雨 滴 堂(@Utekido)さんの人気ツイート(リツイート順)

51
子どもの保育園ではたまに保護者がゲスト出演する。楽器の演奏者だったりスポーツトレーナーだったり、なにかしらの一芸を子どもたちに披露すべく、月に1回くらい誰かが呼ばれる(わたしは手に無職なので完全に無関係)。 先日、英語の先生ということでアメリカ人の親御さんが呼ばれた。
52
他の多くの国では肌の色や人種や使う言語で差別が繰り広げられる中、《暮らす人みんな》の人種と言語がほぼ均一の日本では、女が、赤子が、こんなに舌打ちされて蹴られてモノみたいに扱われているという、そのことすらまだ大して理解が進んでいない。
53
日本のあちこちに、あのときの《わたし》がいる。子どもと全力で向き合っても、連日不可解な理不尽に苦しむ《わたし》。夜も子どもが泣くから、抱っこ紐をつけたまま寝ている《わたし》。健やかに育ってもらいたいだけなのに、なにも食べてくれなくて頭が禿げるまで悩む《わたし》。相談相手などいない
54
日本に暮らしているとどうにも忘れがちなんだ、羊の柔らかさとあの夜空と、無口な少女のはにかんだ笑顔と素晴らしいタップダンスのことを。わたしは日本じゃ振る舞いや話し方や言葉遣いや笑顔の質がいつも査定されているように感じて萎縮してしまうから、時々思い出したくて、これはそのための備忘録。
55
なんであんなにがんばってしまったか、余裕の出てきた今となってはいろいろなことに腹が立つ。児相がダメなら役所に行けばよかった。役所がダメなら小児科で相談すればよかった。どこかしら活路はきっとあった。なのにあの夜、わたしは社会への信頼を勝手に失い、ただ疲れ果て、手をのばすのを諦めた
56
どれだけ頑張ってもわたしひとりでは彼の《普通》を手に入れることができないのに、ほんとうに、見えている景色が男女では違うんだなあとの考えを強めるに至った。別に周囲の人に席を譲ってとか降りろとか言っているのではない、わたしは侵害されず静かに目的地まで揺られていたい、それだけなのに。
57
子どもの発達検査のとき、隣の診察室で泣いてたお母さんの言葉を時々思い出す。「南米のあらゆる川の名前を、小川の名前まで覚えて、お友だちの名前も覚えてないのに、一日中地図見て南米の川のことばっかり、ずっと」と。先生は笑って諫めていた。笑えないし悲痛だった。この界隈、そんな齟齬が多い
58
数学の先生が評価表コメントより長い手紙を渡して来た。 自分の親戚が真珠湾で日本人に殺されたこと、日本人は野蛮なこと、神風特攻隊なんてものを思いつく日本人は世界のためには生きてちゃいけないと思うこと、それでも生徒として預かったからには教育して鍛え直して正しい方に導いてやりたいこと、
59
わたしたちはいつだって自由で、世界をまるごといっぺんに変えることはできなくても、自分の在りようを決める力は持っている。だからわたしは思い続けるだろう、"孤独に歩め。悪をなさず、求めるところは少なく。林の中の象のように”。そして静かに抗うだろう、ヘイトと差別と侵害に。
60
生命が遺伝子の乗り物に過ぎないように、人間は思想の体現者に過ぎないとも言える。正しき迫害の体現者となるのか、差別に抗う戦士となるのか、わたしたちは誰でも選ぶことができ、選択は委ねられている。傍観者を選ぶことだってできる。差別に気づくことを拒み、なにも変えたくないならば。
61
学校のナプキンを生徒が使うことで損をするというなら、トイレに自販機を置いてくれたらいいじゃないかと思った。そして「生理になっても保健室に頼るな、血染めのスカートも下着も密やかに自分でなんとかしろ」と公言し、「学校は子どもを管理する場であって守る場ではない」と突き放したらいいのに。
62
悔しさより危機感が勝った。こんなに寝不足で休息もなく、24時間365日を4年間、片時も離れずいっしょに過ごしていたらいつか虐待してしまうかもしれないという漠然とした恐れは、この時初めてはっきりとした輪郭を持ち、混乱するわたしの目前に立ちはだかった
63
