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帰途、久しぶりに着けた腕時計をバスの中で外しながら、このあとまたあの理不尽な育児戦線に戻るのだと思ったら、涙がとめどなく溢れてきて、わたしはリュックに入れっぱなしだった子どものタオルで顔をおさえた。このとき「児童相談所に繋がろう」と思った。なにか策を提示してもらえることを期待した
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羊の扱い方、刈った羊毛の扱い方など一生懸命説明してくれた。化粧っ気がなく朴訥で優しい15歳の女の子。ファッション雑誌も読んだことがなさそうな。外の世界に興味もなさそうな。夜になり宿舎に戻ったら、同室のギャルが「あの子、いいね」と言ってちょっと泣いていた
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わたしは耳と自分の語彙力を疑った。クラスを見渡すと、みんな下を向いてクスクス笑っていた。先生は続けた。「日本人は真剣勝負の時に変なパンツ一丁になるじゃないか。相撲レスラー知ってるだろ?お前も日本人ならああやって真剣さを演出していいんだ、誰も止めやしないから」
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毎日がひどく長く感じられるのに、タスクが山積したまま、あっという間に過ぎていって無能感が募る。わたしはこれらの愚痴を言う相手を間違えた。言うべきは精神科医ではなかった。共感して同意してくれる似た境遇の経験者にこそ話すべき内容。先生が苦肉の打開策に「脳の検査?」と思うのも無理はない
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以前、公園で幼児と保護者が遊ぶありふれた光景の中で、ひとり「パパー!パパー!」と遊具の上から泣いて訴える子どもがいた。その子の視線の先にはベンチに座して泰然と本を捲る男性がいた。彼はイヤフォンを装着していて子の涕泣に気づく素振りもなかった。本は『AIに負けない子どもを育てる』だった
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数学の先生は辞めなかったし代わらなかったし、謝りもしなかった。次の授業から生徒いじりは控えめになったが、相変わらず廊下でわたしとすれ違うと「大豆くさいぞ」などとつぶやいていた。結局わたしにはなにも変えられないし、ボールペン一本じゃ世界は変えられないと思って迎えた学校最後の日。
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「3月で学校卒業して家族のために稼がなきゃいけないのに風俗以外受かってなくて、家族は代案を出してくれる訳でもなく『決めるのはお前だ』って態度だし」みたいな状況の未成年者さん、家族のために稼がなくていいからとりあえず病院行こう。ソーシャルワーカーのいる大きい病院に飛び込もう。お願い
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たしかにわたしは述べ立てた。2歳児が謎のスイッチで癇癪を起こすからつらい。頑なに雨の日の水たまりから出ようとしなくて泣きそうになることがある。スーパーでは食べもしないパプリカを全部カゴに入れようとするから、諌めて泣かれて機嫌を取って、必要な買い出しさえままならない
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脱いだら脱いだで「英語を聞き間違えたんだろう」と言われるのは目に見えていた。脱がなければ脱がないで「反抗的な態度だ」とさらに場を巻き込むだろうことは容易に想像がついた。わたしは本当に窮してしまって、ボールペンを掴んで自分の手の甲に突き立てた。
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黄色のレポート用紙にボールペンで日本語を書き殴った。湧いて出る気持ちを言葉に託して書いて書いて書き連ねた。言いたいことはたくさんあったがそれを伝える英語力がないのは確かだったから、周りの誰に宛てるわけでもなく、文句からなにからすべてを叩きつけるように一心不乱に書き続けた。
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少女ははにかみながら板に乗り、目を細めてステップを踏み始めた。タップダンスだ。すごく上手な。するとすぐにその家の(わたしたちがただの幼児と思っていた)小さな弟も出てきて、バイオリンで朗々と伴奏しだした。お母さんは後ろの方でハープを弾きだした。お父さんはギター。なんだこの家族
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子どもの脳に異状がないのはすでに発達を診てくれている病院で診断済みです、わたしは自分が2歳児と安全に過ごす自信をなくしているんです、きっと疲れているんです、話してだいぶ荷が軽くなったから、またしばらくがんばれそうです。わたしは診察室を後にした。先生は静かに見送ってくれた
