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産後ずっと在宅ワークをしていたから、保育園の順位は低かった。子どもが幼稚園に入るまでの、ふたりきりの時代は長かった。特に2歳から3歳半にかけては終始育児の泥沼に半身浸かっているようで、わたしは幼稚園の始まる日をまさに切望し、「今日も心中しないで済んだ」と夜な夜な体を震わせていた
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その数学の先生は、日本人が嫌いなようだった。はっきりとはそう言わなかったが、たかだか14歳のわたしでも、歓迎されていないことは感じていた。彼はいい歳だったが振る舞いは幼く、「日本人は九九がインストールされているんだから電卓要らないだろ」と言ってわたしから取り上げてみたり、
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職場の若人に「髪色いいグラデにていときれいなり」と褒められぬ。「使いしは市販の染め粉600円ほどのものなり。白髪ばかりよく染まり黒髪のところよく染まらざれば、自ずとナチュラルなグラデになりぬ」と説けば、「まじか。美容院でやられたがごとし。みめよし」とさらに褒められにけり。平和なり。
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子どもを産んでから2年ほど、忙殺されていた。子どもは雑音に敏感なタイプで、一切の生活音を嫌った。蛇口から流れる水音も、炊飯器のメロディも、子どもにとってはノイズだったようで、音がする度悲壮に泣く子にわたしは困惑して生きた。テレビを無音でつけ、雨戸を閉めて密室の長い時間を過ごした
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中学の頃に通っていた学校(何語圏か忘れた。多分東欧)は都市部にあって、14歳の年の修学旅行は「地方の湖沼地帯で生活体験」がテーマだった。羊飼いの家に5日間のファームステイ。ヘソ出し舌ピアスのギャルが大半の生徒たちを迎えたのは、手編みのセーターを着たおさげの娘さんだった
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中学3年。当時在籍していた学校に日本語話者はおらず、日本語を使うことなく毎日が過ぎていた。日本人である意識やアイデンティティに大きな揺らぎが生じていたのもこの時期だ。黄色人種のほとんどいない学校生活では、母国がまだ同じ地球上にあるかどうかさえ疑わしくなる時があった
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これは愚痴なんだけどね、ちょっと尊敬していた人が、わたしに「知り合いで、子どもを3人育てているだけの、何一つ苦労をしていない専業主婦が『疲れた』とか言ってきてね」とわるくち言ってきたから「指摘事項があるからもっかい最初から言ってみろよ」ってすごいガラ悪くなっちゃった
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高校3年、夏。日本に「帰国」し、東京の高校に通い始めて数か月。うわべではそこそこ環境に適応していたけれど、ほかの帰国子女のみんなほど語学力もなければ大人でもなかったわたしは、なんのために通学するのかわからなくなりつつあった。欧州生活で忘れていた、日本の熱風と湿気に毎日驚いていた
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30年くらい前か。家族病理の第一人者を謳う精神科医のサイトで無料相談を受け付けていたのを見て、《死にたいのに介護があるから死なせてもらえない、逃げられない、殴られる毎日つらい》みたいなことを真夜中にこっそり書いて送った。翌日《ご相談ありがとうございます》から始まる返信があった。
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高校のときに隣の席の子が、休み時間に机に突っ伏し、苦悶の表情でこちらを見やり「ナプキン…ある…?」と絞り出した。わたしは血だらけが常な生理貧困型だったので、当然持っていなかった。保健室でもらってくるねと走った。保健の先生に「すみません、ナプキン頂けますか」ときくと、先生は黙って
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夕方洗い物をしていたら、子どもがニコニコこちらを見てきたので、「どしたの?」と水を止めると「世界一可愛いお顔を見せてあげてるの」とのことだった。輝くばかりの自己肯定感。圧倒的な基本的信頼。わたしの持ち得なかった心理。わからぬ。手を拭き、心からの抱擁となでなでを愛し子に返すばかり。
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数年前に同窓生の南米人(ガタイいい)が東京に遊びに来て、互いに子連れだったので一緒にベビーカーで渋谷に出たのだが、井の頭線渋谷発吉祥寺行き最後尾に乗ろうとするから「そこは混む。ベビーカーではいくら並んでも乗れない。先頭車両に行こう」と言ったが「そんなことないでしょ」と笑い飛ばされ
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日本社会はそろそろ『産んだ瞬間に女はお母さんにアプデされて育児できるようになるヨ⭐︎子どもを殺したり虐待したりする母親は頭おかしいから石投げてヨシ⭐︎』みたいなとりあえずぜんぶおんなのせい!的な段階から動いてほしいんだけど無理か?この国そういう成長無理か?
