MobaryHills(@MobaryHills)さんの人気ツイート(古い順)

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いすみ鉄道国吉駅に保存されているキハ30 62の大原方の前面幕が、なんと「茅ヶ崎-橋本」に変更されています。いすみ鉄道(旧木原線)以外の駅名を表示したのは初めてかもしれません。なお、キハ30の横には先日の春のいすみ鉄道まつりで運転されたボンネットバスがまだ置かれていました。
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幕張電車区から前面「普通」表示で出区してきた、165系+169系6連です。1992年に撮影したもので、この頃113系が冷房化や更新工事で車両不足となり、限定運用で総武・成田線の普通列車として使用された時のもの。写真は千葉駅15時半過ぎの総武線普通列車充当のため出区したところです。
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719系がまだ新車の輝きを放っていた頃の、1993年の仙台駅。同じ普通列車で活躍していた417系や455系と並ぶと、ステンレス車体の新しさが際立っていました。周りの車両が引退していく中で、気付くと719系も登場から20年以上が経過し、後輩にバトンを渡す時代へ。#719系の日
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本日はいすみ鉄道国吉駅で、オーナー・サポーター向けのイベントが行われました。イベントの1つは、保存されているキハ30の体験乗車。白煙を上げて構内を数往復しました。また、幕を交換しての撮影回も実施され、初登場と思われる「千葉」「成田」「湊町-奈良」などを見ることが出来ました。
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復刻された一次新潟色の115系が出場したということで、現役当時の写真を。これは1995年4月に撮影した、115系一次新潟色の3連を3編成連結した9両編成。E127系が登場する直前の頃で、115系に混じって165系も普通列車で活躍していました。信越本線古津~矢代田間で撮影。
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本日のいすみ鉄道、快速到着時の国吉駅では、タブレットを投げる懐かしのシーンが再現されました。特に今回はキャッチャーの横に「駅員」も立ち、さらにリアルな情景が再現されました。なお、これに合わせてか、キハ28にはヘッドマーク取付けは無く、前面幕も白幕となっていました。
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1995年に撮影した、松戸電車区(現:松戸車両センター)に留置中の103系と203系です。写真中央はクハ103-519で、京葉区から転入した車両ですが、京葉区時代にAU712+SC24の組合せで冷房改造を受けており、その装備のまま引退まで松戸区で活躍しました。手前の103系は訓練車編成です。
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間もなく愛称名が消滅する成田空港発着の快速から、1994年に撮影した113系時代の快速です。先頭のクハ111は前面強化工事の施工車で、工事直後のステンレス無塗装時代です。また2階建てグリーン車編成は成田空港発着快速に優先的に使用され、サロの前後のモハユニットはロングシート化されていました。
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東京を目指して東海道線を上る、165系急行東海です。1995年の撮影ですが、この頃になると上り1本を除き11連から8連に減車されていました。ただ8連の東京方には、このようにデカ目の白熱灯クハも残っておりました。この翌年の1996年には373系に置き換えられて、特急化が図られています。
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前回ご紹介したスラント先頭・寝台組込みのキハ183系特急オホーツクで、中間に組み込まれていたグリーン車がこのキロ182-901でした。量産車とは異なり、乗降ドアが車端部に寄っていたのが特徴でした。撮影した1993年は、0番代だけでなく900番代もまだまだ活躍していた時代でした。
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とにかく残念なコンセプトな車両。子供が楽しめる251系から、金持ちの年寄や外国人に寄り添った車両へ。若い人が乗る安価な列車は無くし、子供達には駅のポケモンイベントでお茶を濁す。とにかく鉄道に乗る楽しみを教える場が無いのが、すごく心配になります。(続きます) twitter.com/TrafficNewsJp/…
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JR東日本は、将来どのような層を鉄道に乗ってもらおうと考えているのでしょうか。私はいつも言っているのですが、鉄道に乗る楽しさを知らない若い人や子供達は、将来大きくなった時に、鉄道という交通手段を移動の選択肢に加えることは無いでしょう。このあたりについて私は非常に危惧しています。
