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わたしは耳と自分の語彙力を疑った。クラスを見渡すと、みんな下を向いてクスクス笑っていた。先生は続けた。「日本人は真剣勝負の時に変なパンツ一丁になるじゃないか。相撲レスラー知ってるだろ?お前も日本人ならああやって真剣さを演出していいんだ、誰も止めやしないから」
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悔しさより危機感が勝った。こんなに寝不足で休息もなく、24時間365日を4年間、片時も離れずいっしょに過ごしていたらいつか虐待してしまうかもしれないという漠然とした恐れは、この時初めてはっきりとした輪郭を持ち、混乱するわたしの目前に立ちはだかった
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子どもの保育園ではたまに保護者がゲスト出演する。楽器の演奏者だったりスポーツトレーナーだったり、なにかしらの一芸を子どもたちに披露すべく、月に1回くらい誰かが呼ばれる(わたしは手に無職なので完全に無関係)。
先日、英語の先生ということでアメリカ人の親御さんが呼ばれた。
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なんであんなにがんばってしまったか、余裕の出てきた今となってはいろいろなことに腹が立つ。児相がダメなら役所に行けばよかった。役所がダメなら小児科で相談すればよかった。どこかしら活路はきっとあった。なのにあの夜、わたしは社会への信頼を勝手に失い、ただ疲れ果て、手をのばすのを諦めた
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わたしが子どもと死ななかったのは単に偶然の結果に過ぎない。眠る我が子の口を塞ぐ夢を幾度みたことか知れない。その度に罪悪感に苦しみ、同時に楽になりたいとも願った。3歳半を過ぎたあたりで子どもが人間っぽくなり、そこから視界が明るく広くなったものの、それまでは悲しいほどに孤独だった
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日本のあちこちに、あのときの《わたし》がいる。子どもと全力で向き合っても、連日不可解な理不尽に苦しむ《わたし》。夜も子どもが泣くから、抱っこ紐をつけたまま寝ている《わたし》。健やかに育ってもらいたいだけなのに、なにも食べてくれなくて頭が禿げるまで悩む《わたし》。相談相手などいない
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これは危険だ、とわたしはハッとした。叩いたこともなければ怒鳴ったことももちろんない。わたしはわたしが親にされて怖かったことを覚えているから、それだけはしないようにという信念に基づき育児していた。この瞬間まではそうだった。わたしはわたしが限界に近づいているのを自覚した
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淡々と目の前の災厄をやり過ごしては生き延び、手の届く範囲の人々と手を取り合って愛して暮らす。子どもにできるのはせいぜいそれくらいなものなのに、わたしは服を脱げと言われて、己の力不足を恥じた。わたしは彼の暴言を止めることもできず、そして彼は後に続く日本人を痛めつけ続けるに違いない。
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(余談だがわたしは小野大輔を履修してしまい知らなかった頃に戻れなくなっている)
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たぶん彼は失言したとも自分の認識が甘かったとも思ってなくて、へんなやつに余計な話題振っちゃったなくらいにしか思ってなくて、明日からも主婦disの心で妊娠出産育児家事はタダとの認識で生きていくのだろう。断絶。職場で毎日会うけどさようなら
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脱いだら脱いだで「英語を聞き間違えたんだろう」と言われるのは目に見えていた。脱がなければ脱がないで「反抗的な態度だ」とさらに場を巻き込むだろうことは容易に想像がついた。わたしは本当に窮してしまって、ボールペンを掴んで自分の手の甲に突き立てた。
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とにかくすぐにでも回復して、ノンストップの育児マラソンをうまくこなさなくてはならない。あんな、音で威嚇するような嫌な真似、二度とやるわけにはいかない。ネットで精神科の予約を取り、ベビーシッターの検索と依頼と調整をし、3時間の喜ばしい孤独をわたしの日給と同じ6000円で購入した
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1枚差し出してきた。ありがとうございます、と部屋を出ようとしたら、「もう高校生なんだから、そのくらい自分で管理なさいね。持ってないのは恥ずかしいよ」と偉そうに冷たく言い放った。わたしは言葉もなくドアをぴしゃりと閉めた。嫌な奴だな。同級生が自分で来なくて本当によかったと思った。
