雨 滴 堂(@Utekido)さんの人気ツイート(いいね順)

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わたしは毎朝観ている歌のお兄さんお姉さんの声も聞いたことがなかった。子どもの泣き声が頭の中にも外にも満ちていた。安寧がなかった。抱っこ紐で買い物に出れば、家を出た途端に真っ赤になって泣き出す我が子が、如何に絶命しないうちに早く用事を済ませて帰宅するかという緊張に常にさらされていた
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風呂上がりの身支度をさせて寝床で絵本を読む頃には、「またしばらくがんばれそう」の『またしばらく』がもう過ぎてしまったことに気がついた。もう一歩も動けない、と思った。寝室から居間に移動し、涙があふれるのを拭くのも面倒で、児童相談所に電話をかけた。夜間の窓口の人はすぐに出てくれた
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帰途、久しぶりに着けた腕時計をバスの中で外しながら、このあとまたあの理不尽な育児戦線に戻るのだと思ったら、涙がとめどなく溢れてきて、わたしはリュックに入れっぱなしだった子どものタオルで顔をおさえた。このとき「児童相談所に繋がろう」と思った。なにか策を提示してもらえることを期待した
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音楽の思い出を、これからひとつひとつ積み上げていこうと思った。知らない曲に出会おう。知らない人の音楽に出会おう。選り好みせずなんでも聴いてみよう。子どもがこれから触れる世界を広げるためには、わたし自身が広く音を知らないといけない。なによりわたしは産前の記憶さえ定かでなくなっている
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精神科に行きさえすれば助かるような気がしていた。多分わたしは安易だった。診察室では物腰の柔らかい医師が2歳児にまつわるあらゆる愚痴を聞いてくれた。彼はずっと黙って相槌を打ってくれていたが、最後に口を開いた。 「お子さんの脳の検査をしてほしいという理解でよろしいでしょうか」
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毎日がひどく長く感じられるのに、タスクが山積したまま、あっという間に過ぎていって無能感が募る。わたしはこれらの愚痴を言う相手を間違えた。言うべきは精神科医ではなかった。共感して同意してくれる似た境遇の経験者にこそ話すべき内容。先生が苦肉の打開策に「脳の検査?」と思うのも無理はない
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内心不満タラタラで同級生にそっとナプキンを渡した。それもなんだか変だと思った。何も悪いことをしていない、汚いこともしていない、自分自身にすら制御し得ない、自我に帰属するだけの肉体の気まぐれな出血のせいで、こんなに遠慮し額に脂汗を浮かべなくてはいけない女の十字架は重いと思った。
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どうされましたと訊かれたので、床を殴ってしまったことを伝えた。子どもに手を上げてはいないものの、その日が近いようにも思えて怖いと言った。どうにか誰かに助けてほしくて、と訴えを続けようとしたら、その人は遮って「まだ手を上げてはいないんですよね」と言った。「だったら大丈夫です」とも
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《問》 日本のA市に、母親と、生後半年以上1年未満の乳児がいます。この母親が今すぐこの子を2〜3時間預けたいと考えた場合、実現するにはどうすればよいでしょうか。尚、この母子に親族はおらず、近所に知己もいません。また、母親は高熱を出し嘔吐したためシッター派遣会社には派遣を断られています
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子どもの脳に異状がないのはすでに発達を診てくれている病院で診断済みです、わたしは自分が2歳児と安全に過ごす自信をなくしているんです、きっと疲れているんです、話してだいぶ荷が軽くなったから、またしばらくがんばれそうです。わたしは診察室を後にした。先生は静かに見送ってくれた
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たしかにわたしは述べ立てた。2歳児が謎のスイッチで癇癪を起こすからつらい。頑なに雨の日の水たまりから出ようとしなくて泣きそうになることがある。スーパーでは食べもしないパプリカを全部カゴに入れようとするから、諌めて泣かれて機嫌を取って、必要な買い出しさえままならない
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生理になること、毎月何日間も痛みでのたうち回ること、ナプキンを生涯買い続けること、吐き気と不安とままならなさに耐えること、苦痛緩和のピルを飲む行為さえ詰られること、それらの濁流に否応なく取り込まれる女性の、状況が改善されますように。知識は人を救い、情報は社会を成熟させると信じて。
