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中学の頃に通っていた学校(何語圏か忘れた。多分東欧)は都市部にあって、14歳の年の修学旅行は「地方の湖沼地帯で生活体験」がテーマだった。羊飼いの家に5日間のファームステイ。ヘソ出し舌ピアスのギャルが大半の生徒たちを迎えたのは、手編みのセーターを着たおさげの娘さんだった
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羊の扱い方、刈った羊毛の扱い方など一生懸命説明してくれた。化粧っ気がなく朴訥で優しい15歳の女の子。ファッション雑誌も読んだことがなさそうな。外の世界に興味もなさそうな。夜になり宿舎に戻ったら、同室のギャルが「あの子、いいね」と言ってちょっと泣いていた
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生きている羊の扱い方を学んだあとは、羊料理のレッスンになった。午前中仔羊を抱っこして幸せそうにしていたギャルの何人かは、料理の序盤でリタイアした。わたしは所属班が全滅したのでやむなく代表で料理に参加していた。味は覚えていない。でも羊飼いの人たちもあの少女も笑顔だったのは覚えている
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生きることや生かすこと、命を頂くこと――と書いたらありきたりなのだけれど、そういう一連の営みをろうそくの火やランプの灯りに照らされたあたたかい小屋で経験して、夜には満天の星を見上げて、わたしは「生きなきゃいけないんだ」と感じた。どこであれ今いるところで、命がある限り生きなきゃなんだ
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4日間ですっかり毒気を抜かれてメイクもしなくなったギャル生徒たちと、羊飼いの一家で最後の晩餐を囲う。温かい料理に舌鼓を打っていたら、あの少女が出し物をしてくれると言って、小さな板一枚敷いた即席ステージに立った。「彼女なにかできるの?」とギャルたちは心配した。わたしもドキッとした
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少女ははにかみながら板に乗り、目を細めてステップを踏み始めた。タップダンスだ。すごく上手な。するとすぐにその家の(わたしたちがただの幼児と思っていた)小さな弟も出てきて、バイオリンで朗々と伴奏しだした。お母さんは後ろの方でハープを弾きだした。お父さんはギター。なんだこの家族
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わたしたちが初日に「都市の文化から隔絶されてる」と失礼な誤認をして気の毒に思ったり羨ましく思ったり色々した対象の羊飼い一家は、あるべき形でそこに存し、必要と思う文化を自分たちに取り入れ、受け継ぎ、暮らし、シンプルに生きているだけの人たちだった。人間て素晴らしいな、とわたしは泣いた
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日本に暮らしているとどうにも忘れがちなんだ、羊の柔らかさとあの夜空と、無口な少女のはにかんだ笑顔と素晴らしいタップダンスのことを。わたしは日本じゃ振る舞いや話し方や言葉遣いや笑顔の質がいつも査定されているように感じて萎縮してしまうから、時々思い出したくて、これはそのための備忘録。
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子どもを産んでから2年ほど、忙殺されていた。子どもは雑音に敏感なタイプで、一切の生活音を嫌った。蛇口から流れる水音も、炊飯器のメロディも、子どもにとってはノイズだったようで、音がする度悲壮に泣く子にわたしは困惑して生きた。テレビを無音でつけ、雨戸を閉めて密室の長い時間を過ごした
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乳児検診で幾度も相談した。周りの子どもたちの声にパニックを起こして泣く子を見た保健師には、「大丈夫よ、お母さんが気にしすぎなのよ」と諭された。音楽も聴けない日々が続いた。家電のサイトを見ては「音の出ない炊飯器」を探した。一日の大半は音に起因するギャン泣きをあやすことで消えていった
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わたしは毎朝観ている歌のお兄さんお姉さんの声も聞いたことがなかった。子どもの泣き声が頭の中にも外にも満ちていた。安寧がなかった。抱っこ紐で買い物に出れば、家を出た途端に真っ赤になって泣き出す我が子が、如何に絶命しないうちに早く用事を済ませて帰宅するかという緊張に常にさらされていた
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届いたそれは思いの外ゴツかったが、子どもはひと目で気に入ったようで、「カッコイイ」と述べ素直に着けさせてくれた。初めて、雨戸を開けることができた。初めて、苦しげに泣いていない子どもと外を歩くことができた。謝り続けることなく電車に乗れた。轟音の地下鉄にさえ乗れた。世界が一変した
