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わたしが答えを間違えると、「トヨダが数学間違えることなんてあるんだな。いや、君はホンダだったっけ?」と戯けてみたりしていた。わたしは辟易していたが、クラスのほとんどの子は「くだらなーい」と大げさに嘆く素振りをしつつも、彼の冗談に好意的だった。わたしの成績は、段々落ちていった。
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生命が遺伝子の乗り物に過ぎないように、人間は思想の体現者に過ぎないとも言える。正しき迫害の体現者となるのか、差別に抗う戦士となるのか、わたしたちは誰でも選ぶことができ、選択は委ねられている。傍観者を選ぶことだってできる。差別に気づくことを拒み、なにも変えたくないならば。
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(ほかにいくらでもやりようがあったろうに、その瞬間のわたしは本当にそのようにしかできなかった。そして余談だが、自傷したのは後にも先にもその一度だけで、それゆえ「人が自傷や自爆する時はキャパを超えた困り方をしている」という想像を働かせられるようになったのが思わぬ副産物だった)
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考えて導き出した答えが正しければ「日本人だからできて当たり前」と評され、間違っていればここぞとばかりに先生が悪ふざけをする。そして「英語が下手だから」という理由で、100点を取ったところで成績はいつもBマイナス。数学の時間、わたしは授業に参加するのをやめた。
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あんな失望は、経験したことがない。育児は現代日本では自己完結すべき長期イベントなのだ。結局わたしはそのまま卑屈に忍耐を続け、夜な夜な「今日も死なせずに済んだ」と泣いて安堵し、「幼稚園まであと何日」と震える指でカレンダーをなぞり、ぎりぎりの精神状態で母性神話フルマラソンを駆け抜けた
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高齢者向けマンション広告で『見守りサービス』『いつでも駆けつけ』が売りになっているのを見るたびに「乳幼児育児層にこそそれ必要なんだけどな」と遮光器土偶顔になってしまう
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転職活動、あまりにもWeb応募の時点でお祈りされるので備考欄『幼児と二人暮らしです』の文言を削除して応募してみたら片っ端から通過して次の選考に行けて、でもWeb面接で『幼児と二人暮らしです』と言えば結局「あーw」とか言われてそこで終わり、手間を増やしてひんやりとした示唆を得るに留まった
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「いまおまえは妊娠出産育児家事しかも3倍のコストをノーカウントで発話しましたね。で、彼女が『疲れた』と言った、それで?それがなんなんですか?」
「忘れて…」
「覆水盆に返らないので失言した時は『忘れて』じゃなくて『ごめんなさい』が妥当だとわたしは思いますよ」
「ウニョロウニョロ…」
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数学の先生が評価表コメントより長い手紙を渡して来た。
自分の親戚が真珠湾で日本人に殺されたこと、日本人は野蛮なこと、神風特攻隊なんてものを思いつく日本人は世界のためには生きてちゃいけないと思うこと、それでも生徒として預かったからには教育して鍛え直して正しい方に導いてやりたいこと、
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黄色のレポート用紙にボールペンで日本語を書き殴った。湧いて出る気持ちを言葉に託して書いて書いて書き連ねた。言いたいことはたくさんあったがそれを伝える英語力がないのは確かだったから、周りの誰に宛てるわけでもなく、文句からなにからすべてを叩きつけるように一心不乱に書き続けた。
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数学の先生は辞めなかったし代わらなかったし、謝りもしなかった。次の授業から生徒いじりは控えめになったが、相変わらず廊下でわたしとすれ違うと「大豆くさいぞ」などとつぶやいていた。結局わたしにはなにも変えられないし、ボールペン一本じゃ世界は変えられないと思って迎えた学校最後の日。
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虐待致死の報道に触れるたび、わたしは自分と重ね合わせる。「なぜ児相に行かなかった」「なぜ産んだ」「なぜ親であることを手放さない」との外野の誹りは、いずれもイフのわたしに向けられたもののように思う。もしもわたしが2歳の子どもと死を選んでいたら、同じ誹りを受けるのは免れなかったろう
