どうそく(@madanaizo)さんの人気ツイート(古い順)

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先日「まんがで大切なのはスピード感」というタグが流行ってたけど、俺が漫画を読んで初めて「あっ!こいつは凄い!」と思ったのはコレかな。凄いというか、漫画を読んで初めて「あ、漫画というのは映画や小説とは違うものなんだ」ということを意識した瞬間。手品を見せられてるような気分になったよ。
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近所の廃病院を知り合いが譲り受けて、今リフォーム中と聞いたから見に行ったら「昭和の世界」がそのまま残っていて感動した。今となってはなんのために使うかよく分からん機械まであって、ちょっとしたSF感覚まで味わえたよ。まるで本多猪四郎の特撮映画(の日常部分)の中にいるようだ。
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「ディストピアSFに出てくる悪(管理国家)はシステム構築がちゃんとしてる」という呟きを読んで何となく思ったが、日本的な「悪」をちゃんと描いた映画ってもしかしたら戦争モノ以上に『沈黙』じゃないかな。「この国は沼地 何を植えても根が腐る」という「何をしても自然に腐る」感じに言及した映画
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西洋の悪はシステムという「人間自身が構築した非人間的なもの」だけど、日本の悪はどのような対立や問題も全てそこに飲み込まれて、最終的にグダグダになる「自然」という(誰が作り上げたわけでもない)非人間的な空間だけが存在してる感じ。
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さえぼう先生の批評本を読んでるけど、冒頭で「自分の分析を明確に文章化できると、作品を他の人とシェアできて楽しい」「批評はコミニュケーションを生み出し、作品のまわりに共同体を作る道具でもある」とハッキリ書かれてて、ちょっとビックリした。「コミニュケーションの道具としての批評」という
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なんでヒットしたのか分からん作品があるのは、自分が考えているよりも世界が豊かな証拠ですよ。多分。
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新しい中央公論に面白い記事が載っていた。ハードボイルドの魅力は究極の独りを生きていることであり、そのために必要なのは気取ったせりふや酒ではなく、衣食住のメンテを部下や女に頼らずこなせるスキルだった(そして橋本治という作家は実にハードボイルドな人だった、と)。
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西部開拓時代、ガンマンは実はエンジニアでもあったそうな。拳銃の分解掃除と修繕、馬の蹄鉄を鋳て鍛える技術…等々のスキルがないと荒野では生きていけない。そしてマーロウやスペードも含め、ハードボイルド探偵は海まで追い詰められた西部のガンマン達の末裔なのだ。
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「『ゴジラの逆襲』は宴会場面が長い!」と昔から批判されてきたけど「コロナ禍だから飲み屋に行くな。人と集まって飯を食うな」「なんなら灯火管制もしてやろうか」みたいな状況を体験した後だと、なんとなくあの「長さ」の意味が分かる。あれは戦争が終わった後の「日常のありがたさ」の象徴なんだね
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何度も張ってるけど、小松左京先生の「SF小説がやたらと世界を滅ぼそうとするのは、『破局』を設定することによって、はじめて人間が、人類が、そのモラルが、社会機構や文明が、いわばこの世界が「総体」として問題とされるからだ」発言は重要ですよ。この世界を「日本」に置き換えてもいい。
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今月からネトフリで配信された映像エッセイ「映画という文化 -レンズ越しの景色-」。第一話が『ジョーズ』をきっかけで映画の面白さに目覚めた女性映画ブロガー(サーシャ・ストーン)の回想だったけど…この手の映画を見ながらこう↓思ってた女性は昔から大勢いたんでしょうな。なんかタイムリー。
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↓誰か忘れたけど、昔「友達が出来ない」という悩み相談に「君は頭が良すぎるんだ。良すぎるから飲み会とかでも〝あ、コレ以上ここにいても良いことないな〟ということが分かって、すぐ帰っちゃう。でもそんな時こそ、あと30分我慢してみろ」と言ってる人がいて。これは凄く大事なことだと思うんだよね
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「〝合わない人はすぐ切る〟は相手を信じて待つことが出来なくなるから孤立する」もコレと同じと思うんだ。どんなに頭が良くても、人間の頭の良さなんてたかがしれてる。頭の良さで他人を即座に理解することはできない。だからある種の不快さに逆らって、自分をその場に「拘束する」のが重要だ、という
