雨 滴 堂(@Utekido)さんの人気ツイート(いいね順)

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いつか素敵な家をつくるとき、当事者であり続けることの重要さと、傍観者になり果てた時に失うものと傷つけるものの大きさを、思い出してくれたら、いいかなと思います。 いっぱい幸あれ。 乱文失礼しました。
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アドラーか誰かの本で「未来は教育でしか変えられない」みたいなせりふがあったっけ。わたしはせめて子どもには、社会が野蛮を許しても、人たるあなたは野蛮な振る舞いを許容してはいけないんだよと説いていくくらいしかできなくて、後に続く人たちが生きやすくなった社会の夢を見る。
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協力しようか、じゃないのです。あなたが当事者なのです。たとえはアレですが、動けない味方を抱えて戦地を駆け抜けないといけない時に、隣にいる、戦友と信じている人間から「何か手伝うことあるなら言って。俺わからんから」と言われたら、「てめえ脳ミソついてねえのか」となりはしないでしょうか。
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4日間ですっかり毒気を抜かれてメイクもしなくなったギャル生徒たちと、羊飼いの一家で最後の晩餐を囲う。温かい料理に舌鼓を打っていたら、あの少女が出し物をしてくれると言って、小さな板一枚敷いた即席ステージに立った。「彼女なにかできるの?」とギャルたちは心配した。わたしもドキッとした
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わたしにも彼のような逞しく大きな身体か、肩から手首までを覆うように刻み込まれた鮮やかなタトゥーか、あるいは単に男性という属性のいずれかでもあれば、子どもをより守りやすかっただろうし暮らしやすかったんだろうなと思ったら、そんなことを考えなければいけない事実に泣けてきて、
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『ぶつかり男』は実在する人間なのに、ある種の特権階級の人たちにとってはずっと眉唾な都市伝説のままで、それを話題にする方が笑い物にされてしまう。 悔しいね、悲しいね。嫌な思いをせず電車やバスに乗りたいだけなのに、そんな自由も保障されないアンバランスなこの社会。
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ショックだったのを覚えている。女でママで子連れで弱そうで容易に反撃もできないくらい荷物が多いから、邪険にされていたんだ、ずっと。 子連れで出かける時はいつも旦那さんが一緒、というママ友にそう話しても「そんな嫌な目には遭わない」と首を傾げられたのは、こういうことだったんだ、きっと。
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どれだけ頑張ってもわたしひとりでは彼の《普通》を手に入れることができないのに、ほんとうに、見えている景色が男女では違うんだなあとの考えを強めるに至った。別に周囲の人に席を譲ってとか降りろとか言っているのではない、わたしは侵害されず静かに目的地まで揺られていたい、それだけなのに。
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ちょっとの尊敬が雲散霧消した瞬間だった。こんちくしょ
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子どもがよく熱を出す。出勤できない日は日給と信頼を失う。病児保育を頼めば赤字になる。派遣契約終了も迫っている。転職活動は面接の約束がことごとく子の熱で流れて行く。困り果て、役所で相談窓口の電話番号をもらったのが2ヶ月前。何度かけても、いつも話し中。繋がらないまま、日ばかり過ぎる。
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他の多くの国では肌の色や人種や使う言語で差別が繰り広げられる中、《暮らす人みんな》の人種と言語がほぼ均一の日本では、女が、赤子が、こんなに舌打ちされて蹴られてモノみたいに扱われているという、そのことすらまだ大して理解が進んでいない。
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緊急事態宣言がきんぎょ注意報くらいの軽さになりつつあるな
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同じスタートラインから歩き出したのに、この景色の差はなんでしょう。悲しき荷物の差は、なんでしょう。女は育児がうまく、男は育児なんか知らないもんわからないもん、ぼく疲れてるもん、そんな、日本社会に漂う空気は、赤ちゃんとその親を幸せにするものだとはわたしには到底思えません。