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淡々と目の前の災厄をやり過ごしては生き延び、手の届く範囲の人々と手を取り合って愛して暮らす。子どもにできるのはせいぜいそれくらいなものなのに、わたしは服を脱げと言われて、己の力不足を恥じた。わたしは彼の暴言を止めることもできず、そして彼は後に続く日本人を痛めつけ続けるに違いない。
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身を捩り泣いていない子はこんなにかわいいんだ、と思った。泣く子がかわいくないわけではないけれど、しょっちゅう辟易してはいたし、そんな自分を憎み恨み一念発起してはまた辟易するという一連の心情推移に翻弄されない生活は健全だった。空が青いことも木々が緑なこともわたしは思い出し始めていた
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テレビの音も出せるようになり、ある日『おかあさんといっしょ』を観た子どもは「カチコチカッチン、お時計さん」と初めて歌を口ずさんだ。イヤーマフ越しに触れる世界の音を、子どもが受け入れた瞬間を見た気がした。わたしはその夜嬉しくて、産後約2年半ぶりに「なにか音楽を聴こう」と思い立った
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生きている羊の扱い方を学んだあとは、羊料理のレッスンになった。午前中仔羊を抱っこして幸せそうにしていたギャルの何人かは、料理の序盤でリタイアした。わたしは所属班が全滅したのでやむなく代表で料理に参加していた。味は覚えていない。でも羊飼いの人たちもあの少女も笑顔だったのは覚えている
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わたしは毎朝観ている歌のお兄さんお姉さんの声も聞いたことがなかった。子どもの泣き声が頭の中にも外にも満ちていた。安寧がなかった。抱っこ紐で買い物に出れば、家を出た途端に真っ赤になって泣き出す我が子が、如何に絶命しないうちに早く用事を済ませて帰宅するかという緊張に常にさらされていた
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(余談だがわたしは小野大輔を履修してしまい知らなかった頃に戻れなくなっている)
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空腹かな?と当たりをつけておんぶして焦りながら沸かしたお湯で作ったミルクをじゃーじゃー水道水で冷やしておんぶから下ろしてお待たせって口に当てて“チガウ”されて眠気ね?と当たりをつけて抱っこユラユラすること2時間、泣き止まず!みたいなフローを減らせるのは控えめに言っても救済ですよね twitter.com/nhk_news/statu…
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4日間ですっかり毒気を抜かれてメイクもしなくなったギャル生徒たちと、羊飼いの一家で最後の晩餐を囲う。温かい料理に舌鼓を打っていたら、あの少女が出し物をしてくれると言って、小さな板一枚敷いた即席ステージに立った。「彼女なにかできるの?」とギャルたちは心配した。わたしもドキッとした
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彼は良かれと思って冷蔵庫の正常化に着手したのだろうが、居合わせたほかの男性職員たちには声もかけなかった。また、わたしに今廃棄作業をやれるか否か聞かなかった。優先順位を飛ばした仕事を勝手に作り出し、人のタスクを勝手に決めた。これを彼がご自宅で伴侶相手にやっていないことを祈る
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わたしは何が好きなんだっけ? 出産育児の日々を経て、わたしはもとの自分をどこかに落としてしまったらしかった。久々に開いたiTunesのプレイリストは、記憶には懐かしいのにひどくよそよそしかった。それでもわたしは嬉しかった。新しい日常が始まったのだから
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同じスタートラインから歩き出したのに、この景色の差はなんでしょう。悲しき荷物の差は、なんでしょう。女は育児がうまく、男は育児なんか知らないもんわからないもん、ぼく疲れてるもん、そんな、日本社会に漂う空気は、赤ちゃんとその親を幸せにするものだとはわたしには到底思えません。
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寝ついた子どもの足元で、ドキドキしながらイヤホンを装着した。なんだか悪いことをしているような気がしたけれど、幸福に満ちていた。今日は子どものおうた記念日で、わたしにとってもおうた記念日なんだ。好きな曲を聴こう、夜泣きまでまだ何時間かあるから――その時、ハタと気づいた