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精神科には奇しくもさきほど行ったばかりです。なんて言われましたか?子どもの脳の検査をしたいですか、と。そうですか、ではまたなにかありましたらいつでもお電話ください。あ、はいわかりました。
――終話。
わたしは確かにわかってしまった。この状況は変わらない。わたしは育児を続けるほかない
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わたしは何が好きなんだっけ? 出産育児の日々を経て、わたしはもとの自分をどこかに落としてしまったらしかった。久々に開いたiTunesのプレイリストは、記憶には懐かしいのにひどくよそよそしかった。それでもわたしは嬉しかった。新しい日常が始まったのだから
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わたしは「そうだ、人と話していないからだ」と思った。スーパーのレジの人と金銭授受で話すほかは、子どもとしか話していなかった。たまに訪ねてくれる友人はいたけれど、子どもの前で育児の愚痴をこぼすわけにはいかないから、わたしはきっと子どもの愚痴が蓄積するあまり心を病んだのだと考えた
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わたしたちが初日に「都市の文化から隔絶されてる」と失礼な誤認をして気の毒に思ったり羨ましく思ったり色々した対象の羊飼い一家は、あるべき形でそこに存し、必要と思う文化を自分たちに取り入れ、受け継ぎ、暮らし、シンプルに生きているだけの人たちだった。人間て素晴らしいな、とわたしは泣いた
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寝ついた子どもの足元で、ドキドキしながらイヤホンを装着した。なんだか悪いことをしているような気がしたけれど、幸福に満ちていた。今日は子どものおうた記念日で、わたしにとってもおうた記念日なんだ。好きな曲を聴こう、夜泣きまでまだ何時間かあるから――その時、ハタと気づいた
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有り金かき集めて子どもに目一杯美味しいもの食べさせて、日がな一日楽しく過ごさせて車に乗って膝枕して、練炭炊く親の気持ちがちょっとでも“わかってしまった”気がしたので、多分疲れている。4時間ばかりの自由を買おう。一時保育受付にもしもしだ
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乳児検診で幾度も相談した。周りの子どもたちの声にパニックを起こして泣く子を見た保健師には、「大丈夫よ、お母さんが気にしすぎなのよ」と諭された。音楽も聴けない日々が続いた。家電のサイトを見ては「音の出ない炊飯器」を探した。一日の大半は音に起因するギャン泣きをあやすことで消えていった
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子どもが100円玉を貯金箱に入れながら得意げに「とても貯まってきた。なんでも好きなもの買ってあげれる。家買う?ドミノ・ピザ買う?ママほしいものなんでも言ってみな。えんりょはいらない。」と言ってくれて、愛がナチュラルに深くて、なんか幸せだと思いました。ずっといい関係の親子でいたいなあ
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ベビーシッターから子どもを引き継ぎ、「ママキライ」とケラケラ笑われながら、トミカを並べる遊びに付き合い、唐突に顔をトミカで殴られ、痛くしたらダメだよと優しく注意し、それでも泣かれ、抱きしめ、ぬいぐるみで慰め、食べないのに欲しがるメニューを作って並べ、いつものようにひっくり返され、
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唯一食べる白飯をひとさじずつ掬って口が開くのを待ち、咀嚼するのを待ち、飲み込むのを待ち、吐き出したら受け止め、それを繰り返し、繰り返し、いったいぜんたいこの子どもはどうしてここにいるのだろうと低い意識レベルで考え、嫌がるのをなだめすかしてお風呂に入れ、顔に水がついて泣くのを慰め、
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転機が訪れたのは2歳の誕生日だ。子どもになにをあげようかと抱っこで寝かせた子の背後でスマホを見つめていた夜に、防音イヤーマフを見つけたのだ。もう装着できる頭囲に達していたし、一条の光明を見た思いで購入した
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学校のナプキンを生徒が使うことで損をするというなら、トイレに自販機を置いてくれたらいいじゃないかと思った。そして「生理になっても保健室に頼るな、血染めのスカートも下着も密やかに自分でなんとかしろ」と公言し、「学校は子どもを管理する場であって守る場ではない」と突き放したらいいのに。