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仕方ないので電車が来るまでホームに整列していたところ、誰にも順番追い越されないわ乗る時にぶつかられないわ乗ってから座席に座れるわ蹴られないわと快適で、外出時に毎度蹴られないようぶつかられないよう気を張っていたのなんだったんだと思うくらい遠慮が要らなくて、わたしは吐き気に襲われた。
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パートナーの無理解を受けて苦しんでいる人に対して、「あなたがそこでそうしていなければその苦しみはない」と説くのは非常に簡単であり、技術的には幼児でもできることです(あなたが幼児レベルだと言っているのではなく、机上の空論だけなら考察材料の少ない幼児にも可能だということです)。 twitter.com/uniuniversi/st…
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子どもの発達検査のとき、隣の診察室で泣いてたお母さんの言葉を時々思い出す。「南米のあらゆる川の名前を、小川の名前まで覚えて、お友だちの名前も覚えてないのに、一日中地図見て南米の川のことばっかり、ずっと」と。先生は笑って諫めていた。笑えないし悲痛だった。この界隈、そんな齟齬が多い
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子どもを連れた状態で男の人と出掛けたのは後にも先にもその一回で、わたしには検証のしようがない。ただ、その日は、都内の混雑電車に乗っているというのに、ぶつかられることがなかった。蹴られもしなかった。耳元に息を吹きかけられもしなかった。人間で在れた。「普通のことでしょ」と彼は笑った。
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さっき、とても久しぶりに電車に乗ったところ、発車するなりドア付近に立っていた人がブレイクダンスを激しく舞い始めたので、「おっ、いよいよ日本もそういう領域に」と微笑ましく見ていましたら、その人の服からデカい蜂が飛び出してどこかに行き、わたしの知る静かな光景が戻って参りました
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SNSも探したし、同窓生にも聞いた。でも誰も先生の消息を知らなくて、わたしは今でも街なかで先生の面影を見つけては、小さく落胆するのが癖になっている。先生に話したいことはたくさんあるのに。先生が蒔いてくれた知識や好奇心の種は、何年もかけて芽生えて実って、わたしを人間にしてくれたのに
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10キロ近い装備を終日降ろせず補給もままならず緊張感とともに走り続けた人が「疲れた、休みたい」とこぼした時、10キロの荷物も緊張感も持たずお昼ご飯を30分かけて食べて普通に走っていた人が「オレも」と言ったら、返すべき言葉は本当にそれですかとなりはしないでしょうか。
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知らない人にメールで相談なんかしていないで、家族の嘆きを無視して玄関からただ歩いて出ればよかった。そんなことさえ、子どもは知らない。生まれた時から心を鎖で繋がれていたら、それが本当には存在しないだなんて思いもよらないものだ。
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先生はわたしにもわかる言葉で科学の話をしてくれて、バーナーでポリッジを温めてくれて、なによりわたしに場所をくれた。先生や先客がいてもいなくても、そこに居れば単位になることにしてくれた。不登校の受け皿と表現するには先生個人のしてくれたことは多すぎた。それは大人になった今でもそう思う
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大人にぶたれたことはない、殴られたことも蹴られたことも、髪を引っ張られたこともなく、首を絞められたこともないーーそんな我が子と暮らしている。わたしと見ている世界が違う。この子の眼に映る世界は、優しく愛に満ちている。ずっとそのまま生きていってほしい。荒んだ廃墟から、強く願う。
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疲れがピークなので一時保育を頼もうとした; わたし「もしもし、今週末の一時保育を予約したいのですが」 やくば「緊急事態宣言中なので緊急のご事情に限りご予約いただけます」 わたし「疲れて具合が悪く…」 やくば「ご体調の悪い方がご家庭にいる場合ご利用を見合わせていただいております」[終]
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瞳が凍りついてきたり、身体がこわばったりしてきたら、対処しないといけないと思っている。親への落胆が失望に変わり、やがて絶望と諦めに変わる前に、逃げる道があることを改めて子どもには伝えないといけない。子どもは未来に行くべきで、掃き溜めの身内と緩やかに心中すべきものではない。