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転機が訪れたのは2歳の誕生日だ。子どもになにをあげようかと抱っこで寝かせた子の背後でスマホを見つめていた夜に、防音イヤーマフを見つけたのだ。もう装着できる頭囲に達していたし、一条の光明を見た思いで購入した
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身を捩り泣いていない子はこんなにかわいいんだ、と思った。泣く子がかわいくないわけではないけれど、しょっちゅう辟易してはいたし、そんな自分を憎み恨み一念発起してはまた辟易するという一連の心情推移に翻弄されない生活は健全だった。空が青いことも木々が緑なこともわたしは思い出し始めていた
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テレビの音も出せるようになり、ある日『おかあさんといっしょ』を観た子どもは「カチコチカッチン、お時計さん」と初めて歌を口ずさんだ。イヤーマフ越しに触れる世界の音を、子どもが受け入れた瞬間を見た気がした。わたしはその夜嬉しくて、産後約2年半ぶりに「なにか音楽を聴こう」と思い立った
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わたしは何が好きなんだっけ? 出産育児の日々を経て、わたしはもとの自分をどこかに落としてしまったらしかった。久々に開いたiTunesのプレイリストは、記憶には懐かしいのにひどくよそよそしかった。それでもわたしは嬉しかった。新しい日常が始まったのだから
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寝ついた子どもの足元で、ドキドキしながらイヤホンを装着した。なんだか悪いことをしているような気がしたけれど、幸福に満ちていた。今日は子どものおうた記念日で、わたしにとってもおうた記念日なんだ。好きな曲を聴こう、夜泣きまでまだ何時間かあるから――その時、ハタと気づいた
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わたしは産前Perfumeもびじゅチューンも知らなかったし、多分知っていても通過していただろうと思う。子どもに世界を広げてあげようなどという上から目線の考えであらゆる音楽を履修した結果、子どもの取捨選択によりすごい音楽やすごいアートに触れる機会を与えられてしまった
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音楽の思い出を、これからひとつひとつ積み上げていこうと思った。知らない曲に出会おう。知らない人の音楽に出会おう。選り好みせずなんでも聴いてみよう。子どもがこれから触れる世界を広げるためには、わたし自身が広く音を知らないといけない。なによりわたしは産前の記憶さえ定かでなくなっている
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あれからまた2年半ほど過ぎた。いまでは子どもはイヤーマフの存在も忘れ、うるさく歌って踊り狂う幼児に成長した。「炊飯器の電子音とかがイヤなの。でもなんの音かもうわかるから平気」と言語化してくれるまでになった。そんな子どもが気に入っているのはPerfumeと『びじゅチューン』。趣向、掴めない
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(余談だがわたしは小野大輔を履修してしまい知らなかった頃に戻れなくなっている)
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すぐ斜に構えてしまいがちな性格で、なんでも疑ってかかる質で、新しいものに否定的な(こう書くとひどい)わたしは子どもの自由な選択に立ち会わなければ世界中の素晴らしい音楽を知ることもなかったんだろうと思うと、ちょっと可笑しくなる。世界は狭かったけれど、それはわたしがそうしていただけだ
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炊飯器の音で泣いていた子に音のすごさを教えられるとはね。人生ってわからないし、人生って広い。今日はどんな曲を聴こうかな。
以上、深夜のひとりごとでした
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中学3年。当時在籍していた学校に日本語話者はおらず、日本語を使うことなく毎日が過ぎていた。日本人である意識やアイデンティティに大きな揺らぎが生じていたのもこの時期だ。黄色人種のほとんどいない学校生活では、母国がまだ同じ地球上にあるかどうかさえ疑わしくなる時があった
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【補記】お読みいただきありがとうございました。ここまでの連ツイはnoteにまとめて載っけたのでよろしければご覧くださいませませ
自由のアイスクリーム、塩分を添えて|雨滴堂=Utekido= @Utekido #note note.com/utekido2019/n/…