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わたしはスマホを持って立ち尽くしていた。電話口の人は、心の具合が悪いなら精神科に行くことを提案してくれた。それが難しいなら周りの人に相談するのもよいでしょう。お母さんとか旦那さんとかご兄弟とか、助けになってくれますよ。わたしが「どれもいません」と言うと、「じゃあ精神科」と言われた
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わたしは産前Perfumeもびじゅチューンも知らなかったし、多分知っていても通過していただろうと思う。子どもに世界を広げてあげようなどという上から目線の考えであらゆる音楽を履修した結果、子どもの取捨選択によりすごい音楽やすごいアートに触れる機会を与えられてしまった
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わたしが仕事場で駆け込んでくるあなたを見たら、個室に通して話を聞いて、医師に繋いで、入院させて、追ってくる親から絶対絶対守るから。約束するから、早いとこ、おいで。イキのいい屍に出会えるよう、幸運と健闘を祈ってる。何歳でも、助かる権利があるのを忘れないでね。
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生きることや生かすこと、命を頂くこと――と書いたらありきたりなのだけれど、そういう一連の営みをろうそくの火やランプの灯りに照らされたあたたかい小屋で経験して、夜には満天の星を見上げて、わたしは「生きなきゃいけないんだ」と感じた。どこであれ今いるところで、命がある限り生きなきゃなんだ
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わたし出産のダメージをがんばって無視しちゃったクチなんですけど、産後ってやっぱりできるだけ横たわっていた方がいいですね。 産後直後から痛む体を引きずって、泣きながらウロウロ通常稼働していたことが、今の頸椎椎間板ヘルニアの遠因のようです。 産後の各位の周りの各位、お母さん寝かせてね。
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羊の扱い方、刈った羊毛の扱い方など一生懸命説明してくれた。化粧っ気がなく朴訥で優しい15歳の女の子。ファッション雑誌も読んだことがなさそうな。外の世界に興味もなさそうな。夜になり宿舎に戻ったら、同室のギャルが「あの子、いいね」と言ってちょっと泣いていた
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少女ははにかみながら板に乗り、目を細めてステップを踏み始めた。タップダンスだ。すごく上手な。するとすぐにその家の(わたしたちがただの幼児と思っていた)小さな弟も出てきて、バイオリンで朗々と伴奏しだした。お母さんは後ろの方でハープを弾きだした。お父さんはギター。なんだこの家族
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その重さを、その苦しみを語ろうとすれば封じ込まれるのが社会の常で、年上の女たちは往々にして「自己管理しろ」と嘯き「忍耐が女の美徳」みたいなくだらない価値観を押し付けてきた。いやな時代だなと思ったが、歴史を繙けば女が人間扱いされないのは別に今に始まったことではないらしかった。
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すぐ斜に構えてしまいがちな性格で、なんでも疑ってかかる質で、新しいものに否定的な(こう書くとひどい)わたしは子どもの自由な選択に立ち会わなければ世界中の素晴らしい音楽を知ることもなかったんだろうと思うと、ちょっと可笑しくなる。世界は狭かったけれど、それはわたしがそうしていただけだ
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ありがとうと言いたい時には先生なし、なんてね。照れたりなんかせずに、もっと笑って、もっとありがとうって、伝えておけばよかったな。でも、それができるようなら、先生にも拾われてないか。 あれから20年。今のわたしも誰かに、ビーカーでコーヒーを勧めることができていたらいいんだけど。ね。
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でも最近、《生理の貧困》という言葉を耳にすることが増えた。言い出した人たちは無数の毀誉褒貶に曝されたことと思うから、その勇気と努力を称えたい。だれかの問題提起によって語り部が増えるのはいいことだ、具体的な情報が広まれば、無駄に尊厳を踏み躙られる少女が減る。
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生きている羊の扱い方を学んだあとは、羊料理のレッスンになった。午前中仔羊を抱っこして幸せそうにしていたギャルの何人かは、料理の序盤でリタイアした。わたしは所属班が全滅したのでやむなく代表で料理に参加していた。味は覚えていない。でも羊飼いの人たちもあの少女も笑顔だったのは覚えている
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助かれ、地獄の底の子どもよ。生きて、楽しく過ごしてから死ね。その家庭の中でくたばるな。逃げろ、逃げろ、病院に駆け込め。助かった後の心配はあとですればいい。街にはゾンビもウヨウヨいるから大丈夫、身も心も搾取され尽くしたあなたが、もう一度生きられたら、わたしたちゾンビはみんな喜ぶ。