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”どのくらいの屈辱を我慢したら、誰かに、立派な日本人だって褒めてもらえるんだろう。何度この悔しい時間を繰り返したら、こんな馬鹿な人たちからジャップと侮辱されなくなるんだろう。わたしがあと何を耐えれば、教室という名のこの世界は、平和で理解に満ちたものになるんだろう”
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そう考えたわたしは年相応に幼かった。どんなに正しく暮らしても、人生に闖入する敵がゼロになることはなく、差別は消えず、啀み合いはなくならず、"この数学の教師"がいなくなることはない。それに差別に抗っても、別に光栄な式典に招かれるようなことにはならない。差別は社会に織り込み済みだから。
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2歳児の脳はまだ未成熟だし、意思疎通もできているようでできていないから、わたしは子どもの狂人がごとき一挙手一投足に対する苛立ちを日増しに募らせ、ある日、床を殴りつけてしまった。レゴブロックをわたしの顔めがけて投げつけていた幼子は、本人からしたら脈絡のない大きな音に驚いて泣き出した
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届いたそれは思いの外ゴツかったが、子どもはひと目で気に入ったようで、「カッコイイ」と述べ素直に着けさせてくれた。初めて、雨戸を開けることができた。初めて、苦しげに泣いていない子どもと外を歩くことができた。謝り続けることなく電車に乗れた。轟音の地下鉄にさえ乗れた。世界が一変した
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使命感はあるのにうまくいかないこと、どうかわかってほしいこと、俺は君を嫌いなわけでも恨んでいるわけでもないんだ、ただ日本人というものが邪悪な存在だということに君も気づいてくれたら、きっと世の中はもっと良くなる、人生を正しく送ってほしい、先生たちは正しい人の味方だからね――。
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虐待は悪です、そんなことは百も承知だ。そこそこ普通を自負する人間でも、虐待しそうになるところまで育児という営みは理性を圧迫することがある。だからこそ負荷分散が必要で、児相に繋がりハイ解決という机上の空論からいい加減議論を進めるべき時期に来ている、ただそれだけのことなのに。なのに。
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炊飯器の音で泣いていた子に音のすごさを教えられるとはね。人生ってわからないし、人生って広い。今日はどんな曲を聴こうかな。
以上、深夜のひとりごとでした
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児相に電話すれば休めたり助かったりするような、単純なシステムは育児業界に存在しない。《わたし》たちは瞬間瞬間を懸命に生き、子どもを育み、トイレさえひとり油断して行けない暮らしの中で、時々怨嗟の如きSOSを放つのに、それが「明日の託児」にも「制度的救済」にも繋がることは滅多にない
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テレビの音も出せるようになり、ある日『おかあさんといっしょ』を観た子どもは「カチコチカッチン、お時計さん」と初めて歌を口ずさんだ。イヤーマフ越しに触れる世界の音を、子どもが受け入れた瞬間を見た気がした。わたしはその夜嬉しくて、産後約2年半ぶりに「なにか音楽を聴こう」と思い立った
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生理がいつ来るか、血がどのくらい出るかなんて高校生くらいじゃまだ安定してないし、ナプキンに対して「そんなもん要らない」と予算を割いてもらえない子だって少なくない。そこで思春期の子たちの尊厳を守り、無駄に傷付かないよう導くのが《先生》ってものじゃないの?と疑問がぐるぐる渦巻いた。
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先生は初めの頃は「気味悪い字を書いてないで問題を解け」と言ってきたが、わたしが無視していたらそのうち構ってこなくなった。
学期末のテストの日、わたしが今日ばかりは仕方ないから回答しようと着席すると、先生はドタドタと歩いてくるなり青い瞳でわたしを見据えて、「服を全部脱げ」と言った。
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身を捩り泣いていない子はこんなにかわいいんだ、と思った。泣く子がかわいくないわけではないけれど、しょっちゅう辟易してはいたし、そんな自分を憎み恨み一念発起してはまた辟易するという一連の心情推移に翻弄されない生活は健全だった。空が青いことも木々が緑なこともわたしは思い出し始めていた