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孤立するお母さんと窮地の赤ちゃんに介入するNPOをいっしょに立ち上げ隊、ゆるぼ(わりと本気)(設立に最少10人必要)
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「お母さんだからがんばれる」と誰かが言った。わたしも「お母さんだからがんばれる」と思ってしまった。わたしはお母さんである前に殴られれば痛いし毎夜数時間は眠らなければ死ぬ人間なのに、なぜかそんな当たり前の前提まで、奪われがちな《わたし》たちと、それゆえ人生を喪う子どもたちがいる。
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ご確認ありがとうございます。もう少し掘り下げさせていただきますね。
ダブルスーツさんは育児を巡る男女について、このようにお書きになりました。
『子供を育てる経験則をなかなか手に入れにくい男性』
『経験が得られやすい女性』
『女性の方が理解が深い』
さて、これらについて私見を述べます。 twitter.com/uniuniversi/st…
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【補記】コメントくださったみなさま、どうもありがとうございます。実に子育ては見立てがきかない大事業ですよね。現役の親御さんはどうか、少しでも多く休息がとれますように…
↓全文まとめました。
『密室の中で、起きていること』|雨滴堂=Utekido= @Utekido #note note.com/utekido2019/n/…
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あの手紙は独善的で断定的で気色悪くてすぐに生ゴミを砕く装置に突っ込んでしまったが、彼のように未熟な《正しい思想》を掲げる人による攻撃は今日もどこかで炸裂していて、その事実はわたしを奮い立たせると同時に、半径50cmのスペースにわたしを敢えて踏み止ませる。
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自分がトイレ行きたいのも疲れて座りたいのもお茶飲みたいのも眠いのも我慢して必死で赤ちゃんの相手してお世話して心配して一日過ごしてへとへとなところへ帰ってきた伴侶に「なんでこんな散らかってるの?」とか「親失格じゃん」とか言われてる各位へ
スイセンはニラによく似ているそうです
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わたしたちはいつだって自由で、世界をまるごといっぺんに変えることはできなくても、自分の在りようを決める力は持っている。だからわたしは思い続けるだろう、"孤独に歩め。悪をなさず、求めるところは少なく。林の中の象のように”。そして静かに抗うだろう、ヘイトと差別と侵害に。
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日本に暮らしているとどうにも忘れがちなんだ、羊の柔らかさとあの夜空と、無口な少女のはにかんだ笑顔と素晴らしいタップダンスのことを。わたしは日本じゃ振る舞いや話し方や言葉遣いや笑顔の質がいつも査定されているように感じて萎縮してしまうから、時々思い出したくて、これはそのための備忘録。
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あれからまた2年半ほど過ぎた。いまでは子どもはイヤーマフの存在も忘れ、うるさく歌って踊り狂う幼児に成長した。「炊飯器の電子音とかがイヤなの。でもなんの音かもうわかるから平気」と言語化してくれるまでになった。そんな子どもが気に入っているのはPerfumeと『びじゅチューン』。趣向、掴めない
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もともと非力なのでボールペンにもそんなに威力はなく、血とかそういうものも大して出なかったが、先生は「これだから日本人は!俺は悪くない!」と叫んだ。その瞬間わたしの近くにいた親日派の男子が立ち上がって「先生が悪い!先生が悪い!」とコールをし始め、その日初めて先生が悪いことになった。
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わたしは本当にびっくりしたんだ。妊娠出産育児家事をまるっと捉えていない大人に。まったく見えていない大人に。でも彼のようないい年したいい立場の男性が、社会のあれこれを決めている。そりゃ隙間だらけなわけだよと妙に悲しく納得した
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18世紀に『子どもは子どもであるということ』がルソーにより発見されたように、そろそろ『母親は人間であるということ』も気付かれ広く知られてほしい