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長谷川和夫「ボクはやっと認知症のことがわかった」面白い。認知症の権威である医学者が認知症になったという時点で既に面白いのだけど、患者さんに今までデイサービスを勧めていたが、実際に自分も行くようになったらお風呂が気持ちよかった、王様気分だった、とほのぼのしてて素晴らしい。
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先日の朝日新聞に書いた文章、こちらで全文読めるようです。
大佛次郎論壇賞・東畑開人さん受賞記念寄稿 ケアの価値見失う大きな社会|好書好日 book.asahi.com/article/130655…
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「傷つき」というものがいかに修復されうるのかは、時代や文化によって様々で、むしろ文化とは「傷つき」を修復するために発展したのではないかと思うくらい。アイドルが引退とか解雇とかされると、ツイッターでポエムが満ち溢れるように、人は傷つくととっさに文化的になろうとする。
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絶対的に正社員の方が良い。援助者が毎日職場にいることには深い力がある。イレギュラーな危機に対応でき、組織のカルチャーを踏まえた上で支援をカスタマイズできる。連携は円滑になり、組織の構造そのものに働きかけることもできる。援助者自身も安定する。人件費がかかる以外、悪いことがないのでは twitter.com/cheeseholic5/s…
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さらに考えると、「文系の学問はどう役に立つのか」という問いに対しては、「いかにお金儲けに役立つか」という資本のロジックで答えるのではなく、「資本の暴風の中での個としての自由にいかに役立つか」で答えればよいということになる。現代にあって文化とは基本的にそのためのものなのではないか。
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この論文、僕なりに戦後から今までのの臨床心理学を総括して、今後の臨床心理学や心理臨床についての新しい枠組みを設定してみた超本気の論文です。おそらく賛否両論があると思うのですが、議論をしていけたらと強く思っているので、ぜひ読んでもらえたら。 twitter.com/Sadd1e_Tramp/s…
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ヘッセの「車輪の下」がまさにこれでした。一つの競争に勝った途端に、本人も周りの大人ももっと勝ちたい気持ちになってしまって、あらゆる時間が競争のための時間へと組織化されていってしまって、気づくと以前に勝った分まで失っているという話。ああ、これはこち亀的でもあるし、民話的でもあるな。
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中国でポジティブ心理学が流行ってるとのこと。以前は「福」は親族とか村落とか共同体レベルでやってくるものだったから祈りとか呪術とかを用いたが、今では個人レベルで追求するものになったので、心理学的技術を使うものになったという。「福」のサイズが小さくなると、心理学の出番になる。
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原稿は6割未満では他人は何もコメントできないから、決死の覚悟で一人で6割まで行く必要がある。しかし執筆における一番の難所は6割から7割のジャンプなので、そこを他人に助けてもらう。普通の人の普通の感想で十分にジャンプになるのが面白い所だが、そのためには未熟な原稿を見せる勇気と信頼が必要 twitter.com/ktowhata/statu…
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それにしても、本というのは書き終わった段階では、自分が何を書いたのかよくわからなくって、読んでくれる人がいて、いろいろと感想や質問をもらい、それに応答する中で、少しずつそれがなんだったのかわかってくるものなのだと改めて思った次第。1年くらいはそういう時間が続く。
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心理学にとって文体というのは中核的な問題だと思う。例えば、認知行動療法と精神分析、論文を一読してわかるのは文体が全く違うこと。語彙も、文の運びも全然違う。心には本質的に形がないからこそ、形を描くことを使命とする文体にこそ理論が宿る。
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「普通」は難しい。特に調子が悪くなると、「普通」のことを「普通じゃない」と不安になり、「普通じゃない」のに「普通」と思って助けを求められなくなったりする。心理士の良し悪しは年齢ではないと思うが、やはり年をとって経験を重ねることで「普通」の輪郭が少しわかるというのはある気がします。
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体にいいことと心にいいことは普通はそれなりに重なっている。例えば早寝早起きや運動は心身にとって良い。だけど、コロナ時代は体と心の必要とすることがすれ違いやすい。たとえば、人に会うのは心には良いけど、体には悪い。そして今、体が優先されるしかない。あらゆるところでこの葛藤が悩まれてる
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「疲労とは休息への欲望が活性化された状態」とジャネが書いているのだがあまりに完璧で、深い定義だ。しかし、酸欠時に酸素をなんとしてでも吸おうとするようには、疲労のときに人々は休息を得ようとしないのは不思議なことだ。なぜか疲労のときに快楽を処方しようとして、より疲労が濃くなる。
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この本読んでいて、貧困に至ってしまう一つずつの判断が、切迫してしまって、まともに思考できない状態でなされているのが印象的だった。「自己責任」は自由と生存が確保された上での正常な思考での判断に適用されるはずなのに、その自由と生存を確保すること自体が「自己責任」とされてしまっている。 twitter.com/ktowhata/statu…
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熊谷晋一郎さんが、分断されているコミュニティ同士が連帯するには、そのコミュニティの中心人物同士ではなく、むしろコミュニティの周縁にいる人同士で語り合いを始めることが大事だと言っていて、納得。確かに民俗学や人類学でも、通商とか交易は周縁の民が担っていると語られていた。#TICPOC
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「馬の世界史」という本を読んでいて、人類が「速度」という概念を得たのは、馬を飼い慣らすようになってからだという説が書かれてて面白い。確かに人も物も情報も、馬を得てはじめて、早いか遅いかを選択できるようになったのかもしれないな。4Gとか5Gとかも馬の延長上。
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読了、素晴らしかった。ゲームそのものではなく、それをめぐる親子のコミュニーケーションの方に問題があり、改善の余地があるという視座で一貫している本。ゲーム機は親が子に貸すという形式が良いが、サンタクロースがそれを妨害するので、サンタにはソフトの方を任せるといい、という話は特に良い。 twitter.com/ktowhata/statu…
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「人生が劇的に変わる」という発想はまさに切断の原理です。過去、現在、未来が切断されることで変身する自己。これに対して「人はちょっとしか変わらないけど、そのちょっとが人生に多くのものをもたらす」というのは接続の思想。歴史を生きていく自己。 twitter.com/ktowhata/statu…
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これは知らなかった。世間ではアンガーマネジメントブームなのか。アンガーとは不当なことに対してぶつけるならば、正当でありうるものだと思うし、そのことで良い変化も起こりうるものと思うが、現代社会ではなかなか居場所がない感情でもある。アンガーマネジメントには自己責任的な悲しさがあるなあ twitter.com/mimimizuho/sta…
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この休息に効率を求めた結果、他者が排除されてしまう感じは、まさに現代の心理療法で扱われている課題だ。家族やパートナーに効率を求めてしまうと人は孤独になる。そして、孤独は疲れる。それで余計に休息に効率を求めてしまうという繰り返しをどうするかという課題。 twitter.com/ktowhata/statu…