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で、今はコミニュケーションがsns中心だからこそ、いかに自分で自分なりの「拘束具」を作るかが重要と思う。余談だが、俺は映画館が好きだが、それは映画館には「拘束具」の役割もあるからだ。拘束がなければ10分で見るのをやめる映画はザラだ。「この映画は見切った!」とね。そして結局自分が損する
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頭の良い人は「こんなことはやってても無駄」とすぐ分かっちゃう。分かっちゃうから「無駄なこと」をするのが苦痛になる。でも人付き合いは「無駄なこと」の連続だし、なんなら世界は「無駄」で出来てるじゃないか。そこに豊かさがあるじゃないか。その「無駄なことをしてる苦痛」の先に信頼があるんだ
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俺が頭にあるのはsnsやサークルの交流関係のことなので、家で両親から暴行を受けてるとか、クラスで虐められてるという人は、もちろん別だよ。念のため。そういう時は「この人達にもいいとこはあるんだ」とか思わずに、さっさと逃げてくれ。大人に相談してくれ。
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日本映画の脚本の話。以前黒沢清監督が「脚本は”文学”ではなく”設計図”だが、日本では金を出す側がそれを文学としてしか読めない。所謂”人間”を描いてないと、良さが理解できない人が多いのだ。そして文学と化した脚本を現場でなんとかマシなものに変えるのが監督の仕事」とボヤいてたのを思い出したり twitter.com/madanaizo/stat…
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(定期)昔の映画の悪役がベラベラと自分の計画を話すのは、自分のやってることを「犯罪」ではなく「芸術」と思ってるからです。「止めれるものなら止めてみろ」と主人公を挑発する行為含めて。私に言わせれば「35分前に実行」するような野暮天が増えたから、映画の悪党から優雅さが消えたんですよ↓
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007の悪党は生きてて凄く楽しそうだったのに、ある時期から急にツマンなそうな顔しだした。「善」は今の(面白くない)社会システムを維持する側の、制約の多い存在だ。でも「悪」は「そんなん知るか!」と好き勝手振る舞うから人生が楽しいはずで、その楽しさがある種の「美しさ」を生むはずなのだが
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「悪」は学のある人間がやればやるほど純度が高まると思う。言葉は悪いが、学のない人間なら「この人は何が善で、何が悪か判別がつかなかっただけだ」ともなりえる。007のジョーズとかはコレだな。でも、007のかつての悪党達はそれを悪と認識した上で、平然と乗り越えるから美しい。美しかった(過去形
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最近の映画の悪党が美しくないのは、それを「悪」と認識してない(知識がない)か、或いは「悪」に耐えてない(「食ってく為には仕方ない!」「世界を変える為に仕方がない!」と言い訳してしまう)からだ。だから今こそ、主人公の前でべらべら計画を話す(止められるなら止めてみろ…と)悪党が必要だ
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『ジョーカー』社会の中で上手に振舞うことが出来ない男が、社会的良識を徐々に捨てることでダンスを踊れるようになる過程を連想してくらされ。悪の優雅さはそういう社会の規則や、良識という「他人の目」から解放されることで生まれる「自由な/自分の振る舞い」でもありやす twitter.com/madanaizo/stat…
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SNSで定期的に話題になるネタだが、そろそろ淀川長治の酷評をまとめた『本当はコワい 淀川長治』的な本をどこかが出すべきだと思う。「他人の好きを否定してはいけない」という風潮が強い昨今だからこそ、どんな映画も褒めると誤解(?)されている淀川の映画酷評本を出すことに意義があると思うのだ
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昨夜も書いたけど、木下恵介の「黒澤の『生きものの記録』はなぜコケたか?」の分析が凄い。「東京にあんなに空襲があっても、僕達は死の恐怖を切実に感じなかったじゃないか。黒澤君の誤算は”みんなが死の恐怖を切実なものと思うはず”と考えたことだ」っての。コレ、絶対、今の人から出ない見方だよな
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実際にこういうことはよくあるんだろう。或いは「俺、このキャラ嫌い」を「リアリティがない」と言い換えてるとか。しかし、先生も書いているが、これは大変ケシカラン表現と思う。「お前の存在はリアリティがない」と言うのと同じだからだ。下手や嫌いの方がいい。この話は今の方がよくわかる気がする