相手に与えた損害を認めてその痛みを真剣に慮ること。さらにその局面から、どのような態度でどのように行動すれば、お互いにとってよりよい状況になるのかを対話の上で考え尽くすこと。
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【落ち込みと頭痛】 気分の落ち込みと、頭痛ってものすごく関係があるのです。 精神の安定や体温調節や睡眠とかに関与する「セロトニン」の分泌が低下すると、落ち込んだり眠れなくなるだけでなく、脳の血管が拡張して(片)頭痛を起こすのね。 ひどい頭痛は、心の不調を疑うサインでもあります。
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心が弱っているときは、あなたをジャッジするひとの近くにいないほうがいい ひとは自らが評価の対象として晒されているとき、生理反応として防衛的になる。 ジャッジによって傷つかないために払われる気力は膨大で、回復に回すエネルギーが足りなくなる。 そんなのに気力を支払ってる場合じゃない。
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あなたがものすごーく気にしていて、常にご機嫌をうかがっていて、裏切るまいと必死になっている「世間」というやつに、じつは実体なんてないんだよ。 実体がないものに支配されてるのはものすごく不健全でしんどいから、ちょっと距離をとってみよう。 人並みでなくても生きてていいのよ。
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あらゆる心の病の治療の基盤にあるのは、「安心」だとおもう。 安心して初めて、なおりたい、状況をよくしたい、何かを変えたいという余裕が生まれ、行動することができる。 安心とは、基本的に他者との関わりの中で築くものである。 築くのは簡単ではないけど、失敗しながら少しずつうまくなれる。
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「意思決定を繰り返すとひとは精神的に強くなる」そうです。 意思決定は疲れるし、めんどくせーからすぐサボりがちになるのだけど、もうちょい強くなってもいいかなともおもうので、HPの余裕があるときには筋トレ的にこなしていきたい所存。
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あなたのことを大事にしてくれないひとたちのことを、そこまで気にして頑張りすぎなくてもいいとおもうのよね。
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「連休中に何か意味あることをしなければ!」 という気持ちが強迫観念のようになってるとしたら、いったんもちついとくれ。 大したことしない時間が必要なときもあるし、「なにもしない」ということを頑張ったほうがいいひともいるはずよ。 脳や心の疲労は「時間がくすり」みたいなとこあるからね。
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暗いやつは暗いやつなりの苦悩があるし 明るいやつには明るいやつなりの苦悩があるのよ。 愛情のないやつは、ないやつなりの 愛情があるやつは、あるやつなりのしんどさがある。 そういうことなんだよなー。
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ひとは精神的に余裕がなくなると、すぐに「善か悪か」でものごとを判断したくなってしまう。 じぶんのこともそう。こうなってしまったわたしがすべて「悪い」と。 あなたが悪いかどうかはわからないけど、「わたしが悪い」とすぐにおもってしまう思考の癖は、「損か得か」でいうと損かもしれないね。
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SNSに流れてくる特定のニュースや主張に、ものすごく怒っちゃうことがあるんだけど、これには2つ理由がある。 ひとつは、それがじぶん自身の傷つきの記憶を再生産する呼び水になってるから。 もうひとつは、「自他の境界線」が曖昧なために、他人の痛みをじぶんの痛みとして引き受けてしまうから。
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死にたいとか、空っぽとか、消えたいとか、どんなネガティブな内容でも、それをよいとか悪いとか「判断」されずに受け入れてもらえることで、安心し、はじめて本当はどうしてほしいか、どうなりたいか、どうすべきかを振り返って考えられる。 ジャッジをしない。 じぶんの分かる話に矮小化しない。
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じぶんの感情や考えを、安心して打ち明けることができる他者が、そのひとにとっての「安全基地」になる。 「安全基地」に受容されることでもって、じぶんの人生を主体性をもって探求できるようになる。 探求には拠点が必要だから。 大切にされるということを知ってはじめて、じぶんを大切にできる。
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「求めても無視されて、何も応えてもらえない」という状況を何度も何度も経験すると、「求めない」という態度が自然に定着する。 それどころか、求めていたものが得られる場面になったときに、遠ざかることを選択するようになる。
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ひとの欠損がなぜチャーミングかというと、そこに「手をさしのべたい」「埋めたい」という関わりの欲求が生まれるからだとおもうのよね。 同情とかそういう次元ではなくて、くぼみがあったら、なんか埋めたくなるでしょ。 そういうテトリスみたいな気持ちよさは、人間の本能に基づいてるとおもう。
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「わたしは見捨てられる」という不安がとても強いパートナーには ・あなたのことが大切である ・あなたから離れるつもりはない ・あなたのためにできるだけのことはしたいとおもっている ・ただ、それには限界がある これを繰り返し繰り返し伝えることで、関係の安定をはかることが大切。
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「気にしすぎだよ」 「考えすぎだよ」 こうした言葉は、やさしさから来ているけど、残酷でもある。 受けた側は、今の苦しみは気にしすぎてしまう「わたし」に原因があるんだという自責の感情と、この苦悩は誰からも理解されないんだという孤立感が深まる。
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じぶんの人生を生きなおしているひとたちを見渡すと、だいたい「友だち」の数が減っていることが多い。 本質的な豊かさや暖かさを与えてくれる人間関係は実はそんなに多くはないことに気づくし、そういう大切な関係をそんなに数多く維持することはできないんだよね。 まずは太字の登場人物を大切に。
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「弱さを見せられるつよさ」というのがある。 とても誠実で、勇気が必要な行為。 もしもそれを拒絶されてしまったとしても、あなたの見せた「弱さ」や、「弱いじぶん」を否定することはない。 相手にそれを受け容れるだけの器がなかっただけ。 ただ、見せる相手が間違っていただけ。
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そういうひとは、技術うんぬんの話の前に 「じぶんはこの会話を心から楽しめなかった」 という事実のほうを重くみるべきであって、それはあなたの応対のせいではなく、単に会話相手と感性や知性が合わないだけだったりするのよね。
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会話がうまくいかなかったとき、自動的に 「私のやりかたがよくなかった、どうすればよかったのか」 とへこんでしまう真面目なひとがいますが、コミュニケーションがうまくいかなかった原因が100%あなたにあることなんて滅多にないよ。 そもそも会話のゴールは「相手を不快にしないこと」じゃない。
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「ひとを信じる力」について。 ひとは、相手が信頼に足るかどうかを過去の経験に基づいて判断する。 助けてほしいときに助けてもらえなかったり、裏切られたりする経験が多いと 「このひとはじぶんを助けないだろう」と判断し、ひとりで解決しようとする。 壁をつくり、他人と距離をとろうとする。
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じぶんの「毒」の部分を隠して愛されたとしても、存在レベルでの不安は消えない。 「いてもいいんだ」って心からおもえないし、癒されないんだよね。 その毒は誰かにとっての薬になるかもしれない。 そういうミラクルみたいなことがある。 他者と生きることの醍醐味ってそういうことなんじゃないか。