どうそく(@madanaizo)さんの人気ツイート(新しい順)

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宇多丸さんが『神は見返りを求める』評で言った、「自分の人間的キャパを超えて“いい人”たろうとする、その危うさも描いてる」みたいな言葉が地味に刺さってる。歳を取ると「俺は自分が思うほど善人でも親切でもないから、そのキャパを見極めないと最後は自分も周囲も傷つくぞ」となることが増えるのよ
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以前、ある映画評論家が「僕は良い映画を見た後は何故か電車に乗れない。必ず歩いて帰る」と言っていた。私は彼の気持ちが分かる気がする。良い映画を見た後に、電車で見知らぬ他人と一緒に同じリズムで揺られるのはカナワン。こういう時は自分のリズムで映画を反芻し、考えたいのだ…ということだろう
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「作品を褒めるのは…貶すのは…」ということより、「あの作品はここは良いがあそこはダメだ」「出来はいいが、思想はアウト」みたいなのが伝わりにくくなってる方がマズイと思う。駄作は全編ダメ、傑作は全編イイ、みたいな感じで。「マーヴェリック」だって、他国を攻撃するのは…で揉めたじゃないか
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物書きは「書くことが含む”悪”や”暴力性”に自覚的でなきゃダメ。書くことは対象の姿を歪めもするから」とよく言うけど、大江健三郎なんかは「人は忘れることで生きていける。だから書く=記憶・記録に残すことには何らかの”悪”が含まれてるのではないか」と言ってて。俺は大江の方が正しいかな、と思う
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以前「絵が下手な人が、明らかに自分で興奮しながら書いてる特殊性癖絵が好きだ。下手なぶん「俺はコレを描きたい!」という、書き手の心が絵にうつるからだろう」と書いたのだが… 残念ながらAI絵の登場によって、この「下手な作者の心が絵にうつる現象」は失われてしまったようだ。実に嘆かわしい
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前も書いたけど、「芸術家が成熟して、山や川の美しさに気付いてしまい「美術はもういい」となるパターンは多い」という話。最近分かりますもん。逆に言えば同じ山や川を何度書いても飽きない芸術家は、そういう「芸術はもういい」となる、山や川の美しさが見えてるワケよ。その目こそ彼らの天才の証だ
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どうも最近は映画や音楽聴くよりも、近所の川の流れをじいっと見てる方が満足度が高くてイカンな。川の流れの方がフィクションより面白いと感じてしまう。いや、実際大したもんですよ。自然の動きは。俺、死ぬのかな。
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コレは私の観測範囲内なんだけど、オッサンがネトウヨになるとか、陰謀論にハマるとかしても、オッサンが抱えてる仕事の問題が解決すれば、あっさりフツーに戻ることがあるんだよ。多分それは仕事のストレスとか、そういうのがハマる要因としてあって、オッサンの本質?とは関係ないものだったんだな。
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宮崎駿が「もしハクが千尋の横にいなかったらどうなった?」と聞かれた時に、「『千と千尋』はそれを受け入れることのできる人の映画。そこまで疑う人のじゃない」と返した話が好きで何度も引用してるのだが…最近大事なのは「範囲を限定したから完成させることが出来た」の方かも、と思うようになった
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雑誌読んでたら、ポジティブ系自己啓発の先生が「やっぱり人生は「去る者は追わず、来るものは選ぶ」ですよ。「来るもの拒まず」ではなく。長くやってると、色々経験するからね…もうしょうがない」と、妙に弱気なことを呟いてて、なんか不思議な味わいがあった。しかし、コレは案外真理ではないかな。
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単純に好きなものを貶されたくない、という人の気持ちもわかるが、そこをヘンに汲んで「正直駄作と思うし、好きにもなれない作品だが、好きな人も結構いるから貶すのやめよう」とやると、そのうちマジで「好きになれないが、好きな人は結構いる駄作」ばかりになるので、俺はこれからもダメなのは貶すよ
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で、だ。 定期的に議論になる「批評家はケシカラン、いや素晴らしい」的なのも、案外コレに似た部分があるのではないか。ここまで定期的に盛り上がる話題は、何か別の存在意義があってもおかしくないよ。俺達は互いにディスりあうことで、結果的に「自分の仕事」を上手くやれる面もあるのではないか…
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どうも私は映画を「うぉぉぉ!五億点!大大大大傑作!」的にオオゲサに褒める人を見ると、この泣き女を連想するんですがね。マニアはこういう大げさな呟きを嫌うけど、彼彼女が大興奮し(たフリをし)てくれるから、マニアも安心して「で、この演出は…」と考察とやらを披露できる面もあるのではないか