協力しようか、じゃないのです。あなたが当事者なのです。たとえはアレですが、動けない味方を抱えて戦地を駆け抜けないといけない時に、隣にいる、戦友と信じている人間から「何か手伝うことあるなら言って。俺わからんから」と言われたら、「てめえ脳ミソついてねえのか」となりはしないでしょうか。
64
使命感はあるのにうまくいかないこと、どうかわかってほしいこと、俺は君を嫌いなわけでも恨んでいるわけでもないんだ、ただ日本人というものが邪悪な存在だということに君も気づいてくれたら、きっと世の中はもっと良くなる、人生を正しく送ってほしい、先生たちは正しい人の味方だからね――。
65
「孕ませたい」というそれだけの欲のために知的障害のある女性と結婚して多産DVする男も少なくない、というのはシェルターで知り病院勤務で痛感した。地獄は身近に被虐児の数だけ存在する。穏やかで健全な家庭なんか夢のまた夢という子どもたちのことを、本気で救う気あるのかな。ねえんだろうな、国。
66
初めて痴漢に遭ったとき、わたしはそれが『痴漢』というものだなんてまったく認識しなかった。満員電車で背後の誰かが制服のスカートをめくりパンツに手を突っ込み股間を撫でてきた、その一連の恥知らずな動作は、わたしの持つ語彙では『侵襲』以外のなにものでもなかった
67
これは危険だ、とわたしはハッとした。叩いたこともなければ怒鳴ったことももちろんない。わたしはわたしが親にされて怖かったことを覚えているから、それだけはしないようにという信念に基づき育児していた。この瞬間まではそうだった。わたしはわたしが限界に近づいているのを自覚した
68
アドラーか誰かの本で「未来は教育でしか変えられない」みたいなせりふがあったっけ。わたしはせめて子どもには、社会が野蛮を許しても、人たるあなたは野蛮な振る舞いを許容してはいけないんだよと説いていくくらいしかできなくて、後に続く人たちが生きやすくなった社会の夢を見る。
69
精神科には奇しくもさきほど行ったばかりです。なんて言われましたか?子どもの脳の検査をしたいですか、と。そうですか、ではまたなにかありましたらいつでもお電話ください。あ、はいわかりました。 ――終話。 わたしは確かにわかってしまった。この状況は変わらない。わたしは育児を続けるほかない
70
あれからまた2年半ほど過ぎた。いまでは子どもはイヤーマフの存在も忘れ、うるさく歌って踊り狂う幼児に成長した。「炊飯器の電子音とかがイヤなの。でもなんの音かもうわかるから平気」と言語化してくれるまでになった。そんな子どもが気に入っているのはPerfumeと『びじゅチューン』。趣向、掴めない
71
わたしが答えを間違えると、「トヨダが数学間違えることなんてあるんだな。いや、君はホンダだったっけ?」と戯けてみたりしていた。わたしは辟易していたが、クラスのほとんどの子は「くだらなーい」と大げさに嘆く素振りをしつつも、彼の冗談に好意的だった。わたしの成績は、段々落ちていった。
72
わたしが仕事場で駆け込んでくるあなたを見たら、個室に通して話を聞いて、医師に繋いで、入院させて、追ってくる親から絶対絶対守るから。約束するから、早いとこ、おいで。イキのいい屍に出会えるよう、幸運と健闘を祈ってる。何歳でも、助かる権利があるのを忘れないでね。
73
内心不満タラタラで同級生にそっとナプキンを渡した。それもなんだか変だと思った。何も悪いことをしていない、汚いこともしていない、自分自身にすら制御し得ない、自我に帰属するだけの肉体の気まぐれな出血のせいで、こんなに遠慮し額に脂汗を浮かべなくてはいけない女の十字架は重いと思った。
74
ベビーシッターから子どもを引き継ぎ、「ママキライ」とケラケラ笑われながら、トミカを並べる遊びに付き合い、唐突に顔をトミカで殴られ、痛くしたらダメだよと優しく注意し、それでも泣かれ、抱きしめ、ぬいぐるみで慰め、食べないのに欲しがるメニューを作って並べ、いつものようにひっくり返され、
75
わたしたちが初日に「都市の文化から隔絶されてる」と失礼な誤認をして気の毒に思ったり羨ましく思ったり色々した対象の羊飼い一家は、あるべき形でそこに存し、必要と思う文化を自分たちに取り入れ、受け継ぎ、暮らし、シンプルに生きているだけの人たちだった。人間て素晴らしいな、とわたしは泣いた