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1991年の新鶴見区公開で展示された、JR貨物のED62 17です。通常は飯田線の貨物牽引が主な任務ですが、この時ははるばる新鶴見までやって来て展示されていました。この17号機はED62で唯一貨物色に塗られた車両ですが、更新工事は未施工でした。奥には同時に展示されたEF200やEF500の姿が見えます。
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引退直前に黄緑色の等級帯が再現された、総武快速・横須賀線の113系サロ110-1254です。1999年11月23日の臨時列車「さようなら快速113系電車」に充当された際の写真ですが、この姿のまま定期列車にも充当されました。横に写る115系は「ホリデー快速鎌倉号」の送り込み回送と思われます。
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1989年に撮影した、外房線の183系0番代特急わかしおの、クハとモハの連結部分です。当時わかしおには183系0番代のモノクラス6連の運用があり、多客時にはこの6連を3両ずつに分割し、それぞれ他の6連に連結してモノクラス9連で運転されており、その連結部です。貫通路もしっかり使用されていました。
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113系前面強化車のステンレス無塗装。写真は未施工車との顔合わせです。1992年の成田線でのダンプカーとの衝突事故を契機としたこの前面強化工事は、納期を優先したのか施工当初はこの塗装を行わないステンレス地のままの車両が多く見られましたが、徐々に塗装され消滅しました。1993年撮影。
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成田線成田~空港第2ビル間を走る、特急表示の183系マリ3編成。なんとこの列車、特急成田エクスプレスです。2004年に車両不足から183系で運転された成田エクスプレス82号で、当然列車名の幕も無いため特急の表示となっていました。成田エクスプレスの歴史の中でもかなり珍しい列車かと思います。
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いすみ鉄道のキハ52+28の運用が削減されます。isumirail.co.jp/4261
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特大貨物の撮影帰りに、茂原市内に出来た音威子府そばが食べられる店、音威子府食堂で昼食をとりました。かき揚げそばを注文しましたが、名物の黒いそばと、えびが入ったかき揚げは非常に美味しく感じました。本州でこのそばが食べられる店は非常に珍しいのだとか。場所はJR茂原駅から徒歩5分程。
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いすみ鉄道、国吉駅のキハ30が本日動きました。急行1号の前後の時間に、側線を数往復走行していました。発車時には白煙を勢いよく上げ、健在ぶりをアピール。大原方の表示は「湊町-奈良」となっていました。何かの撮影が行われていたようです。
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東海道線の113系、8号車のサハの位置に組み込まれたクハの運転台と、9号車のモハとの連結部分です。東海道線の113系11連では、このようなサハの位置へのクハ組込みがJR化以降も見られましたが、総武・横須賀線でもJR化後一時的に見られたことがあります。1993年、品川にて撮影。
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1989年に大井町駅で撮影した、新製間もない京浜東北線の205系ウラ3編成です。京浜東北線の205系も、編成番号が1から付けられたあたりから当初は本格的な投入が計画されていたのかもしれませんが、その後209系が投入されると編成番号が80番代や90番代に追いやられ、そして転出という道を歩みます。
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キハ52が塗装変更中の、本日のいすみ鉄道大多喜駅の様子です。キハ52はクリーム色の塗装は終わっているようです。キハ28は車庫の外に置かれており、普段は見られない妻面が観察できました。そこには日本国有鉄道の銘板が。また、客用ドアの補修が行われているようです。
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塗装変更を終えたキハ52 125が、その姿を現わしました。大多喜は強い雨が降っています。
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いすみ鉄道のキハ52 125が、クラウドファンディングにより集まった資金を利用して以前の国鉄一般色に塗り戻され、ピカピカの状態に。本日はクラウドファンディングの協力者を対象に、お披露目撮影会が開催されました。キハ28と並んで展示され、時間帯により貴重なヘッドマークも取り付けられました。