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前も書いたけど…アジアの葬儀で「泣き女」ってのがいるでしょ?アレ、よく「意味わからん」的にバカにされるけど、実は結構合理的なものらしくてさ。要は泣き女が遺族の代わりにワンワン泣いて、悲しんでくれるから、遺族は安心して「遺産をどう分けるか…」みたいなダーティーな話も出来るんだとか。
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某有名音楽家のライブへ行ったら、地元のオッサン達が前座で演奏しててさ。その中に近所でよく見る冴えないオッサンもいて、細野晴臣の『ろっか・ばい・まい・べいびい』を一人で演奏してた。コレが最高だった!でもそれは漫画でよくある「普段は冴えない奴が、ライブで急に輝いた」的な意味じゃないよ
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マダム、ある相互氏の名言を引用させてもらいますがね。ブラック企業もパワハラもセクハラも家庭内暴力も、ズボラな人間がイイワケの為に考え出したフィクションじゃないんです。この世界に実際に存在する「悪」なんですよ。彼らに同情しろ、とは言いません。でもそれが存在することを否定してはイカン
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(余談) この話。一番拒否反応を示したのが近所のマダムだった。「どこが偉いの?人は働いてナンボよ!」と。あぁ、マダム。アナタの感覚の方が普通と思うよ。でも、俺の記憶が正しければ、アナタは大学出てすぐ裕福なガイと結婚したはずで… どうも労働経験ない人ほど労働を賛美する気がしてスカン
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もし「勇気の最大瞬間出力」みたいなのが計測できるなら、この40男の出した勇気の量は、真面目(?)に働いてる俺がここ数年出した勇気の総量を遥かに凌いでいると思う。多分、彼は今回採用されないだろう。でも絶対そのうち何らかの形で彼が報われる日が来ると思う。それまで頑張れよ。オッサン。
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勿論「初めからちゃんと働いていた奴」の方が偉いだろう。でもそれと「ダメになった後、人生をやり直そうする偉さ」はそれぞれ別の偉さと思うんだ。そして、単に偉さや勇気の量で言えば…「今まで無職だった(引きもり?)40男が、就職するために一歩踏み出す」ために必要とした勇気は、相当なもんだよ
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>袋叩き 「40になるまで働いてないとかバカだろ」「親のスネかじり」とね そういう意味じゃなく…いや、確かにバカだったかもしれんが、例の「更生した元不良」話と同じでさ。「一度ダメになった後、更生しようとした」勇気はソレはソレとして称賛されてイイと思うけどな twitter.com/madanaizo/stat…
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先日「会社に就職希望者が面接に来たけど、履歴書読むと、ソイツ。40歳になる今まで働いたことないのよ(笑)」みたいな話題が出てさ。俺は普通に「偉い。40でついに新たな一歩を踏みだすなんて…実に勇気がある」と思ったから、そう言ったんだけど、周りから袋叩きにされちった。みんな、冷たいぜ
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実際「利他ブーム」の裏側で「「人から優しくしてもらったことや好きな人から『好きだ』と言われたことを素直にうれしいと思えなかったことがある」若者も増えてるらしいので。だから好意であれ、チャンスであれ、それをそれとして「受け取れた」のはスゲーよなぁ、という話。 nikkan-gendai.com/articles/view/…
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「いい人」…というか「強い人」は、「他人に何かしてあげる人」というイメージがあるけど、俺は「ちゃんと他人の好意を受け取れる人」と思うんだよね。で、その好意を受け取るためには、適度に自分を好きじゃなきゃイカン。それは多分「チャンス」も同じだろう、と。だからそこを逃さなかったのは偉い
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昨日もちょっと書いたけど、『ぼっち・ざ・ろっく』のぼっちちゃん。よく「ぼっちちゃんは努力の人だから、お前らみたいな単なるネガなぼっちと違う」と言うけど、俺は第一話で「ギターのヘルプをして!」と頼まれた時、チャンスが来た時にちゃんとソレを掴んだこと(?)が、一番の違いと思うんだよね
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いや、単に返事する暇なく連れていかれただけなんだが…それでも。 なんというかな、本当の本当に自分を嫌悪する人は、多分、そういう「俺もバンドやれるぞ!」というチャンスが来た時ほど、「俺を誘ってくれるようなイイ人に迷惑をかけてはダメだ」と、それを手放してしまうような気がするんだよ。